水口栄二
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![]() オリックスコーチ時代 (2011年9月15日 ほっともっとフィールド神戸にて) | |
基本情報 | |
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国籍 |
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出身地 | 愛媛県八幡浜市 |
生年月日 | 1969年1月9日(51歳) |
身長 体重 |
174 cm 78 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 二塁手、遊撃手 |
プロ入り | 1990年 ドラフト2位 |
初出場 | 1991年5月11日 |
最終出場 | 2007年10月2日(引退試合) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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コーチ歴 | |
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この表について
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水口 栄二(みずぐち えいじ、1969年1月9日 - )は、愛媛県八幡浜市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)・コーチ。
愛媛県立松山商業高等学校(松山商)3年生時代の1986年に主将として出場した第68回全国高等学校野球選手権大会で、1大会における安打最多(19安打)を記録。また、現役選手時代には日本プロ野球歴代7位の通算279犠打を記録。そのうち大阪近鉄バファローズに在籍した14年間では、同球団史上最多の通算261犠打を記録。1997年にシーズン最高記録の42犠打を樹立したほか、2001年・2004年にもパシフィック・リーグの最多犠打を達成している。
経歴[編集]
学生時代[編集]
松山商業高校から早稲田大学人間科学部スポーツ科学科に進学。松山商時代の1986年には、主将としてチームを夏の甲子園で準優勝に導いた。水口自身も、前年の大会で佐藤勝実(宇部商業高校)が記録した大会最多安打記録(15安打)を大幅に更新する19安打を放つと共に、同じく前年の大会で清原和博(PL学園)が記録した大会最多塁打記録(27塁打)にも並んだ。
早稲田大学では、1年生から硬式野球部で遊撃手のレギュラーを獲得。4年生になった1990年には、第80代主将として、チームを15シーズン振りのリーグ優勝に導いた。東京六大学野球のリーグ戦では、通算で92試合出場。339打数91安打、6本塁打、27打点、打率.268という記録を残す一方で、ベストナインを4回獲得した。
1990年末のプロ野球ドラフト会議で、近鉄バファローズから2位指名を受けて入団(尚、社会人経由ではない早稲田大学としての指名野手は1979年の岡田彰布以来である)。近畿大学呉工学部からドラフト3位で指名された松山商時代の同級生・佐野重樹と、再びチームメートになった。
近鉄時代[編集]
近鉄に入団して初めて迎えたキャンプで、当時チームの主砲であったラルフ・ブライアント、鈴木貴久らが打撃練習で外野スタンドに次々と打球を放り込んでいく姿を見てショックを受け、「場違いな世界に来てしまった。自分のような非力なバッターがプロでやっていけるんだろうか」と近鉄に入団したことを後悔したという。
1年目の1991年から、猛打の近鉄打線の中で小技のできる内野手として重宝され、代走や守備固めで68試合に出場した。だが、1992年、1993年も、二塁の大石大二郎、遊撃の吉田剛のサポート役としての起用が多く、レギュラーを奪うまでには至らなかった。
1994年に吉田に代わり遊撃手のレギュラーを獲得し、打率.272の活躍で初の100試合出場を達成した。翌1995年も2番・遊撃手に定着した。
1996年シーズン中盤から大石の衰えにより二塁手へコンバートされ、自己最多の8本塁打を放った。同年はオールスターゲームに出場。以後、近鉄バファローズが消滅するまでの9年間、正二塁手であり続けた。
しかし1999年は開幕戦で太もも負傷、8月のぎっくり腰などで1軍と2軍を行き来する状況で、正二塁手を高須洋介に譲り、本人は30試合の出場にとどまってしまう。
2000年はそれまで1番だった大村直之が前年からの不振を引きずり、春先は武藤孝司も不振だったことに加え、水口自身が好調だったため大村に代わり1番を務めた。6月中旬までは3割をキープしていたがその後は不振になり、そのままシーズンを終える。後半戦は武藤の怪我もあり、12試合遊撃手で先発出場している。
2001年、大阪近鉄バファローズの12年ぶりの優勝に、不動の2番・セカンドとして貢献した。ファウルで粘るいやらしいバッティングが持ち味だが、僅差の2位で迎えた9月17日の対西武戦での松坂大輔からの決勝打や、ヤクルトスワローズとの日本シリーズ第2戦での島田直也からの同点3ランなど時に目を見張るような活躍を見せた[1]。
2004年は3年ぶりに規定打席に到達した。打率も.293と好調だった。オフの分配ドラフトを経てオリックス・バファローズに移籍。近鉄出身者としては数少ない仰木彬監督時代を知る選手でチームの融和に努めた。
オリックス時代[編集]
2005年は平野恵一・塩崎真らとの併用で起用された。この年から二塁手だけでなく三塁手としても起用されるようになる。
2006年8月30日の対西武戦で1500試合出場を達成した。7月2日、三輪隆バッテリーコーチ(同じ1969年生だが、水口の方が早生まれのため学年が一つ上)に怒声を上げた。この日の対西武戦における二度のバッテリーミスに関しての三輪の指摘が投手陣にのみ向けられたのに対し、チーム内においてチームリーダー的な存在である水口が、投手陣だけでは無く捕手にもミスを指摘すべきであると不満を爆発させたものと思われる(その時の捕手は的山哲也)。この年から一塁手としても起用されるようになる。
2007年は前年より出場機会が減ったこともあり、9月29日、現役引退を表明。打撃コーチ就任が発表された。10月2日、京セラドーム大阪でのレギュラーシーズン最終戦である福岡ソフトバンクホークス戦の6回裏に代打として登場し、プロ最終打席を迎える。結果は三塁ゴロだった。試合後、引退セレモニーが行われた。現役最終年は52試合の出場で幕を閉じた。
オリックスコーチ時代[編集]
2008年からは、オリックスに残って一軍打撃コーチを担当していた。しかし2012年には、公式戦開幕直後から一軍で打撃不振が続いたことから、大島公一と入れ替わる恰好でシーズン途中で二軍打撃コーチへ降格。そのまま一軍へ復帰することなく、シーズン終了後の同年10月6日付で球団からコーチ職の解任を通告された。
オリックスコーチ退任後[編集]
オリックスを退団した2013年からは、西宮市で、小学4年生から中学3年生までを対象にした有料会員制の野球教室「水口栄二の野球心(みずぐちえいじのやきゅうしん)」を開講。少年野球チームや個人への出張指導にも乗り出している。
詳細情報[編集]
年度別打撃成績[編集]
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1991 | 近鉄 | 68 | 70 | 61 | 5 | 15 | 3 | 0 | 0 | 18 | 3 | 2 | 2 | 6 | 0 | 3 | 0 | 0 | 13 | 1 | .246 | .281 | .295 | .576 |
1992 | 53 | 48 | 43 | 4 | 9 | 1 | 0 | 0 | 10 | 2 | 3 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | 0 | 10 | 1 | .209 | .261 | .233 | .493 | |
1993 | 52 | 74 | 67 | 10 | 20 | 6 | 1 | 0 | 28 | 7 | 6 | 2 | 3 | 2 | 2 | 0 | 0 | 4 | 1 | .299 | .310 | .418 | .728 | |
1994 | 107 | 377 | 334 | 52 | 91 | 23 | 2 | 5 | 133 | 43 | 1 | 2 | 13 | 3 | 24 | 0 | 3 | 36 | 6 | .272 | .324 | .398 | .722 | |
1995 | 107 | 404 | 365 | 31 | 98 | 5 | 1 | 2 | 111 | 26 | 6 | 2 | 5 | 3 | 30 | 1 | 1 | 49 | 7 | .268 | .323 | .304 | .627 | |
1996 | 121 | 514 | 442 | 53 | 124 | 18 | 2 | 8 | 170 | 28 | 5 | 0 | 32 | 3 | 35 | 2 | 2 | 48 | 11 | .281 | .334 | .385 | .719 | |
1997 | 120 | 488 | 388 | 54 | 110 | 16 | 2 | 7 | 151 | 50 | 10 | 1 | 42 | 3 | 52 | 1 | 3 | 42 | 7 | .284 | .370 | .389 | .759 | |
1998 | 124 | 442 | 373 | 47 | 87 | 13 | 3 | 2 | 112 | 36 | 6 | 4 | 26 | 3 | 37 | 0 | 3 | 33 | 8 | .233 | .305 | .300 | .606 | |
1999 | 30 | 76 | 61 | 9 | 16 | 2 | 0 | 2 | 24 | 3 | 1 | 0 | 2 | 1 | 11 | 0 | 1 | 4 | 2 | .262 | .378 | .393 | .772 | |
2000 | 129 | 548 | 462 | 57 | 116 | 16 | 1 | 3 | 143 | 39 | 1 | 4 | 20 | 6 | 59 | 0 | 1 | 54 | 3 | .251 | .333 | .310 | .643 | |
2001 | 110 | 502 | 403 | 68 | 117 | 10 | 0 | 3 | 136 | 30 | 1 | 2 | 38 | 0 | 60 | 0 | 1 | 45 | 10 | .290 | .384 | .337 | .721 | |
2002 | 94 | 363 | 314 | 48 | 80 | 12 | 0 | 5 | 107 | 23 | 0 | 1 | 26 | 1 | 20 | 0 | 2 | 43 | 2 | .255 | .303 | .341 | .643 | |
2003 | 96 | 350 | 304 | 36 | 88 | 9 | 2 | 5 | 116 | 38 | 0 | 0 | 19 | 1 | 25 | 0 | 1 | 41 | 5 | .289 | .344 | .382 | .726 | |
2004 | 118 | 473 | 389 | 55 | 114 | 20 | 0 | 6 | 152 | 40 | 0 | 0 | 27 | 4 | 50 | 0 | 3 | 60 | 6 | .293 | .374 | .391 | .765 | |
2005 | オリックス | 89 | 216 | 178 | 14 | 47 | 4 | 0 | 2 | 57 | 15 | 0 | 0 | 13 | 1 | 22 | 1 | 2 | 31 | 3 | .264 | .350 | .320 | .670 |
2006 | 91 | 270 | 243 | 18 | 62 | 7 | 0 | 3 | 78 | 24 | 0 | 1 | 4 | 4 | 19 | 0 | 0 | 42 | 9 | .255 | .305 | .321 | .625 | |
2007 | 52 | 95 | 83 | 4 | 19 | 3 | 1 | 0 | 24 | 10 | 1 | 1 | 1 | 1 | 9 | 2 | 1 | 14 | 1 | .229 | .309 | .289 | .598 | |
通算:17年 | 1561 | 5310 | 4510 | 565 | 1213 | 168 | 15 | 53 | 1570 | 417 | 43 | 22 | 279 | 36 | 461 | 7 | 24 | 569 | 83 | .269 | .338 | .348 | .686 |
- 各年度の太字はリーグ最高
記録[編集]
- 初記録
- 初出場:1991年5月11日、対福岡ダイエーホークス6回戦(長岡市悠久山野球場)、9回表に遊撃手として途中出場
- 初安打:1991年5月14日、対西武ライオンズ7回戦(藤井寺球場)、7回裏に渡辺智男から
- 初先発出場:1991年5月16日、対西武ライオンズ8回戦(藤井寺球場)、9番・遊撃手として出場
- 初犠打:同上、9回裏に石井丈裕から捕手前犠打
- 初打点:1991年6月8日、対ロッテオリオンズ10回戦(藤井寺球場)、4回裏に荘勝雄から
- 初盗塁:1991年6月9日、対ロッテオリオンズ11回戦(藤井寺球場)、3回裏に二盗(投手:笠原栄一、捕手:マイク・ディアズ)
- 初本塁打:1994年4月22日、対オリックス・ブルーウェーブ1回戦(日生球場)、4回裏に星野伸之から
- 節目の記録
- 1000試合出場:2001年8月29日、対千葉ロッテマリーンズ23回戦(大阪ドーム)、2番・二塁手として先発出場 ※史上374人目
- 200犠打:2002年6月19日、対オリックス・ブルーウェーブ11回戦(グリーンスタジアム神戸)、5回表にエド・ヤーナルから ※史上21人目
- 1000本安打:2004年5月3日、対西武ライオンズ7回戦(西武ドーム)、3回表に帆足和幸から左前安打 ※史上217人目
- 250犠打:2004年6月8日、対西武ライオンズ13回戦(大阪ドーム)、1回裏に西口文也から ※史上8人目
- 1500試合出場:2006年8月30日、対西武ライオンズ17回戦(スカイマークスタジアム)、7番・一塁手として先発出場 ※史上146人目
- その他の記録
- オールスターゲーム出場:1回 (1996年)
背番号[編集]
- 32 (1991年 - 1994年)
- 10 (1995年 - 2004年)
- 7 (2005年 - 2007年)
- 90 (2008年 - 2012年)
脚注[編集]
- ^ なお、その後の3年間は優勝できず、2004年オフに後述のオリックス・ブルーウェーブと合併して近鉄球団は消滅したためこの日本シリーズでの本塁打は近鉄の打者が日本シリーズで放った日本人選手最後の本塁打となった。第3戦以降は近鉄は日本人選手で本塁打を放った選手がいなかったため。
関連項目[編集]
- 愛媛県出身の人物一覧
- 早稲田大学の人物一覧
- 大阪近鉄バファローズの選手一覧
- オリックス・バファローズの選手一覧
- おおきく振りかぶって - 野球漫画。水口をモデルにしたキャラクター「栄口勇人」が登場する。
外部リンク[編集]
- 個人年度別成績 水口栄二 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube
- 水口栄二の野球教室 野球心
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