横浜刑務所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
横浜刑務所(よこはまけいむしょ)は、法務省矯正局の東京矯正管区に属する刑務所。下部機関として横須賀刑務支所・横浜拘置支所・小田原拘置支所・相模原拘置支所の4か所の支所を持つ。
全国的にも類を見ない「笑う刑務所」を推進している。
所在地[編集]
収容分類級[編集]
「収容分類級」も参照
- B級
- F級
- 横須賀刑務支所には在日アメリカ軍関係者も収容している。
収容定員[編集]
- 1,200人(2020年2月約880人収容中)
沿革[編集]
- 1855年(安政2年) - 下田港開港により、下田に囚獄開設。
- 1859年(安政6年) - 横浜港開港により、久良岐郡戸部村字宮ノ前(現・横浜市西区伊勢町3丁目・公務員伊勢町公舎)に移転。
- 1893年(明治26年) - 狭隘・老朽化のため、神奈川県議会に新築案が提案される。
- 1899年(明治32年)2月 - 久良岐郡根岸村字広地(現・横浜市磯子区丸山二丁目)に移転。敷地面積約2万2千坪、建築面積約6,600坪。
- 1923年(大正12年)9月1日 - 関東大震災により、建物50棟中24棟倒壊、16棟半壊。職員3名・収容者35名が圧死し、ほかに職員数名と収容者50名が重傷を負った。
- 1924年(大正13年)3月11日 - 震災被害と、周囲の都市化が進んだため、横浜市議会で再移転が提案され、同年12月に事業計画が決定した。
- 1936年(昭和11年)5月 - 横浜市中区笹下町(現・港南区港南四丁目)に新刑務所竣工。
組織[編集]
所長の下に4部1室を持つ5部室制である。
- 総務部(庶務課、会計課、用度課)
- 処遇部(処遇担当、作業担当)
- 教育部
- 医務部(保健課、医務課)
- 分類審議室
外観・設備[編集]
特記事項[編集]
- 刑務作業の一環として製麺作業が1999年(平成11年)より全国の刑務所で唯一行われている[6]。
- 当刑務所の改築工事までブランド石鹸類「ハマローズ」を製造して全国の刑務所等で使用されていたが、石鹸製造は横須賀刑務支所へ移動した[6]。
- 金属工場では中華鍋の製造を実施している[7]。
- 最寄り駅である港南中央駅売店では刑務作業製品が販売されている。
脚注[編集]
- ^ a b “施設所在地及び面会受付時間一覧” (日本語). 法務省 (2017年12月1日). 2020年3月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月30日閲覧。
- ^ “横浜刑務所 (PDF)” (日本語). 法務省. 2019年4月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月30日閲覧。
- ^ “よこはま法務少年支援センター(青少年心理相談室)” (日本語). 法務省. 2019年8月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月30日閲覧。
- ^ “行刑改革会議第3分科会 第2回会議議事概要” (日本語). 法務省 (2003年9月22日). 2020年3月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月30日閲覧。
- ^ “全国の矯正管区・矯正施設・矯正研修所一覧” (日本語). 法務省 (2019年4月14日). 2019年5月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月30日閲覧。
- ^ a b 岩尾真宏「神奈川)受刑者手作りうどんが人気 こしの強さ評判に」『朝日新聞デジタル』朝日新聞社、2014年8月13日。2020年3月30日閲覧。, オリジナルの2020年3月30日時点におけるアーカイブ。
- ^ “施設のご案内(横浜刑務所)” (日本語). 法務省. 2018年5月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月30日閲覧。
参照資料[編集]
- 『磯子の水辺から-堀割川その復権-』 2001年、堀割川の会編
座標: 北緯35度23分59.2秒 東経139度35分38.7秒
|