檜 (松型駆逐艦)

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基本情報
建造所 横須賀海軍工廠
運用者  大日本帝国海軍
級名 松型駆逐艦
艦歴
発注 1942年戦時建造補充(改マル5)追加計画
起工 1944年3月4日
進水 1944年7月4日
竣工 1944年9月30日
最期 1945年1月7日ルソン島リンガエン湾にて戦没
除籍 1945年4月10日[1]
要目
基準排水量 1,262t
公試排水量 1,530t
全長 100.00m
最大幅 9.35m
吃水 3.30m
ボイラー ロ号艦本式缶 2基
主機 艦本式タービン 2基2軸
出力 19,000hp
速力 27.8kt
燃料 重油370t
航続距離 18ktで3,500
乗員 211名 / 268名[2]
兵装
レーダー
ソナー
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(ひのき)は、大日本帝国海軍駆逐艦[3]松型(丁型)の16番艦である。日本海軍の艦名としては2代目[4](初代は二等駆逐艦「桃型」3番艦「」)[5]太平洋戦争後半の1944年(昭和19年)9月末に竣工し、輸送作戦に従事する空母の護衛を幾度かおこなったあと、フィリピンに進出した。1945年(昭和20年)1月7日夜、ルソン島西岸リンガエン湾でアメリカ軍上陸船団を護衛する駆逐艦複数隻と交戦し、「檜」は撃沈された[6][7]

艦歴[編集]

建造[編集]

駆逐艦(ひのき)は、丁型駆逐艦の仮称艦名5502艦として横須賀海軍工廠で建造[4]1944年(昭和19年)6月20日、「」と命名される[3]7月4日呉鎮守府籍となる[8]8月24日、横須賀海軍工廠の檜艤装員事務所は、事務を開始する[9]30日、吉里三十四大尉(当時、五月雨水雷長)は[10]、檜艤装員に任命される[注 1]9月15日、山口浩大尉(海兵64期)は檜艤装員長に任命される[12][注 2]

9月30日、竣工。山口大尉は制式に檜駆逐艦長となる[19][注 3]。 同30日付で檜艤装員事務所は撤去された[21]

第十一水雷戦隊[編集]

就役後、訓練部隊の第十一水雷戦隊(司令官高間完少将海軍兵学校41期)に編入される[22]。燃料ポンプの歯車破損の修理を行った上で[23]瀬戸内海に回航され訓練に従事する[24]。当時の十一水戦旗艦は軽巡洋艦「多摩」であった[25]。10月14日、松型(樅、檜)は、射撃用レーダーを搭載した軽巡洋艦「木曾[26]と訓練をおこなう[27]

10月17日朝、アメリカ軍がフィリピン、レイテ湾スルアン島に上陸した[28]。翌18日夕刻、日本軍捷一号作戦を発動した[29]。本作戦は、第一機動艦隊司令長官小沢治三郎中将(海兵37期)が率いる機動部隊第三艦隊)が囮となって第38任務部隊マーク・ミッチャー中将)をひきつけ、その隙に第二艦隊司令長官栗田健男中将(海兵38期)率いる第一遊撃部隊がレイテ湾に突入し、アメリカ軍の上陸部隊を撃破するというものであった[30]

第三艦隊の本来の護衛部隊は第二遊撃部隊(指揮官は第五艦隊司令長官志摩清英中将)だったが[31]台湾沖航空戦の「残敵掃討」に駆り出されてしまった[32][33]。そこで内地所在の第三十一戦隊や軽巡「大淀[34][35]、さらに練習部隊の第十一水雷戦隊から2隻(軽巡多摩、駆逐艦)を[36]、機動部隊に編入した。10月18日[37]、十一水戦司令官は旗艦を「多摩」から駆逐艦「檜」に移し[38]、十一水戦の大部分と共に内地に残った[39][注 4]

第52駆逐隊[編集]

11月15日、日本海軍は松型駆逐艦5隻(檜、)により第52駆逐隊を新編した[42][43]。駆逐隊司令には11月29日付で岩上次一大佐[44](当時、第7駆逐隊司令。海兵50期)が任命された[注 5]11月23日付で、十一水戦旗艦は「檜」から「楓」に変更された[46]11月25日付で第52駆逐隊[47]、対潜機動部隊の第三十一戦隊[48](司令官江戸兵太郎少将・海兵40期)[49]に編入された[50]

同日25日昭南に向かうヒ83船団を、空母「海鷹」と駆逐艦5隻(卯月型夕月卯月[51]、松型〈樅、檜、榧〉)および海防艦複数隻などで護衛して門司を出撃する[52]高雄到着後、第30駆逐隊はヒ83船団部隊と別れる[53]。他艦は12月3日に高雄を出港して馬公経由で[54]呉に帰投した。

12月中旬、第52駆逐隊(檜、樅)は白露型駆逐艦「時雨」とともに、マニラ方面へ特攻兵器桜花と陸軍部隊を輸送する任務に就く空母「雲龍」を護衛することになった[55][56]12月17日、緊急輸送部隊4隻(雲龍、檜、樅、時雨)は呉を出撃する[57]19日夕刻、「雲龍」は東シナ海でアメリカ潜水艦レッドフィッシュ (USS Redfish, SS-395) の攻撃により沈没する[58]。 「雲龍」沈没後から反撃を開始し、約46メートル、次いで約70メートルの深度に潜むレッドフィッシュに対して12発の爆雷を投下[59]。二度目の攻撃では爆雷9発を投下して機械や乗組員1名を負傷させ、レッドフィッシュはこれ以上の哨戒を断念して真珠湾に戻っていった[60][61]20日朝、舵故障となった「時雨」は佐世保に向かった[62]。「時雨」と別れた松型2隻(檜、樅)は高雄に入港し、12月22日出港して24日にマニラへ到着した[63][64]。 同時期には、第三十一戦隊の新司令部もマニラに進出した[注 6]

「檜」と「樅」はマニラとカムラン湾サンジャックとの間で輸送任務に従事した[64][67]。 12月28日、「檜」と「樅」は第四航空戦隊航空戦艦2隻(日向伊勢)から燃料を補給した[68]。 12月30日、礼号作戦に参加した姉妹艦()がサンジャックに到着した[69]。第三十一戦隊旗艦は「樅」から「樫」になった[69][70]。 12月31日、52駆(檜、樅)は特設給糧船「生田川丸」(元イタリア船カリテア、4,013トン)[注 7]を護衛してサンジャックを出港した[72][73]

1945年(昭和20年)1月4日[74]、3隻はマニラに到着した[7]。 この時ルソン島西岸部にはリンガエン湾を目指すアメリカ艦隊と輸送船団が、幾度かの神風特別攻撃隊の攻撃に遭いながらも北上中だった[75][76]1月5日南西方面艦隊[注 8]は、司令部をマニラからバギオに移した[77]。南西方面艦隊司令部は3日に第43駆逐隊と第52駆逐隊を第二遊撃部隊(第五艦隊基幹)に編入していたが[78]5日午前11時20分に52駆(檜、樅)の西方避退を命じた[79]。 52駆(檜、樅)は第九三三航空隊の整備兵などを乗せた「生田川丸」を連れてマニラを出港、カムラン湾に撤退することになった[80][78]。 ところが同5日16時15分、南西方面部隊は[81]、第52駆逐隊に連合軍上陸船団を攻撃するよう命じた[82]。大川内長官は礼号作戦の戦果に鑑み、第三十一戦隊松型駆逐艦に対し、アメリカ軍輸送船団への殴りこみ攻撃を命令したのである[80]

「生田川丸」や病院船「第二氷川丸[83](元オランダ病院船オプテンノール)などは、マニラを脱出して西方にむかった[注 9]。 一方の52駆(檜、樅)は掃海担当のアメリカ軍(第77.6部隊)の背後に躍り出て第77.6部隊を驚かせた[85]。第77.6部隊を護衛していたオーストラリア海軍スループワレーゴ (HMAS Warrego, U73) とガスコーニュ (HMAS Gascoyne, K354) 、助太刀に来たアメリカ駆逐艦ベニオン英語版 (USS Bennion, DD-662) と午後3時40分頃から交戦を開始するが、約一時間の砲戦で双方ともさしたる戦果も被害もなかった[86]。この戦闘中に、南西方面部隊から突撃命令が出された[82]。避退後間もなく、第77任務部隊の護衛空母から発進した艦上機の攻撃が始まる。 17時以降、被弾した「檜」は航行不能になった[注 10]。 直撃弾1と至近弾により、戦死21名と重傷約50名という被害を出す[87]。機関部にも損傷を受けていた[87][88]。 「檜」を掩護していた姉妹艦「樅」は、19時10分に撃沈された[89]。残された「檜」は潜水艦の雷撃や夜間空襲を受けたが被害はなく、応急修理で12ノットの速力が出るまでに回復させてマニラに帰投した[87]

1月6日朝、「檜」はマニラに入港した[90]。同6日夕刻、連合艦隊[注 11]は南西方面部隊に対し、アメリカ軍上陸船団の殲滅を命じた[注 12]1月7日午後、満身創痍の「檜」[87]は再度サンジャックへの脱出を試みてマニラを出港する[93]。しかし、リンガエン湾へ向かう輸送船団のうちサン・ファビエン上陸に派遣された輸送船団と遭遇[93]。その護衛艦艇の内の駆逐艦チャールズ・オースバーン (USS Charles Ausburne, DD-570) がレーダーで「檜」を捉えて調査に向かい、照明弾で「檜」を照らし出した[94]。チャールズ・オースバーンは「檜」に対して砲撃を行い、その間別の駆逐艦ブレイン (USS Braine, DD-630) が「檜」を照らし出した[94]。「檜」は東方へ逃走するも砲火を散々浴びた末に爆発を起こし、後部から沈没していった[93]。「檜」も反撃したが、チャールズ・オースバーンには命中弾はなかった[94]。また、この際米駆逐艦から「檜」の魚雷発射に伴うものと思われる発光が目撃されており、仮に事実ならばこの戦闘が日本海軍水上艦艇最後の魚雷戦となるのではないかとの指摘がある[95][注 13]。駆逐艦ラッセル (USS Russell, DD-414) が生存者を捜索したものの発見できず[97]、岩上52駆司令[45]、駆逐艦長山口浩少佐[98]以下乗員全員が戦死した。 日本側は「檜」の最期を確認しておらず「行方不明」と記録している[99][100]

4月10日、除籍[1]。松型駆逐艦と[101]、第52駆逐隊からも削除された[102]

歴代艦長[編集]

艤装員長
  1. 山口浩 大尉:1944年9月15日[12] - 1944年9月30日[19]
駆逐艦長
  1. 山口浩 大尉/少佐[20]:1944年9月30日[19] - 1945年1月7日戦死[103](1月8日付で中佐に昇進)[98]

出典[編集]

[編集]

  1. ^ 白露型駆逐艦五月雨」はガルワングル環礁で座礁、8月27日に潜水艦バットフィッシュの攻撃で沈没した[11]
  2. ^ 山口浩大尉は、中尉時代に駆逐艦「陽炎」水雷長から陽炎航海長[13]に転じて太平洋戦争開戦を迎え、大尉昇進後の1942年(昭和17年)5月15日に軽巡由良水雷長となる[14](由良沈没後の11月10日まで)[15]1944年(昭和19年)3月1日から駆逐艦「朝風」艦長となったが[16]、同年8月23日に潜水艦ハッドの攻撃で「朝風」が沈没[17]、9月1日付で朝風駆逐艦長の職務を解かれていた[18]
  3. ^ 主要幹部は、山口駆逐艦長、砲術長市村敬雄大尉、水雷長良里大尉、航海長諏訪欣吾中尉[19]。10月15日、山口大尉(艦長)は少佐に進級した[20]
  4. ^ レイテ沖海戦(エンガノ岬沖海戦)に参加した十一水戦(多摩、杉)のうち「杉」は生還したが[40]、「多摩」は対空戦闘で被弾して戦場離脱中に潜水艦ジャラオに撃沈され、全乗組員が戦死した[41]
  5. ^ 岩上次一大佐は、陽炎型駆逐艦萩風の2代目駆逐艦長で、ミッドウェー海戦第二次ソロモン海戦一木清直陸軍大佐の一木支隊先遣隊輸送)に参加した[45]
  6. ^ 同年11月25日、第三十一戦隊旗艦の駆逐艦「霜月」が潜水艦カヴァラに撃沈され[17]、司令官江戸兵太郎少将は戦死した[48]。後任の鶴岡信道少将[65](海兵43期)と新司令部は空路で内地からマニラに進出し、12月22日マニラに到着した[66]
  7. ^ 1943年(昭和18年)9月9日のイタリアの無条件降伏の際、神戸港で自沈を図ろうとして阻止され日本側に拿捕される(『大阪警備府戦時日誌』pp.4)[71]
  8. ^ 南西方面司令長官大川内傳七中将〈海兵37期〉、同艦隊参謀長有馬馨少将〈海兵42期〉など。大川内長官は、南西方面部隊指揮官を兼ねる。
  9. ^ (昭和20年1月6日、南西方面部隊総合情報)[84]〔 六日〇二二六(指揮官)NSB|NSB情報着信艦所|NSB綜合情報 一.輸送船團第一群〇三五五「マニラ」ヨリ三〇四度一四〇浬ニ至リ戰艦一巡洋艦五驅逐艦一〇輸送船中型三小型四〇/二.第一群空母四戰艦二巡洋艦七以上驅逐艦十六以上 第二群空母五巡洋艦五驅逐艦二〇/三.檜 樅一六〇〇頃ヨリ「マニラ」ノ二九四度一一一浬附近ニ於テ敵大型驅逐艦ト交戰一七一七檜被爆航行不能 樅二一五六沈没/比島方面本日敵航空部隊ノ攻撃極メテ緩慢ナリ/五. 味方輸送艦二輸送船隼艇及生田川丸 第二氷川丸ノ各船團ハ一六〇〇「マニラ」發西航中。
  10. ^ (昭和20年1月6日、第52駆逐隊 檜 樅 戦闘概報)[87]〔 六日一七三三(司令)52dgS(宛略)檜 樅戰闘概報 一.五日一五四〇マニラノ二九四度一〇〇浬ニ於テ敵水上部隊十隻ト遭遇大型驅逐艦三隻ト交戰後避退中艦上機來襲約二十機ノ爆撃並ニ銃撃ヲ受ケ檜直撃彈一罐室火災至近彈多数一七一七航行不能トナル 樅ハ視界内ニアリテ奮戰中一九一〇被爆轟沈、檜漂泊中潜水艦ノ雷撃三及夜間爆撃ヲ受ケシモ被害ナク二三〇〇機関應急修理完了一二節航行可能トナリ六日〇六〇〇マニラ帰着/二.戰果 撃墜十機(不確實三機)/三.被害 樅轟沈 檜主ナル被害(一)一罐室火災使用不能四区類焼/(二)二罐蒸氣過熱管熔損六焚火気醸可能出シウル速力十四節/(三)後部彈藥庫侵水其他小破口住傾斜/(四)送信機一受信機二使用可能ノ外電機気関係兵器並ニ通信装置破損/(五)戰死下士官兵二一名 重傷准士官二名 下士官兵四五名|無電 〕
  11. ^ 司令長官豊田副武大将、参謀長草鹿龍之介中将、参謀神重徳大佐など。
  12. ^ 1月6日18時27分[91]〔 敵ハ物量ノ大ヲ恃ミ一挙ニ「ルソン」防衛線ノ確信ニ迫リ敢テ決戦ヲ強要セントス 捷号作戦ノ転機将ニ茲ニ在リ 各員善謀勇戦一死十殺ノ闘魂ヲ以テ驕敵ヲ殲滅スベシ 〕[92]
  13. ^ 明確な発射記録が残っているものとしては1944年(昭和19年)12月26日の礼号作戦における「」、「」及び「」によるものが、双方向の戦闘を伴うものとしては同3日の第七次多号作戦における「[96]と「」によるものが最後となっている。

脚注[編集]

  1. ^ a b #S20.04秘海軍公報(2) pp.42-43〔 内令第三一二號 横須賀鎭守府在籍 驅逐艦 野風 呉鎭守府在籍 驅逐艦 檜 右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル(中略)昭和二十年四月十日 海軍大臣 〕
  2. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127600, pp.8
  3. ^ a b #S19.6-7海軍公報(部内限)/6月(12) p.17〔 達第二〇二號 昭和十八年度及昭和十九年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦四隻、潜水艦三隻、海防艦六隻及輸送艦一隻ニ左ノ通命名ス 昭和十九年六月二十日 海軍大臣  株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 樫(カシ)/舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 榧(カヤ)/横須賀海軍工廠 驅逐艦 檜(ヒノキ) 驅逐艦 楓(カヘデ)(以下略) 〕
  4. ^ a b 福井静夫、日本駆逐艦物語 1993, p. 292日本海軍駆逐艦艦名一覧/一等駆逐艦/檜(II)Hinoki
  5. ^ 福井、日本駆逐艦物語 1993, p. 294日本海軍駆逐艦艦名一覧/二等駆逐艦/檜(I)Hinoki
  6. ^ 木俣、駆逐艦入門 2006, pp. 336a-340あわれ「檜」「樅」
  7. ^ a b 戦史叢書56 1972, pp. 460a-461駆逐艦檜、樅の沈没
  8. ^ 自昭和19年1月至昭和19年7月 内令(防衛省防衛研究所)昭和19年7月 」 アジア歴史資料センター Ref.C12070195500 p.6〔 内令第八一八號 驅逐艦 檜 右本籍ヲ呉鎭守府ト定メラル 昭和十九年七月四日 〕
  9. ^ 昭和19年8月~9月 秘海軍公報(防衛省防衛研究所)9月(1)/海軍公報 第4788号 昭和19年9月2日 」 アジア歴史資料センター Ref.C12070496600  p.8〔○事務開始 軍艦葛城艤装員事務所ヲ八月十五日呉海軍工廠内ニ設置シ事務ヲ開始セリ|○驅逐艦檜艤装員事務所ヲ八月二十四日横須賀海軍工廠内ニ設置シ事務ヲ開始セリ(以下略) 〕
  10. ^ 昭和19年9月2日(発令8月30日付)海軍辞令公報(甲)第1582号 p.3」 アジア歴史資料センター Ref.C13072100800 
  11. ^ 戦史叢書46 1971, pp. 446a-447米潜水艦に撃沈されたわが駆逐艦一覧表
  12. ^ a b 昭和19年9月19日(発令9月15日付)海軍辞令公報(甲)第1597号 p.48」 アジア歴史資料センター Ref.C13072100900 
  13. ^ 昭和15年10月15日(発令10月15日付)海軍辞令公報(部内限)第543号 p.9」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079100 
  14. ^ 昭和17年5月15日(発令5月15日付)海軍辞令公報(部内限)第860号 p.30」 アジア歴史資料センター Ref.C13072085400 
  15. ^ 昭和17年11月10日(発令11月10日付)海軍辞令公報(部内限)第982号 p.28」 アジア歴史資料センター Ref.C13072088000 
  16. ^ 昭和19年3月1日(発令3月1日)海軍辞令公報(部内限)第1351号 p.35」 アジア歴史資料センター Ref.C13072096300 
  17. ^ a b 戦史叢書46 1971, pp. 446b-447.
  18. ^ 昭和19年9月5日(発令9月1日付)海軍辞令公報(甲)第1585号 p.29山口免職」 アジア歴史資料センター Ref.C13072100800 
  19. ^ a b c d 昭和19年10月7日(発令9月30日付)海軍辞令公報(甲)第1603号 p.43」 アジア歴史資料センター Ref.C13072101400 
  20. ^ a b 昭和19年10月15日(発令10月15日付)海軍辞令公報(甲)第1620号 p.11」 アジア歴史資料センター Ref.C13072101600 
  21. ^ 昭和19年9月~12月 秘海軍公報(防衛省防衛研究所)10月(2)/海軍公報 第4828号 昭和19年10月16日 」 アジア歴史資料センター Ref.C12070497400  p.47〔○事務所撤去 第三十九號海防艦艤装員事務所ハ九月二十七日之ヲ撤去セリ/驅逐艦檜艤装員事務所ハ九月三十日之ヲ撤去セリ/焼津航空基地(假称)設立準備員事務ハ十月一日之ヲ撤去セリ/信濃艤装員事務所ハ十月五日之ヲ撤去セリ/伊號第三百六十九潜水艦艤装員事務所ハ十月九日之ヲ撤去セリ 〕
  22. ^ #S1906十一水戦(4) pp.3-4(昭和19年10月、十一水戦軍隊区分)
  23. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127700, pp.11,12
  24. ^ #S1906十一水戦(4) p.5〔 (四)麾下艦船ノ行動 〕(昭和19年10月)
  25. ^ 日本軽巡戦史 1989, pp. 572-573.
  26. ^ 日本軽巡戦史 1989, pp. 573-574木曽、射撃用レーダーを装備す
  27. ^ #S1906十一水戦(4) p.39(昭和19年10月14日)〔 樫徳島発一六四五岩国沖着/楓〇五〇〇鹿児島発一九二五岩国沖着/樅檜八島発一九五六岩国沖着|樅 檜 木曽諸訓練ニ協力 〕
  28. ^ 戦史叢書56 1972, pp. 21-22.
  29. ^ 戦史叢書56 1972, pp. 33-36.
  30. ^ 戦史叢書56 1972, pp. 75-77機動部隊本隊/出撃準備の下令
  31. ^ 戦史叢書56 1972, pp. 27-29機動部隊本隊に対する指導
  32. ^ 日本水雷戦史 1986, pp. 483-487台湾沖航空戦の余波
  33. ^ 戦史叢書56 1972, p. 17.
  34. ^ 戦史叢書56 1972, pp. 78b-79第三十一戦隊
  35. ^ 日本空母戦史 1977, p. 725.
  36. ^ 戦史叢書56 1972, p. 78a十一水戦
  37. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127700, pp.26,28
  38. ^ #S1906十一水戦(4) p.27〔 (司令官)11Sd|(宛略)|機密第一八一〇〇二番電 発11Sd司令官 将旗ヲ「檜」ニ移揚セリ|無電 〕
  39. ^ 日本水雷戦史 1986, p. 532.
  40. ^ 戦史叢書56 1972, p. 453各艦の損傷状況
  41. ^ 戦史叢書56 1972, pp. 443-444米側資料による「多摩」の最期
  42. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127700, pp.56
  43. ^ #S19.9-12秘海軍公報号外/11月(3) pp.4-5〔 内令第一二七一號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十九年十一月十五日 海軍大臣|第二驅逐隊ノ項中「清霜」ノ下ニ「朝霜」ヲ加フ|第七驅逐隊ノ項中「潮」ノ下ニ「、霞」ヲ加フ|第十八驅逐隊ノ項ヲ削ル|第二十一驅逐隊ノ項中「初春、初霜、若葉」ヲ「初春、初霜、時雨」ニ改ム|第三十一驅逐隊ノ項中「長波、朝霜、岸波、沖波」ヲ「長波、岸波、沖波、濱波」ニ改ム|第三十二驅逐隊ノ項ヲ削ル|第四十一驅逐隊ノ項中「冬月」ノ下ニ「、涼月、若月」ヲ加フ|第四十三驅逐隊ノ項ノニ左ノ一項ヲ加フ| |第五十二驅逐隊|桑、檜、樅、杉、樫| |第六十一驅逐隊ノ項ヲ削ル 〕
  44. ^ 昭和19年12月24日(発令11月29日付)海軍辞令公報(甲)第1660号 p.48」 アジア歴史資料センター Ref.C13072102100 
  45. ^ a b 激闘駆逐艦隊 1987, p. 110岩上艦長の最期
  46. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127700, pp.27,66
  47. ^ #S1906十一水戦(4) pp.45-46〔 (ロ)軍隊区分 〕(昭和19年11月、十一水戦)
  48. ^ a b 戦史叢書46 1971, pp. 330-332第三十一戦隊の編成
  49. ^ 戦史叢書93 1976, pp. 67-69第一水雷戦隊の解隊と第三十一戦隊の第五艦隊編入
  50. ^ 『第五艦隊戦時日誌』C08030019800, pp.20〔 (海軍大臣)二五日附 駆逐艦編制中左ノ通改正セラル「43dgノ項中ニ榧ヲ加フ」|無電 〕〔(海軍大臣)十一月二十五日附帝國海軍戰時編制中左ノ通改正セラル 一.52dgヲ11sdヨリ除キ31Sニ編入/二.榧ヲ11Sdヨリ除キ43dgニ編入|無電 〕、#S1906十一水戦(4) p.66(昭和19年11月)〔 二五|(略)|52dgヲ11Sdヨリ除キ31Sニ編入 榧ヲ11Sdヨリ除キ43dgニ編入 櫻11Sd編入 〕
  51. ^ 歴群64、睦月型 2008, p. 153.
  52. ^ 『第一海上護衛隊戦時日誌』pp.52 、駒宮, 297ページ
  53. ^ 日本空母戦史 1977, pp. 843-845海鷹・竜鳳
  54. ^ 『第五艦隊戦時日誌』C08030019900, pp.21〔 二日一八五五 樅駆逐艦長(宛略)(GF電令第五六二號関聯)樅 檜 三日一〇〇〇高雄發一六〇〇馬公着ノ予定 〕
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  69. ^ a b 『第三十一戦隊日誌』C08030074800, pp.62-63〔 五.作戰経過概要 自昭和十九年十二月二十二日 至昭和二十年一月三十一日 第三十一戰隊司令部 〕(昭和19年12月28日)(略)〔 31S(樅)一一三〇発 一五〇〇西貢着 〕〕〔 一.31S(樅)一五〇〇発一八〇〇サンジャック着/二.杉 樫 榧 一一三〇サンジャック着|将旗ヲ樫ニ移揚ス 〕
  70. ^ 『第三十一戦隊日誌』C08030074800, p.63〔 五.作戰経過概要 自昭和十九年十二月二十二日 至昭和二十年一月三十一日 第三十一戰隊司令部 〕(昭和19年12月31日)(略)〔 五二駆(檜 樅)生田川丸護衛〇七三〇サンジャック発マニラニ向フ 〕
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  74. ^ 『第三十一戦隊日誌』C08030074800, p.26〔 四日一九三〇(司令)52dg(宛略)|生田川丸ヲ護衛 檜 樅 マニラ着|無電 〕
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  100. ^ 『第三十一戦隊日誌』C08030074800, p.6(昭和19年12月~昭和20年1月、第31戦隊)〔(一)麾下兵力ノ状況(沈没セルモノヲ除ク)(中略)備考 一.右兵力中 樅ハ一月五日 旗風ハ一月十五日 梅ハ一月三十一日夫々沈没 檜ハ一月七日消息不明(以下略) 〕
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  102. ^ #S20.04秘海軍公報(2) p.26〔 内令第三〇九號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和二十年四月十日 海軍大臣 第一驅逐隊ノ項中「野風、」ヲ削ル 第五十二驅逐隊ノ項中「檜、」ヲ削ル 〕
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参考文献[編集]

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    • 第三十一戦隊司令部『自昭和十九年十二月二十二日至昭和二十年一月三十一日 第三十一戦隊戦時日誌』(昭和19年12月22日~昭和20年4月30日 第31戦隊戦時日誌(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030074800

関連項目[編集]