母に捧げるバラード
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「母に捧げるバラード」 | ||||
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海援隊 の シングル | ||||
初出アルバム『『望郷篇』』 | ||||
B面 | 「さすらいの譜」 | |||
リリース | ||||
ジャンル | フォーク | |||
レーベル | エレックレコード | |||
作詞・作曲 |
武田鉄矢(作詞) 海援隊(作曲) | |||
ゴールドディスク | ||||
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チャート最高順位 | ||||
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海援隊 シングル 年表 | ||||
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『母に捧げるバラード』(ははにささげるバラード)は、海援隊の楽曲。1973年発売のアルバム『望郷篇』に収録され、同年中にシングルカットされ発売された。
解説[編集]
海援隊のデビュー当時のヒット曲で、発売当初は忘年会用の面白ソングとして注目された[1]。この曲でエレックレコード所属アーティストでは初めて紅白歌合戦(1974年)に出場した。その後、イクが他界した1998年の第49回でも歌唱した。
海援隊の武田鉄矢が、母・武田イクに宛てたメッセージソングの様式をとっており、短い歌詞と長い博多弁の台詞で構成されている。また、基本的に歌詞部分は固定され、台詞部分の違いにより多数のバリエーションが存在する。
母・イクは「タバコのくだり以外あの歌は全部ほんと。よう私のことばとってるんですよ。博多弁ゆうけど、私のことばは小国弁との混じり弁です。正直な博多弁じゃない。ようそこをとっとるんです」と話している。武田鉄矢は中学・高校と生徒会長をしていたので、タバコを吸い始めたのは大学へ行ってからだという[2]。
アルバムバージョンはシングルバージョンとは違い、シングルでのイントロの前にハーモニカによる「故郷」の演奏がある他、セリフも違っている。2007年に「エレックシングルボックス」の中の一枚として紙ジャケットでマキシシングル化されたが、単体での発売はまだない。
シングルバージョンは、新たにエレックレコードが設立されるまで、自分達のベストアルバムには入っていなかった。初CD化は『エレック・アンソロジー2~Singles & Rare』である。他にエレックレコードが関わっていないアルバムでのシングルバージョン収録アルバムには「青春歌年鑑」の1974年盤がある。新たにエレックレコードが設立されて以後は、「エレックシングルコレクション 喜怒哀楽」、2008年に出された「ベストアルバム」、「エレック・シングルコレクション」(ポニーキャニオンから出された。)等に収録されている。1998年には、1980年の日本武道館でのライブバージョンがCDシングル化され、カップリングには「母に捧げるバラード'82」と言うタイトルで1982年の地元の福岡サンパレスでのライブバージョンが収録されている。
エピソード[編集]
- 武田鉄矢は1977年の『幸福の黄色いハンカチ』より前に、本楽曲をモチーフとした東映の歌謡映画で1974年に俳優デビューする予定だった[3]。監督は鈴木清順と発表され[4][5]、1967年の『殺しの烙印』以来の復帰作として注目されたが[4]、東映での初主演をオファーされていた岡田裕介が脚本を読み[5]、「こんなホンで東映はよく映画を作っているね」と父の岡田茂東映社長に言ったら激怒したが、岡田茂もホンを読み「確かに酷い」と認めた[5]。岡田茂は翌日、会社でも怒り、担当プロデューサーをクビにし企画も潰した[4][5]。
- 当曲を原作としたテレビドラマ「コラ!なんばしよっと」が、1992年から1997年までNHKで放送された。
- この曲を題材にした舞台「母に捧げるバラード」で、武田鉄矢が本人と母親の二役を演じ、2002年から公演を行っている。
- 2008年に放送開始したフジテレビ「おふくろ、もう一杯」のBGMに起用。
- NO PLANが2006年1月25日に発売したアルバム「LAST PLAN」内では、同曲の詞と一部タイトルを変更した「内村さんに捧げるバラード」という曲が収録されている。曲の内容は内村光良が武田のものまねをしながら残りのNO PLANメンバーに対して一人ずつ叱咤激励していくというもの。他のNO PLANメンバーは歌唱パートを担当している。
- 2007年にSkoop On SomebodyのTAKEとゴスペラーズの村上てつやによるユニット「武田と哲也」(当時は「武田哲也」名義)が詞を変更してカバーした。
収録曲[編集]
- 母に捧げるバラード
- 作詞: 武田鉄矢/作曲: 海援隊
- さすらいの譜
- 作詞: 武田鉄矢/作曲: 中牟田俊男
脚注[編集]
- ^ 富澤一誠『フォーク名曲事典300曲〜「バラが咲いた」から「悪女」まで誕生秘話〜』ヤマハミュージックメディア、2007年、245頁。ISBN 978-4-636-82548-0
- ^ サンデー毎日、1974年4月14日号P.42.43
- ^ NEXT 映画『母に捧げるバラード』 - 映画の國 || コラム ||
- ^ a b c 「トップインタビュー/岡田裕介 東映(株)代表取締役社長」『月刊文化通信ジャーナル』2011年3月号、文化通信社、 27頁。
- ^ a b c d “『3億円』で岡田親子がケンカ 裕介と『キワモノ』論争 オヤジがおれて一件落着”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 11. (1975年10月7日)
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