橋場駅

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橋場駅
ホーム跡
ホーム跡
はしば
Hashiba
雫石 (7.7km)
所在地 岩手県岩手郡雫石町橋場
所属事業者 鉄道省
所属路線 橋場線
キロ程 23.7km(盛岡起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1922年大正11年)7月15日
備考 雫石 - 橋場間休止に伴う休止。
現在も実質には休止扱い。
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橋場駅(はしばえき)は、岩手県岩手郡雫石町にあった鉄道省橋場線(現在の田沢湖線)のである。現在の赤渕駅の北西約1 kmのところにあった。

正式に廃止手続きがなされたという記録はなく、現在も休止扱いである。

駅構造[編集]

2面2線のホームを持つ地上駅であった。また、遺構から転車台や貨物用ホームがあったと推測されている。

歴史[編集]

ホームに続く階段

元々橋場駅は、盛岡駅から生保内駅(現在の田沢湖駅)を経由して大曲駅に至る路線の途中駅として計画された駅である。1922年には「橋場線」として盛岡駅から橋場駅までが開業(大曲からも生保内まで「生保内線」が開業)し、橋場駅は橋場線の仮の終着駅として設置された。

しかし、戦中の1944年からは不要不急線として雫石駅 - 橋場駅間および橋場駅は休止され[1]、両駅間の線路は撤去された。

戦後に橋場 - 生保内間の建設が再び計画された際、建設ルートが当初の橋場駅経由のルートから、現在の赤渕駅付近より当初ルートを外れて田沢湖方面に直進する新ルート(現在の田沢湖線のルート)へと変更された。このため、当初ルートと新ルートの分岐点付近に赤渕駅を設置した上で雫石駅 - 赤渕駅までが再開され、その後新ルートにより橋場線は「田沢湖線」として全線開業している。

そして、赤渕駅付近から橋場駅までは再開されることなく放棄され、現在に至っている。

年表[編集]

橋場駅が戦後復活されなかった理由[編集]

歴史の節に上述した通り、戦前の当初計画は盛岡 - 橋場 - 生保内(現・田沢湖) - 大曲と線路を結ぶ計画で、この計画に従い、戦前に盛岡からは橋場まで「橋場線」として開業(のち雫石まで短縮)し、大曲からも生保内まで「生保内線」として開業していた。そして、最終的には橋場から生保内まで「生橋線」を建設し、両線を結ぶ予定であった。

当初は戦前の計画通りに、まずは休止扱いとなっていた雫石 - 橋場を復活させる予定であった。しかし、単純な復活扱いでは予算の関係上路線の再敷設や全通計画の達成が困難であることを考えた生橋線建設促進期成者同盟会は、全区間新線扱いにすれば、建設の際に国からの援助金や日本鉄道建設公団からの無償貸付がされることから、雫石 - 赤渕間を工事線生橋線の一部として運輸審議会の承認を得た。このため、計画上は休止中の雫石 - 橋場間の橋場線と、新線として建設され、完成後編入された橋場線雫石 - 赤渕間が併存する形となった(もちろん実質的には盛岡 - 雫石の継承および雫石 - 赤渕の再開である)。

休止中の生橋線のルートは、「歴史」の節に上述した通り、橋場 - 生保内間から雫石 - 生保内間に変更され、赤渕 - 橋場間は放棄された。しかし、正式に廃止はされず、旧線上にあった橋場駅を含めて未だに「休止」の扱いである。駅の遺構は2018年時点では現存しているが、「廃止」扱いではない「休止」扱いとはいえ、休止から70年余の歳月が経過して事実上の廃線廃駅状態であることから、すぐに復旧、レールを敷設して運行再開できる様な状態ではない(後述の外部リンク参照)。

現在の橋場集落へのアクセス[編集]

橋場集落は国道46号沿い。上安栖公民館が国道沿いにあり、その20メートルほど裏側に駅の遺構が残っている。雫石駅からタクシー、または、あねっこバス(予約制)の御明神線を利用。最寄り駅は赤渕駅だが、同駅からは徒歩のみになる。

脚注[編集]

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  1. ^ 昭和19年9月30日付官報(第5315号) 運輸通信省告示第四百七十六号

隣の駅[編集]

鉄道省
橋場線
雫石駅 - 橋場駅

関連項目[編集]

  • 釜石線山田線:雫石 - 橋場間の線路は、剥がされた後で軍事的に重要であったこれらの路線の建設に転用されたとされる。
  • 宮沢賢治:『化物丁場』という作品の中で、橋場付近での難工事ぶりを描いている。