死のロード

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死のロード(しのロード)は、プロ野球NPB球団・阪神タイガースが毎年8月に実施する長期遠征(ロードゲーム)の通称。

2000年代頃からは単に「長期ロード」、或いは阪神が優勝争いに加わっている場合は稀にだが「Vロード」などと呼ばれることもある。

概要[編集]

阪神タイガース(以下、阪神)の本拠地である阪神甲子園球場(以下、甲子園球場)は高校野球全国大会を開催するための会場として建設した球場であるため、毎年8月の全国高等学校野球選手権大会(以下、高校野球)の開催期間中とその前後に関しては、阪神は甲子園球場では主催公式戦を開催せず、他球団本拠地でのビジターゲームを行ったり、大阪ドーム[1] で主催公式戦を開催している。

高校野球は基本的に[2] 8月上旬から中旬にかけての二週間で開催されるため、阪神は概ねその開幕の数日前から閉幕日後の数日間に及ぶ期間(三週間程度)を遠征に充てており、これが「長期ロード」と呼ばれている。

経緯[編集]

甲子園球場では、高校野球開催時はバックネット裏やアルプススタンドの一部座席が撤去されるなどしており座席配置がプロ野球開催時と一部異なることや、高校野球は試合展開の都合上夕刻以降にも試合を行うケースも多いなど混乱の元となるため、高校野球との同時開催は不可能であり、阪神はこの間甲子園球場では公式戦は開催しない他、閉幕後にスタンドをプロ野球仕様に復元するなど準備期間が必要なため、阪神の公式戦の開催は高校野球閉幕後4〜5日ほど空けてから再開される。通常は雨天順延なども考慮して、閉幕後のインターバルは余裕を持たせているが、過去には記録的長雨の影響で1975年第57回全国高等学校野球選手権大会の日程が大幅に順延し、決勝戦が8月24日に開催されたことから、同年8月23日翌24日に予定されていた阪神対ヤクルト戦が高校野球優先として開催が取り消され、順延となった事例がある。

セントラル・リーグでは、基本的に4カード以上連続してビジターゲームを組むことがないように日程を定めているが、かつてはこの時期の阪神はしばしばこの規定を逸脱することもあった(例えば2000年は8月4日 - 20日まで5カード連続でビジターが組まれた[3])。阪神は日本プロ野球創設時(1930年代中頃)から1970年代中頃までは優勝争いに絡むことが多々あったが、この長期ロードで敗戦を重ねて戦線から脱落、悪い時には4位以下(Bクラス)でシーズンを終えることがあった[4]。さらに1970年代終盤からチームは低迷し、それに加えて長期ロードでの成績が際立って悪くなる傾向が顕著になってきたため、俗に「死のロード」と呼ばれるようになった。

負担軽減のために[編集]

1972年(昭和47年)以前は山陽新幹線がなく、広島東洋カープの本拠地広島市民球場への移動となると夜行列車利用や新大阪駅での乗り換えを強いられた上、広島以外の都市でも宿泊は旅館の大部屋で雑魚寝という時代もあり、選手の肉体的負担も大きかったが、現在では移動は新幹線グリーン車または航空機、宿泊はシティホテルの個室と体力的負担は大きく低減された。ただし、1985年(昭和60年)にはロード期間中に東京から飛行機で移動しようとした当時の球団社長中埜肇日航123便事故に巻き込まれて死亡したため、以後はセ・リーグ公式戦での移動は原則新幹線利用となった。

この約1ヶ月の長期ロードによる負担を少しでも和らげるため、1965年(昭和40年)から1979年(昭和54年)までは甲子園球場に近い京都・西京極球場(現・わかさスタジアム京都)で3試合または6試合、1973年(昭和48年)から1979年までは岡山県営球場で3 - 4試合程度の主催公式戦を開催した。

その後、福岡県を本拠地としていた球団がなかった1980年から1988年[5] までは福岡市平和台野球場で2試合の主催公式戦を開催していたり、他の関西地区の球場はそれぞれの本拠地球団の日程に抑えられて使用許可が出なかったり、プロ野球開催に必要な施設や収容人員などが整わないことなどから使用できず、実に3週間以上も関西での試合がない状態が続いたが、1988年にグリーンスタジアム神戸(ほっともっとフィールド神戸)が竣工すると、阪神は高校野球期間中(主に8月15日前後)にグリーンスタジアム神戸で主催公式戦を行うようになった(1994年まで)。また、グリーンスタジアム神戸がオリックス・ブルーウェーブの本拠地となった1991年からはオリックスの前本拠地である阪急西宮球場も使用した(1996年まで。この時点では阪急と阪神との経営統合の前。同スタジアム最後のプロ野球公式戦も同年8月24日の対広島東洋カープ戦だった)。

京セラドーム完成後[編集]

さらに1997年に大阪ドーム(京セラドーム大阪)が完成すると、阪神は同ドームで主催公式戦を年3カード前後開催するようになり、このうちの1カード3連戦を8月15日前後に設定している。他に選抜高等学校野球大会期間中の「ホーム開幕シリーズ」3連戦も恒例。もう1カードも夏場だが、当初は梅雨時に行われていた。しかし、セ・パ交流戦が導入された2005年以降は夏休み期間に行われるケースも多い。特に2007年8月14日8月19日まで大阪ドームで阪神主催の6連戦が編成された(対中日ドラゴンズ、広島東洋カープ各3連戦)[6]。また2009年はセ・リーグの公式戦3カード(9試合)に加え、セ・パ交流戦の北海道日本ハムファイターズ戦2試合(当初、甲子園球場での開催予定だったのを変更)が追加され、4カード11試合となった。京セラドームで主催試合が行われるようになって選手は高校野球期間中でも一度自宅に戻ることが可能となり、「長期遠征」「死のロード」という概念は年々薄らぎつつある。

2002年星野仙一が阪神の監督に就任した際、この長期遠征を迎えた折に報道陣から意気込みを問われたときに「もう『死のロード』は死語」と釘を刺したことなどもあって、これ以降は単に「長期ロード」と呼ばれるようにもなった。

「死のロード」の表現を避けるもう一つの根拠として、ドーム球場での試合の増加が挙げられる。暑い時期である8月に、高校野球期間中唯一関西で主管試合を開催する京セラドーム大阪のほか、セ・リーグ他球団の本拠地(ナゴヤドーム東京ドーム)でのビジターの試合もあり、トータルでは空調完備で屋外球場より涼しいドーム球場での試合数が半数程度を占めることも挙げられる[7][8]。ただ現在でも「死のロード」の表現を使うこともある[9]

阪神とオリックス・バファローズは2005年から2007年までの3シーズンの間、兵庫県大阪府の2府県を暫定的に保護地域としていた。また1997年以降、阪神が京セラドーム大阪を使用する場合はオリックス(2004年までは大阪近鉄バファローズ)と折衝を行った上で使用日程を決めている。また2008年以降は阪神が兵庫、オリックスが大阪にそれぞれ保護地域を一本化されたが、仮にこの間、8月中旬の大阪ドームの使用日程が調整できない場合は、神戸を使用する可能性が若干ながらあるものの、オリックスは大阪ドームでの公式戦の観客動員数が伸び悩んでいることなどから、引き続き神戸での開催数を年間20試合程度確保したい旨を表明していた。阪神も大阪ドームで引き続き公式戦を開催する予定であることなどから、両球団は双方の保護地域での試合数確保について今後も引き続き協力し合う意向を明らかにしている。

このことから、2008年以後も甲子園球場が使えない夏季の長期遠征実施時の関西圏での主催試合は京セラドームのみで開催されており、神戸を含む本来の兵庫県など周辺府県では1試合も行われていない。

2009年以前は、後述の2008年以外、ほぼ8月4 - 5日ごろまで甲子園球場で公式戦をしたのち、約3週間程度の遠征という体が続いていたが、2010年代になってから、甲子園練習(2015年除く)などの事前準備期間の増加などから遠征日数は増加の傾向をたどる。2010年8月2日から8月29日)と2012年8月3日から8月30日)、2013年(期間は2010年と同じ)はいずれも4週間かけての24試合と、ここ数年で最長の長期遠征(途中、大阪ドームでの主催試合がそれぞれ2カード組まれている)となった。(2008年も高校野球の開幕時期が8月2日[10] であることを考慮して7月28日から8月25日のほぼ1ヶ月間甲子園を離れていたが、途中にオールスター北京オリンピック野球日本代表の強化試合および五輪本戦の開催に伴う中断期間があった[11]

しかし、2017年(平成29年)は7月28日の中日戦を皮切りに、8月27日の巨人戦まで、途中京セラドームでの阪神主催2カード・6試合(8月4 - 6日・ヤクルト戦、8月15 - 17日・広島戦)を挟む形で、ちょうど1か月に当たる31日間・延べ27試合にわたり、上記よりもさらに長い過去最長の遠征となった。2018年(平成30年)も同様に、途中京セラドームでの主催2カード・5試合も挟みつつ7月27日より8月26日までの長期遠征となっている。

ファームの場合[編集]

このほか、阪神の二軍も同様に、この期間中は全国高等学校野球選手権大会出場校が阪神鳴尾浜球場とその隣接地にある鳴尾浜臨海公園野球場(西宮市営鳴尾浜球場)を練習に使用するため長期ロードを強いられる場合がある。特に二軍の場合は元々夏場でも炎天下でのデーゲームがほとんどなうえに、広島の二軍本拠地由宇球場など一軍本拠地よりも交通の便が悪い球場も多く、長時間の移動を要するため一軍より過酷とも言える。ただ、鳴尾浜が全く使えないというわけではなく、夏の高校野球全国大会開催中でも鳴尾浜で二軍主催試合が行われることもある。

他球団の例[編集]

セ・リーグでは阪神以外の他球団についても全国高等学校野球選手権大会の地方大会都市対抗野球などのアマチュア野球の大会で本拠地が使用されることがあるため春から夏にかけて、長期ロードを強いられる球団が多い。

特に顕著なのが巨人で、都市対抗野球大会や全日本大学野球選手権大会で本拠地の東京ドームが使用できない時期には、阪神ほどの長期にはならないもののビジターゲームが続く時期がある。逆に、阪神が長期ロードに出ている間は、巨人は東京ドームでの本拠地開催が続く。

東京ヤクルトスワローズも本拠地の東京・神宮球場東京六大学野球春のリーグ戦と重なる4月から5月にかけては、週末にナイトゲームができず地方球場での開催を行うことが多く、2005年(平成17年)までは千葉ロッテマリーンズの本拠地ZOZOマリンスタジアムで毎年5月末ないし6月頭の早慶戦前後に1カード開催するのが恒例となっていた。 2020年東京五輪及び東京パラリンピック開催のため、神宮球場が資材置場で使用ができなくなるため、阪神よりも長期ロードになる予定。

脚注[編集]

  1. ^ なお、タイガースの親会社である阪神電気鉄道は大阪ドームの旧運営法人(第3セクター)に出資していた。
  2. ^ 夏季オリンピックなどと日程が重なる場合は変則的に開幕を早めることもある。
  3. ^ 2000年タイガース試合結果
  4. ^ 一番顕著だった1974年は6月から巨人、中日を引き離し首位独走の態勢に入っていたが、8月のロードゲーム15試合に3勝11敗1分(最後は6連敗)と大きく負け越し首位陥落。最後は4位に終わった。
  5. ^ 1988年は後述の神戸開催がの帰省時期にあったので9月に開催した。なお、同年オフに南海ホークスダイエーに球団譲渡し、本拠地を福岡に移転したため、福岡での阪神主催の公式戦はこの年を最後に行われていない。ただし、2010年のオープン戦の対広島戦が福岡 Yahoo!JAPANドーム(ヤフオクドーム)で行われた事例があるほか、2013年7月沖縄セルラースタジアム那覇での対中日戦は沖縄県を広義の九州地方としてみなした場合、1988年以来25年ぶりの九州での主催試合だった。
  6. ^ 2013年も8月13日 - 19日の広島東洋カープ、東京ヤクルトスワローズとの各3連戦が京セラドームにて行われた。
  7. ^ 参考に、2017年の8月は、阪神はドーム15試合・屋外12試合だが、広島はドーム9試合・屋外18試合であった。2018年の8月も、阪神はドーム15試合・屋外10試合だが、広島はドームは6試合のみ、屋外は21試合が組まれている。
  8. ^ 阪神超長期“死のロード”より酷 2位争いDeNAの“死の日程”(2017年7月29日 日刊ゲンダイ 同7月31日閲覧)
  9. ^ 例「阪神、死のロード突入 カギは監督の手腕 エンドランも減ってきて…」(2014年8月6日夕刊フジ 同8月8日閲覧)
  10. ^ この年が第90回記念大会で出場が55チームに拡大したことと、後述の北京オリンピックへの影響を配慮したものである。
  11. ^ 7月30日-8月2日までオールスターによる中断、8月8日-8月12日まで北京五輪強化試合・および五輪本戦による中断、8月22日8月23日も北京五輪本戦による中断があったため、大阪ドームでの主催6試合を含む17試合のみの開催だった。

関連項目[編集]