武田広親

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武田 広親(たけだ ひろちか、生没年不詳)は、明治時代の浮世絵師

来歴[編集]

小林清親の門人で、本名は保太郎。実家が麻布市兵衛町にあり、清親が明治14年(1881年1月26日の両国の大火で被災し源助町に住んだ頃入門し四、五年学んだという。明治10年代後半から明治20年頃ポンチ絵をよく描いており、健筆であったといわれる。作品として明治20年(1887年)の2枚続の錦絵「廿三年未来鑑」があげられる。この作品において清親門人と記している。

参考文献[編集]