江戸四宿
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江戸四宿(えどししゅく)、または単に四宿とは、江戸時代に五街道の各々について江戸・日本橋(地図)に最も近い宿場町の総称で、五街道の起点である日本橋から2里(約8 km)以内のところにあった[1]。江戸と地方を結ぶ各街道の最初の宿場町であり、江戸の出入り口として重要な役割を担い[1]、人・物資・情報・文化の集散地として機能し、周辺地域と異なった街並みや風格をもっていた[2]。
各々に岡場所と呼ばれる非公認の遊廓があり、飯盛女(めしもりおんな)という名目で遊女を置いていた。
一覧[編集]
四宿 | 位置 | 接続する街道・湊 | 飯盛女 の上限 | |
---|---|---|---|---|
五街道 | その他 | |||
千住宿 | 地図 | 奥州道中 日光道中 |
水戸街道 | 150人 |
板橋宿 | 地図 | 中山道 | 川越街道 | 150人 |
内藤新宿 | 地図 | 甲州道中 | 青梅街道 | 150人 |
品川宿 | 地図 | 東海道 | 品川湊 | 500人 |
江戸四宿を題材とした作品[編集]
- 四宿の屁(古典落語)
- 明治期から大正前期に活躍した落語家・初代柳家小せん(盲小せん)の演目には、品川や新宿の岡場所を舞台にしたものがあるが、現在では昔の遊郭を知っている人がほとんどいなくなったため、一部を除き演じられる機会は少なくなって来ている。
脚注[編集]
- ^ a b ロム・インターナショナル(編) 2005, p. 144.
- ^ 旧宿場町の歴史資源を活かしたまちづくりの構造とその地域性 : 品川宿と千住宿の比較研究末吉恵・菊地俊夫,首都大学東京 『観光科学研究(2)』. 2009-03-30