水時計

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

水時計(みずどけい)とは、容器にが流入(流出)するようにして、その水面の高さの変化で時をはかる時計のこと。東洋(中国由来)のものは漏刻(ろうこく)ともいう。西方のものはクレプシドラ(英綴り、clepsydra)ともいう。砂時計のような、点滴式のようなものもある。

概説[編集]

古代ペルシアの水時計

水時計は、日時計と同様、(日にちを数えるために刻み目を付ける棒を除けば)おそらく最古の計時器具である[1]。その古さゆえに水時計がいつ・どこで発明されたかは不明である。ただ、日時計では夜間には使えないことからこれを補うものとして水時計は作られたと考えられている[2]

水が流出する椀状の水時計は最も単純な型であり、紀元前16世紀ごろのバビロニア古代エジプトには既に存在していたことが知られている。世界の別の地域、例えばインド中国でも古くから存在していたが、最古のものがどの時代から存在していたかはよく分かっていない。しかしながら、水時計は前4000年には中国に出現していたと主張する研究者もいる[3]

ギリシア・ローマ文明は水時計の設計を最初に進歩させ、精度を向上させたと信じられている(これらに使われた複雑な歯車機構は奇抜なオートマタへとつながった)。これらの進歩は東ローマやイスラム時代を経て、最終的にはヨーロッパで開花した。その流れとは独立に中国人も進歩した水時計を創り出し、それは朝鮮半島や日本へと伝わった。

水時計の設計には各地で独立に生み出されたものもあれば、貿易によって知識が伝播したものもある。公衆が時刻を知りたがるようになったのは、労働時間が重要になってくる産業革命が最初である。それ以前には、水時計の使用目的は天文学および占星術であった。当時の水時計は日時計を基準にして目盛りが刻まれていた。これらの水時計は弁護士が法廷で発言する時間や売春宿の労働時間、夜警の勤務時間、教会での説教やミサの時間などを計るのに使われた。今日の計時器具ほどの精度は得られなかったものの、水時計は1000年の間最も正確で最もよく使われる計時器具であった。その地位は、より高い精度を持つ振り子時計17世紀のヨーロッパで発明されるまで保たれた。

エジプト[編集]

エジプト最古の水時計は、物的証拠から前1417年 - 1379年ごろ(アメンホテプ3世の時代)のもので、アメン=ラーを祭るカルナック神殿で使われていた[4]。水時計に関する最古の記録は前16世紀の宮廷人アメンエムハト(Amenemhet)の墓碑銘で、これは彼を水時計の発明者だとしている[5][6]。この時代の単純な(流出型の)水時計は、底近くに小さな孔の開いた石製の容器で、水面の降下速度をなるべく一定に近づけるべく下すぼまりな形状をしていた。内側には「一時間」を計るための目盛りが振られていたのだが、その目盛りは(不定時法に合わせた各月用の目盛りということで)12種類あった。カルナック神殿の水時計は、夜間、僧侶がしかるべき時刻に儀式を行うために使われた[7]。また、これらの水時計はおそらく昼間にも使われたと思われる。

バビロニア[編集]

バビロニアでは、水時計は流出型であり円筒状の形をしていた。天文学用の水時計の使用は、古バビロニア時代(前2000年頃 - 前1600年頃)にまで遡ると推定されている[8]

メソポタミア地方からは水時計の現物が見つかっておらず、その存在の証拠として最も有力なのは粘土板に書かれた情報である。例えば粘土板集"Enuma-Anu-Enlil"(前1600 - 2000年)や"MUL.APIN"(前7世紀)に、水時計が夜警および昼の見張り人への給料支払いに際して使われたとある[9]。 これらの水時計の独特な点は、(今日の時計のように)指針があるわけでもなく(エジプトの水時計のように)目盛りがあるわけでもなく、表示機構を全く欠いていたことである。その代わりにこれの水時計は時間を「流出した水の重さによって」測定した[10]。その重さは、マナ("mana"。ギリシャの単位で、約1ポンド)という単位で計られた。

バビロニア時代、時刻が不定時法によっていたことは重要である。つまり、季節が変わると日の出ている時間の長さが変わったのである。夏至に『夜の時計』の長さを定めるため、円筒の水時計に2マナの水が注がれた。それが空になることは夜間の終わりを示す。その後、半月ごとに6分の1マナが追加されなければならない。秋分には夜の長さと合わせるために3マナの水が必要になり、冬至の夜には4マナが費やされる[11]

イラン[編集]

ペルシアのフェンジャーン(水時計)

カリステネス(Callisthenes)英語版によると、ペルシア人は紀元前328年に水時計を使用して、農業用灌漑のためにカナートから株主に水を公正かつ正確に分配していた。 特にゴナーバードとズィーバッドのカナートでの水時計の使用は、紀元前500年にまでさかのぼる[12][13]。 後にノウルーズヤルダーなど、イスラーム以前の宗教の正確な祭日を決定するためにも使用された。

ペルシアでフェンジャーンとよばれた水時計は、より正確な現在の時計に置き換えられるまで、農民が灌漑のためにカナートまたは井戸から水が供給されるべき量または時間を計算するために最も正確で一般的に使用される計時装置であった[14][15][16][17]

フェンジャーンは、カナートの権利者たちがそれぞれの農地に供給する水の時間の長さを計算するための実用的で有用な道具であった。カナート(カレーズ)は、乾燥地域における農業と灌漑のための唯一の水源であったので、公正で公平な水の分配が非常に重要でたあった。そのため、非常に公平で賢い年輩者がミールアーブ(MirAab)とよばれる管理者に選ばれた。少なくとも2人の常勤の管理者がフェンジャーン(時間)の数を制御および監視し、日の出から日没まで、昼と夜の正確な時間を告知する必要があった。なぜなら、権利者たちは通常、日中の水の権利者と夜間の水の権利者に分かれていたためである[18]

フェンジャーンは、水で満たされた大きなポットと中央に小さな穴のある椀で構成されていた。椀は水で満たされていき、いっぱいになるとポットの底に沈む。すると管理者は椀を空にして再びポットの水の上に置き、瓶に小さな石を入れて椀が沈んだ回数を記録した[18]。水時計が置かれていた場所とその管理者は、まとめてハーネ・フェンジャーン(フェンジャーンの家、の意)とよばれていた。通常、このハーネ・フェンジャーンは公共の家の最上階にあり、日の出と日の入の時間を確認することができるよう西および東向きの窓があった。 アストロラーベという別の時間管理の道具もあったが、それらは主に迷信的な信仰に使用され、農民の暦としての使用には実用的ではなかった。

ズィーバッドとゴナーバードの水時計は1965 年[15]まで使用されて、現代の時計に置き換えられていった[14]

インド[編集]

中国[編集]

代の1日は「百刻制」であり(後述書 p.218)、一刻は今でいう14分24秒の長さ(後述書 p.218)で、昼の長さである六十九刻までは日時計が用いられ(後述書 p.218)、夜時間となると漏刻が用いられ、「夜漏一刻」から「夜漏三十一刻」まで数えられた(後述書 p.219)。この時期の漏刻の出土事例としては、高さ30センチメートル、直径10センチメートルの漏壷が発見されている(後述書 p.219)。細かい栓から水を流し、浮きが沈むことで時刻を上部で表示するものだったが(後述書 p.219)、庶民の生活時間には百刻制は必要とされておらず、官吏が文書や物資の受領記録に時刻を記す必要があったために用いられ(後述書 p.219)、他の役所に伝送する場合に遅延してはいけないために出入時刻を記録した他、天体観測の際にも用いられた(鶴間和幸 『中国の歴史03 ファーストエンペラーの遺産 中韓帝国』 講談社 2004年 p.219)。

ギリシア・ローマ世界[編集]

日本[編集]

天智天皇(中大兄皇子)が皇太子時代に日本で最初の水時計を作ったと言われている[2]。即位後に新たな漏刻を整備(『日本書紀』天智天皇十年四月辛卯条)したとされ、1981年に発見された飛鳥寺の西にある水落遺跡がその遺構と言われている[2]。なお、天智10年4月25日(四月辛卯)は、ユリウス暦では671年6月7日グレゴリオ暦では同年6月10日にあたり、日本では後者の日付より毎年6月10日が「時の記念日」とされている[2]

続日本紀宝亀5年(774年)11月10日条には、陸奥国司が「陸奥大宰府と同じく危機を警戒しなければならない地(異民族に攻められやすい国境)だが、大宰府には水時計があるのに陸奥国にはこれがない。これではいざという時、文書(報告書)を送る際、いつ送ったか時刻が書けない。時刻は記す必要性があります」旨の言上があったため、「陸奥国にも水時計を設置した」と記述され、古代では攻められやすい国境に水時計が重要なものとして認識されていたことがわかる。

琉球王国首里城には水時計を置いた「漏刻門」があり、その補助的役割として、「日影台」と呼ばれる日時計も置かれていた[19]

イスラムとアラビアの水時計[編集]

千夜一夜物語』で知られるハールーン・アッ=ラシード(8世紀)がカール大帝に見事な天幕・水時計・象・聖墓の鍵をたずさえた大使を送ったことが記録されている(H.G.ウェルズ 訳・長谷部文雄 阿部知二 『世界史概観 上』 岩波新書 第14刷1975年(1刷66年) p.214)。この贈物は、東ローマ帝国と神聖ローマ帝国、どちらがエルサレムのキリスト教徒の真の保護者であるかについて争闘させるための妙案であった(前同 p.214)。

現代の水時計の設計[編集]

出典[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ Turner, Anthony J.(1984), The Time Museum, vol. I: Time Measuring Instruments; Part 3: Water-clocks, Sand-glasses, Fire-clocks, Rockford, IL, ISBN 0-912947-01-2
  2. ^ a b c d 漏刻(ろうこく)(水時計) 水資源機構
  3. ^ Cowan, Harrison J.(1958), Time and Its Measurement: From the stone age to the nuclear age, Ohio: The World Publishing Company
  4. ^ Cotterell, Brian & Kamminga, Johan(1990), Mechanics of pre-industrial technology: An introduction to the mechanics of ancient and traditional material culture, Cambridge University Press, ISBN 0-521-42871-8 , pp. 59–61
  5. ^ Cotterell & Kamminga 1990, pp. 59–61
  6. ^ Berlev, Oleg(1997). "Bureaucrats", in Donadoni, Sergio: The Egyptians, Trans. Bianchi, Robert et al., Chicago: The University of Chicago Press, p. 118. ISBN 0-226-15555-2.
  7. ^ Cotterell & Kamminga 1990
  8. ^ Pingree, David(1998). "Legacies in Astronomy and Celestial Omens", in Stephane Dalley: The Legacy of Mesopotamia. Oxford: Oxford University Press, pp. 125–126. ISBN 0-19-814946-8.
  9. ^ Evans, James(1998). The History and Practice of Ancient Astronomy. Oxford: Oxford University Press, p. 15. ISBN 0-19-509539-1.
  10. ^ Neugebauer, Otto(1947), “Studies in Ancient Astronomy. VIII. The Water Clock in Babylonian Astronomy”, Isis 37(1/2): pp. 39–40
  11. ^ 同上
  12. ^ Tehran university science magazine”. 2020年5月14日閲覧。
  13. ^ Water Sharing Management in Ancient Iran, with Special Reference to Pangān (cup) in Iran (PDF)”. 2020年5月14日閲覧。
  14. ^ a b "Conference of Qanat in Iran – water clock in Persia 1383". (in Persian).”. 2020年5月14日閲覧。
  15. ^ a b Qanat is cultural and social and scientific heritage in Iran”. 2020年5月14日閲覧。
  16. ^ ساعت آبی پنگان در ایران بیش از ۲۴۰۰ سال کاربرد دارد. – پژوهشهای ایرانی”. 2020年5月14日閲覧。
  17. ^ Qanat is cultural and social and scientific heritage in Iran”. 2020年5月14日閲覧。
  18. ^ a b water clock in persia".”. 2020年5月14日閲覧。
  19. ^ 「首里城公園パンフレット」を一部参考。

関連項目[編集]