正統カリフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
検索に移動
正統カリフ
الخلفاء الراشدون
アラブ人
サーサーン朝
東ローマ帝国
622年 - 661年 ウマイヤ朝
正統カリフの国旗
(国旗)
正統カリフの位置
公用語 アラビア語
首都 メディナ(622年〜656年)
クーファ(656年〜661年)
預言者(622〜632年)
カリフ(632〜661年)
622年 - 632年 ムハンマド
632年 - 634年アブー・バクル
656年 - 661年アリー
面積
655年6,400,000km²
人口
7世紀21,400,000人
変遷
ヒジュラ 622年
ムハンマドの死632年6月8日
マグリブの征服7世紀-8世紀
サーサーン朝を滅ぼす651年
ウマイヤ朝の成立661年
通貨ディナール
ディルハム
現在サウジアラビアの旗 サウジアラビア
カタールの旗 カタール
バーレーンの旗 バーレーン
アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦
 オマーン
イエメンの旗 イエメン
ヨルダンの旗 ヨルダン
イスラエルの旗 イスラエル
パレスチナの旗 パレスチナ
レバノンの旗 レバノン
トルコの旗 トルコ
アルメニアの旗 アルメニア
ジョージア (国)の旗 ジョージア
アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン
シリアの旗 シリア
イラクの旗 イラク
クウェートの旗 クウェート
イランの旗 イラン
アフガニスタンの旗 アフガニスタン
トルクメニスタンの旗 トルクメニスタン
 エジプト
 リビア

正統カリフ(せいとうカリフ、الخلفاء الراشدون - al-Khulafā’u r-Rāshidūnアラビア語で「正しく導かれた代理人たち」の意)は、イスラム教イスラム帝国の初期(アラビア語: الخلافة الراشدية‎ - al-khilāfat ar-Rāshidīyah - en)の時代においてイスラム共同体ウンマ)を率いたカリフのことを指すスンナ派の用語。正統カリフ4代のうちアブー・バクルを除く3代の正統カリフが暗殺されてこの世を去っている。

歴史[編集]

アブー=バクル[編集]

632年使徒ムハンマドが死去した後、アブー・バクルがイスラム共同体の長に選出された。 リッダ戦争英語版(632年 - 633年)。ドゥーマト・アッ=ジャンダルの戦い英語版を指導し、634年に病没する。以降は、同様にイスラム共同体の合議によって選出され継承を行った。

ウマル[編集]

634年にカリフに選ばれ、636年ヤルムークの戦いカーディシーヤの戦い642年ニハーヴァンドの戦いを指導する。644年に刺されて、息を引き取る前に後継者候補と選挙方法を残した。

ウスマーン[編集]

644年にカリフに選ばれ、サーサーン朝を滅亡させるなど、遠征を終結した。海軍を整え、655年マストの戦い英語版で、東地中海の制海権を確保した。クルアーンの制式版を編纂し、版ごとの異同をなくした。656年政策に不平を持つムスリム兵の謀叛により殺害される。

アリー[編集]

656年ウスマーンの跡を継ぎカリフになる。ムハンマドの妻アーイシャとの確執とムアーウィヤとの対立により内乱に直面する。

ムアーウィヤとの講和によりハワーリジュ派が起こる。対立カリフを名乗ったムアーウィヤとの戦いに追われる中、661年にハワーリジュ派の刺客によって殺害される。

ウマイヤ朝の成立[編集]

661年にアリーがハワーリジュ派に暗殺された後、ウマイヤ家ムアーウィヤが実力でカリフ位に就いてウマイヤ朝を興した。ムアーウィヤはカリフ位世襲の道を開いたため、正統カリフの時代は終焉した。

歴代カリフ[編集]

  1. アブー・バクル(632年 - 634年)
  2. ウマル(634年 - 644年)
  3. ウスマーン(644年 - 656年)
  4. アリー(656年 - 661年)

関連項目[編集]