橋立 (防護巡洋艦)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
![]() | |
艦歴 | |
---|---|
発注 | |
起工 | 1888年8月6日 |
進水 | 1891年3月24日 |
就役 | 1894年6月26日 |
退役 | 1925年12月25日に廃船 |
その後 | 1927年にスクラップとして処分 |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:4,217トン |
全長 | 89.9m |
全幅 | 15.6m |
吃水 | 6.4m |
機関 | 2軸レシプロ蒸気機関 円罐6基 5,400馬力 |
最大速 | 16.0ノット |
乗員 | 360名 |
兵装 | 32cm砲1門 12cm砲11門 47mm砲6門 35.6cm魚雷発射管4門 |
橋立(はしだて)は、大日本帝国海軍の防護巡洋艦。松島型防護巡洋艦の3番艦である。
概要[編集]
建造にいたる経緯については、「松島」を参照。「三景艦」のうち、唯一の国産艦である。これは何としても主要艦艇の国産化を目指したい海軍の強い意向であったが、当時の日本の技術力ではまだ背伸びをしている感があった。結果として、建造期間が他2隻よりも長く、竣工したのが日清戦争開戦直前であった。一説には、この橋立の竣工を待って開戦に踏み切ったとも言われる。
主砲の32cm(38口径)単装砲は前部甲板に据え付けられ、「厳島」と艦形が似ているが、副砲以下の装備に若干相違がある。
日清戦争では松島、厳島とともに奮戦して清国北洋艦隊を撃破し、日露戦争では、松島、厳島、そして旧敵の「鎮遠」の3隻と組んだ第三艦隊第五戦隊の旗艦をつとめた。
この橋立という艦名は、海上自衛隊が保有する特務艦(海外の海軍将校などを招いて外交として歓待する艦)に継承されている。
略歴[編集]
- 1888年(明治21年)8月6日 横須賀海軍造船所で起工
- 1891年(明治24年)3月24日 進水式
- 1894年(明治27年)6月26日 竣工
- 1895年(明治28年)2月 威海衛攻撃終了、清国降伏
- 1898年(明治31年)3月21日 二等巡洋艦
- 1904年(明治37年)2月10日 日露戦争開戦、第三艦隊第五戦隊旗艦
- 1905年(明治38年)5月27 - 28日 日本海海戦
- 1912年(大正元年)8月28日 二等海防艦
- 1922年(大正11年)4月1日 雑役船(練習船)
- 1925年(大正14年)12月25日 廃船
- 1927年(昭和2年) 解体
艦長[編集]
※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。階級は就任時のもの。
- 日高壮之丞 大佐:1894年6月23日 - 1895年5月18日
- 有栖川宮威仁親王 大佐:1895年5月18日 - 1895年7月25日
- 有馬新一 大佐:1895年7月25日 - 1895年12月27日
- 片岡七郎 大佐:1895年12月27日 - 1896年11月5日
- 上村正之丞 大佐:1897年6月1日 - 1898年9月1日
- 小倉鋲一郎 大佐:1898年9月1日 - 1899年5月1日
- 桜井規矩之左右 大佐:1899年5月1日 - 1899年5月24日
- 梨羽時起 大佐:1899年5月24日 - 1900年5月20日
- 宮岡直記 大佐:1900年11月6日 - 1901年8月30日
- 井手麟六 大佐:1902年10月6日 - 1903年9月11日
- 加藤定吉 大佐:1903年10月12日 - 1905年1月7日
- 福井正義 大佐:1905年1月7日 - 1905年11月21日
- 石橋甫 大佐:1905年11月21日 - 1906年8月30日
- 山縣文蔵 大佐:1906年8月30日 - 1907年8月5日
- 西山実親 大佐:1907年8月5日 - 1908年8月28日
- 山口九十郎 大佐:1908年9月25日 - 1908年12月10日
- (兼)今井兼胤 大佐:1908年12月10日 - 1908年12月23日
- 今井兼胤 大佐:1908年12月23日 - 1909年12月1日
- 秋山真之 大佐:1909年12月1日 - 1910年4月9日
- 町田駒次郎 大佐:1910年4月9日 - 1910年12月1日
- 舟越楫四郎 大佐:1910年12月1日 - 1911年12月1日
- 布目満造 大佐:1911年12月1日 - 1912年12月1日
- 吉岡範策 大佐:1912年12月1日 - 1914年8月23日
- 正木義太 大佐:1914年12月1日 - 1915年2月22日
- (心得)犬塚助次郎 中佐:1915年2月22日 - 1915年9月13日
- (心得)大石正吉 中佐:1915年9月13日 - 1916年4月1日
- 大石正吉 大佐:1916年4月1日 - 1916年4月4日
- (兼)岡田三善 大佐:1916年4月4日 - 1918年12月1日
- (兼)村上鋠吉 大佐:1918年12月1日 - 1919年11月20日
- (兼)増田幸一 大佐:1919年11月20日 - 1920年11月12日
- 樺山信之 中佐:1920年11月12日[1] - 1921年9月17日[2]
- 吉富新八 大佐:1921年9月17日[2] -
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 『官報』
関連項目[編集]
|
|