櫛部静二

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櫛部 静二(くしべ せいじ、1971年11月11日 - )は、日本の陸上競技選手で運動生理学者城西大学経営学部准教授(2010年5月 -)、城西大学男子駅伝部監督。1時間走の日本記録保持者。山口県宇部市生まれ。宇部鴻城高等学校早稲田大学人間科学部スポーツ科学科卒業、日本体育大学大学院修了。

来歴・人物[編集]

1989年インターハイ3000メートル障害において、8分54秒27の大会新で優勝。(同年スーパー陸上で8分44秒77の高校記録樹立)早稲田大学競走部在籍中の1991年に1年生ながら箱根駅伝2区走者として抜擢される。トップでタスキを受けながらも、後半大失速するというアクシデントに見舞われる。大失速した理由として、折からの体調不良により脱水症状に陥ったと言われていたが、実際は前年末に合宿所にOBから刺身が差し入れられたものの、自身はその時外出中で食べる事が出来ず、残っていたものを翌日に食べてしまった結果、軽い食中毒になってしまった。また、この時は前半から靴紐がほどけたまま走っている姿をテレビ中継の早い段階から指摘されており、大丈夫かと心配されながらの後半大失速であった。トップから14位に転落し、フラフラになりながら右に左に蛇行し、時に歩きだしたり、立ち止まり両手で顔を覆うシーンがテレビで生中継され、この大会での思い出深いシーンとなった[1]。結局、次走者の花田にはなんとか中継に成功。しかしその失敗をバネに、1992年の全日本インターカレッジ10000mにおいて28分52秒25で優勝。翌々年の箱根駅伝1区(21.4km)では、1時間2分9秒の区間新記録を出し、区間賞を取り、早大三羽烏と呼ばれた同期の武井隆次花田勝彦や、その年入学した渡辺康幸とともに往路優勝、総合優勝に貢献した。

大学卒業後、早大OBの瀬古利彦が監督を務めていたエスビー食品に入社し、1998年の全日本実業団1万mで優勝するなどの活躍をしたが、同年指導者になりたいとして退社。日本体育大学大学院進学後、愛三工業に所属する実業団選手として、また指導者として城西大学駅伝部コーチとして復帰。

指導者として多忙ながらも精力的に各種レースへ出場し、自らの走りで学生たちを牽引している。2004年の北京国際マラソンでは前日の箱根駅伝予選会で城西大の予選通過を見届け、その後に飛行機で移動するという強行スケジュールで睡眠時間もままならないまま30km過ぎまでトップを独走するという離れ業をやってのけた。 2006年にはTBS系連続ドラマ「鉄板少女アカネ!!」に出演。この時に共演した堀北真希から北京国際マラソンへの応援メッセージを送られる。

陸上競技マガジン「T&F 3分クリニック」で長距離部門の連載も担当している。

主な職歴[編集]

  • 1994年ヱスビー食品入社
  • 2004年城西大学理学部保健体育助手
  • 2001年城西大学男子駅伝部コーチ就任
  • 2005年城西大学経営学部 マネジメント総合学科の講師

主な記録[編集]

(マラソンベストタイム  2:11:22)

  • 1989年全国高校選手権大会 3000m障害 優勝 ※この年に出した8分44秒77は現在でも日本高校最高記録として残っている。
  • 1992年全日本大学選手権大会 10000m 優勝
  • 1993年第69回箱根駅伝1区区間賞(区間新)
  • 1996年シドニーマラソン 第2位(2:16:17)
  • 1998年全日本実業団陸上競技選手権 10000m 優勝
  • 2002年防府読売マラソン 第3位(2:11:22)
  • 2004年北京国際マラソン 第8位(2:17:00)
  • 2005年東京国際マラソン(2:16:52)
  • 2006年北京国際マラソン 第21位(2:19:16)

関連書籍[編集]

  • 箱根駅伝 男たちの記録 - 2008年11月1日発行 ISBN 9784796666978
  • 基礎からわかる!中長距離走トレーニング

脚注[編集]

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  1. ^ アサ芸+. “「挫折」の受け止め方・最終回 櫛部静二”. 2013年12月6日閲覧。