武韋の禍

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武韋の禍(ぶいのか)は、高宗の死後、その皇后で後に帝位に即いて周を建てた武則天(則天武后)と、武則天の子でその後を継いだ中宗の皇后の韋皇后による簒奪の計画、およびそれにより起こった政治の混乱の総称。その後の玄宗開元の治によって収束を迎え、唐は安定を迎えた。

参考文献[編集]

  • 全国歴史教育研究協議会編『世界史B用語集 改訂版』山川出版社 2008年
  • 尾形勇ほか12名編『世界史B』東京書籍 2010年