水車

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シリアではビザンチン帝国時代に水車がさかんに用いられたようである。この写真はその痕跡を残すハマーの水車。ハマーの水車は直径が小さいものでも10m程度、大きいものでは22mほどある。
マイクロ水力発電に使われている水車(日本、長野県)。
1556年のDe re metallicaに掲載された、採掘場で土を地上へ引き上げるための水車

水車(みずぐるま、すいしゃ、: water wheel)は、水のエネルギーを機械的エネルギーに変える回転機械[注釈 1]。人類が開発した最も古い原動機と言え、古代から世界のいくつかの地域で利用されており、中世にはヨーロッパで非常に普及した。たとえばヨーロッパでは揚水、脱穀製粉小麦の実をひいて粉にする)など農業分野で大いに用いられたし、鉱物の採掘で使う機械の動力にも使われた。西アジア中国でも製粉や精米用など様々な用途に用いられた。日本でも平安時代にはすでに使われていたことが判っている。

こうして世界中で膨大な数の水車が利用されるようになっていたわけであるが、18世紀後半~19世紀前半に蒸気機関が普及してゆくにつれ水車の数の増加に歯止めがかかり、さらに19世紀末ごろから20世紀冒頭ごろにかけて電動機も普及すると、水車の利用は減っていったが、それでも現在でも少数ながら世界各地の水流が豊富な地域では現役の機械として利用されている。水車は電力供給の無い場所でも動力を生み出すことができる、という大きな利点があるわけだが、電気供給のある地域でも電気代を支払わなくて動力が得られるので経営という観点からはメリットがあるのである。

揚水用の水車を水汲み水車ノーリア)と言う。様々なタイプがあるが、水車の横に付けた容器(バケツ状の容器)で水をくみ上げるタイプのものが比較的多い。

水力発電に使うwater turbinウォーター・タービンのことも日本語では「発電用水車」と言って「水車」という名称を入れて呼ぶ(だが、古くからある形式の水車、いわゆる「水車」とは、いささか形式・形状が異なるものも多い)。だが、近年では古来以来の形式の水車で発電機を回転させることでマイクロ水力発電に多く使われるようになり、そちらは数がむしろ増加傾向にあり、最近は温暖化対策の切迫度が高まってきており、水車の利用価値は高まってきている。

なお、トルクを与えて水流に変えるタイプの機械装置も「水車」と呼ばれる。電動機などで水車を回転させ、水流に変える水車もあり、揚水発電などに使われる。

歴史[編集]

紀元前2世紀ごろ小アジアで発明
動力機関としての水車は、紀元前2世紀ごろに小アジアで発明されたといわれる。
古代ローマでの状況

古代ローマ技術者ウィトルウィウスの著作『建築について』でも水車は言及されているが、滅多に使われない機械としており、奴隷労働の豊富な古代ローマ社会においては一般に余り普及しなかったようである。

中世以降に普及
むしろ文明の中心が地中海沿岸を離れ、中欧西ヨーロッパに移行した中世以降に、同地域では安定した水量が得られる土地柄も相まって水車の利用は活発になり、急激に台数が増えた。1086年イングランドの古文書では、推定人口140万人の同地に5642台の水車があったことが記録されている。
動力水車の使用法としては、それまではもっぱら製粉に限られていたが、10世紀ごろからは工業用動力としても使われるようになった。
中国
非ヨーロッパ圏においても水車は普及した、中国においては水力原動機らしきものはにみられ[1]、中世の時代には水車力を用いて紡績工場さえ作られたようであるが、不思議なことにその後の発展は見られなかった(「利用法の発達」という点にこだわれば、ヨーロッパに比べ見劣りする。)
イスラム圏
イスラム圏においても水車が用いられ、農業に用いられ、製粉も行われた。やはりヨーロッパのように工業用原動力としての使用されることはなかった。なお、イスラム圏においてはハマーの水車(ノーリア)が有名であり、大規模な17機の農地灌漑用水車群が現在でも残っており観光名所となっている。
日本での歴史
富嶽三十六景の「隠田の水車」。江戸穏田川にかかる水車を描いたもの。富嶽三十六景は 江戸時代、1830年代の名所絵集であるが、当時、穏田川にはいくつか水車が設置されていたという。(現在の神宮前周辺に当たる)
復元された朝倉揚水車

日本では『日本書紀』において推古18年(610年)高句麗から来た曇徴(どんちょう)が、碾磑(てんがい)という水車で動くを造ったといわれ、平安時代天長6年(829年)良峯安世が諸国に灌漑用水車を作らせたとある。鎌倉時代の『徒然草』には宇治川沿いの住民が水車を造る話がある。

(これは日本での状況の情報というより、どちらかと言えば朝鮮での状況の情報になろうが)室町時代15世紀に日本へ来た朝鮮通信使の朴瑞生は日本の農村に水揚水車がある事に驚き、製造法を調査し本国に報告した、ということが『朝鮮王朝実録』に記述されており、江戸時代の11回朝鮮通信使においても、同様に日本の水車の普及に驚いた事が記述されている。

動力水車の本格的な使用は江戸時代になってからといわれている。白米を食する習慣の広がりとともに、精米穀物製粉のために使用されたが、江戸時代後期には工業的原動力としても部分的に使用された。水車を利用した製粉業は「水車稼ぎ」と呼ばれ、水車稼ぎに利用される用水は主に農業用水であった。

これらの水車は、水車を覆う外装部品がないため効率が低いものであった。そのため第二次世界大戦後には電動機や内燃機関の普及により日本国内では衰退したが、観光資源もしくは農業目的にて利用されている。逆に、水車を覆う外装部品がある水車は効率が90%前後と高い。このため発電用水車として独自に発展していった。

日本では現代でも木製の水車を作成する大工(水車大工)がいる[2]

分類[編集]

古典的な水車の英語での分類は以下の通り

ウォーター・タービンと呼んだほうが良いようなタイプの水車の分類

まず「反動水車」と「衝動水車」に大分類できる。

  • 水力をノズル等で加速しないで羽根を回す水車は反動水車と分類される。
反動水車にはフランシス水車カプラン水車斜流水車などがある。
  • 水をノズルから加速放出して水車の羽根を回す水車は衝動水車と分類される。
衝動水車にはペルトン水車ターゴインパルス水車などがある。


ギャラリー[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 運動エネルギー回転運動エネルギーへ変換する機械。

出典[編集]

  1. ^ 原田信男 『和食とはなにか 旨みの文化をさぐる』 角川ソフィア文庫 2014年 p.79.西アジアから1世紀頃の後漢に伝わるが、広く浸透するのは7世紀代以降であり、水車と臼によって穀物粉を大量生産できるようになったことは料理で革新を起こしたと記す。
  2. ^ 大工(水車大工について)”. あつぎの匠・厚木市役所. 2018年4月1日閲覧。

参考文献[編集]

  • レイノルズ, T.S.『水車の歴史 西欧の工業化と水力利用』末尾至行ほか訳、平凡社、1989年。ISBN 978-4-582-53205-0。
  • ギャンペル, J.『中世の産業革命』坂本賢三訳、岩波書店、1978年12月。ISBN 4-00-001331-9。
  • 末尾至行『日本の水車 その栄枯盛衰の記』関西大学東西学術研究所〈関西大学東西学術研究所研究叢刊 21〉、2003年3月。ISBN 978-4-87354-376-5。

関連項目[編集]