永平郡

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永平郡(えいへい-ぐん)は、中国にかつて存在した東晋から隋代にかけて、現在の広西チワン族自治区梧州市一帯に設置された。

概要[編集]

361年升平5年)、東晋により蒼梧郡が分割されて永平郡が立てられた。永平郡は広州に属し、郡治は安沂県に置かれた。

南朝宋のとき、永平郡は安沂・豊城・蘇平・埱安・夫寧・武林の6県を管轄した[1]

南朝斉のとき、永平郡は夫寧・安沂・埱安・盧平・員郷・蘇平・逋寧・雷郷・開城・毗平・武林・豊城の12県を管轄した[2]

583年開皇3年)、隋が南朝陳を滅ぼすと、永平郡は廃止されて、藤州に編入された。607年大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、藤州は永平郡と改称された。永平郡は永平・武林・隋建・安基・隋安・普寧・戎成・寧人・淳人・大賓・賀川の11県を管轄した[3]

621年武徳4年)、により永平郡は藤州と改められた[4]

脚注[編集]

  1. ^ 宋書』州郡志四
  2. ^ 南斉書』州郡志上
  3. ^ 隋書』地理志下
  4. ^ 旧唐書』地理志四