正親町三条公敦

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本来の表記は「正親町三條公敦」です。この記事に付けられた題名は技術的な制限または記事名の制約により不正確なものとなっています。
 
正親町三条公敦
時代 室町時代初期
生誕 不明
死没 応永16年(1409年
官位 従二位権大納言
主君 後小松天皇
氏族 正親町三条家(実音流)
父母 父:正親町三条実音
兄弟 公敦公頼後円融天皇後宮
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正親町三条 公敦(おおぎまちさんじょう きんあつ)は、室町時代初期の公卿准大臣正親町三条実音の子。官位従二位権大納言

経歴[編集]

以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

応永3年(1396年)1月28日、能登権守を兼ねる。この時、参議正四位下[1]。同年9月12日、参議を辞退。応永6年(1399年)4月22日、権中納言に任ぜられ従三位に叙せられる。応永12年(1405年)3月17日、権大納言に任ぜられる[2]。同年7月11日、権大納言を辞退。

応永13年(1406年)1月6日、正三位に昇叙。応永14年(1407年)1月5日、従二位に昇叙。

応永16年(1409年)、薨去。

正親町三条家の中継ぎ[編集]

正親町三条家の傍流の出身であるが、本流の正親町三条実豊が早世したため、従三位のまま権大納言に任ぜられるという異例な昇進をした。当時、従三位で権大納言に任ぜられたのは足利将軍家だけである。

脚注[編集]

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  1. ^ 任参議以前の官歴は不明である。
  2. ^ 前年に本流の正親町三条実豊が薨去している。父・実音が持明院統に忠誠を尽くし准大臣を受けたことの影響があると考えられる。

参考文献[編集]