江見町 (千葉県)

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江見町
廃止日 1971年3月31日
廃止理由 新設合併
鴨川町江見町長狭町鴨川市
現在の自治体 鴨川市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 千葉県
安房郡
団体コード 12469-9
面積 32.97km2
総人口 6,841
(1970年)
隣接自治体 鴨川町、長狭町、丸山町和田町
江見町役場
所在地 千葉県安房郡江見町
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江見町(えみまち)は、千葉県安房郡にかつて存在した町である。現在の鴨川市の南部に位置している。

本項では、1889年(明治22年)の町村制施行により編成された江見村(当初は朝夷郡所属)、1933年(昭和8年)に江見村が町制を施行して成立した江見町(初代)、昭和の大合併で発足し1971年(昭和46年)まで存続した江見町(2代目)について扱う。

地理[編集]

現在の鴨川市南部に位置する。現在の鴨川市域はおおむねかつての長狭郡の範囲と重なっているが、初代江見町域は朝夷郡に属していた地域である。

鴨川市域を町村制施行当時の町村(旧町村)によって12地区に区分する場合、初代江見町域が「江見地区」と呼ばれる[1]。現在の大字では江見青木(えみあおき)・東江見(ひがしえみ)・西江見(にしえみ)・江見内遠野(えみうとの)・江見東真門(えみひがしまかど)・江見西真門(えみにしまかど)・江見外堀(えみそとぼり)が「江見地区」に含まれる[1][注釈 1]。なお、江見太夫崎・江見吉浦は「江見」を冠称し、旧朝夷郡域に含まれる地域であるが、太海地区に属する。

鴨川市域を、鴨川市成立時およびその後の合併時の町村によって4地区に区分することもあり、この場合の「江見地区」は江見町(2代目)の範囲である。この「江見地区」には江見・太海曽呂村の3つの旧町村が含まれる。

1926年(大正15年)時点の江見村は、東に太海村、西に和田町、北は山地を隔てて曽呂村・太海村と接していた[3]:1080。旧来の集落は東江見西江見東真門西真門内遠野青木外堀の7つとされる[3]:1080。当時は全村を東・西・南・北の4行政区に分けていた[3]:1080-1081

歴史[編集]

安房郡域の町村制施行時の町村
(※1897年に平郡・朝夷郡・長狭郡を安房郡に編入)
1.北条町 2.館山町 3.豊津村 4.西岬村 5.富崎村 6.長尾村 7.豊房村 8.神戸村 9.館野村 10.九重村 11.稲都村
平郡】21.凪原村〔のち那古町〕 22.船形村 23.八束村 24.富浦村 25.岩井村 26.勝山村 27.保田村 28.佐久間村 29.平群村 30.滝田村 31.国府村
朝夷郡】41.白浜村 42.七浦村 43.曦村〔のち千倉町〕 44.健田村 45.千歳村 46.豊田村 47.丸村 48.北三原村 49.南三原村 50.和田村 51.江見村
長狭郡】61.太海村 62.大山村 63.吉尾村 64.由基村〔のち主基村〕 65.田原村 66.鴨川町 67.曽呂村 68.西条村 69.東条村 70.天津村 71.湊村〔のち小湊町〕
現在の行政区画
赤:館山市 桃:鴨川市 紫:南房総市 橙:鋸南町

前近代[編集]

のちに江見町(初代)となる地域は、明治初年まで朝夷郡に属していた地域である。寛永7年(1630年)、真門村を東真門・西真門村に分割[3]:1081慶安2年(1649年)、江見村を東江見・西江見村に分割[3]:1080正徳元年(1711年)、西真門村から青木村が分村した[3]:1080

近代[編集]

町村制以前[編集]

明治初年、町域一円は長尾藩領となった。1877年(明治10年)、東真門村と西真門村が合併し真門村となる[3]:1081

1879年(明治12年)、東江見・西江見・青木・内遠野の4か村連合戸長役場と、真門・花園・柴の3か村連合戸長役場が発足[3]:1081。1884年(明治17年)には東江見外8か村連合戸長役場[注釈 2]が置かれた[3]:1081

江見村→江見町(初代)[編集]

1889年明治22年)4月、町村制の施行にともない、西江見・東江見・青木・内遠野・真門の5か村が合併し[3]:1081江見村が発足した。この際、仁我浦村[注釈 3]の一部であった外堀が編入された。同年9月、東・西・南・北の4行政区に分けた[3]:1081

1922年大正11年)12月20日、北条線(現内房線南三原駅 - 江見駅間の延伸開業にともない江見駅が開業した。その後、1924年(大正13年)7月25日に太海駅(当時は太海村域)まで延伸している。

1933年(昭和8年)、町制を施行し江見町(初代)となる。

江見町(2代目)[編集]

1955年(昭和30年)、昭和の大合併の中で江見町・太海村・曽呂村が合併、江見町(2代目)が発足した(新設合併)。「江見町」の名は「書き易く読み易」く「ひろく知られている」こと、町名変更による行政上の不便と経費増大を避ける観点から採用された[4]

1971年(昭和46年)、「三万市制特例法」[注釈 4]のもと、江見町は鴨川町長狭町と合併し、新設された鴨川市の一部となった。

行政区画・自治体沿革[編集]

社会[編集]

経済[編集]

1926年(大正15年)発行の『千葉県安房郡誌』において、江見村は半農半漁の村落で、農家の副業として蔬菜や果樹の栽培が盛んであると記されている[3]:1082。海産物としてはイワシアジカツオサンマが挙げられ、水産加工品として干鰯煮干鰹節が挙げられる[3]:1082

1971年(昭和46年)、鴨川市発足時の江見町は、花卉栽培が盛んで、バラテッポウユリの産地として名高い町とその特徴が描かれている[5]

交通[編集]

木造の江見駅舎(2006年11月)

鉄道[編集]

道路[編集]

教育[編集]

  • 江見小学校
    • 1874年(明治7年)、西江見の浄照寺に設立された西江見小学校をルーツとする[6]。1879年に青木小学校と合併、1892年(明治25年)に江見尋常小学校となる。1894年(明治27年)に移転し、以後長く地域の教育を担った[6]。鴨川市の一部となってからは鴨川市立江見小学校という名称になっていたが、江見地区の小学校の再編成に伴い2015年3月に閉校[6]。なお、江見地区の3校(江見・太海・曽呂)を統合した鴨川市立江見小学校が、旧江見中学校校舎を改修して開校した[6][7]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 大字の読みは日本郵便の郵便番号検索[2]による。
  2. ^ 東江見外8か村連合戸長役場の管轄下には、吉浦村・太夫崎村(のちに太海村)が含まれていた。
  3. ^ 和田町の一部となった。
  4. ^ 昭和45年3月12日施行。地方自治法第8条では市の要件として人口が5万人以上であることなどを挙げているが、合併促進のために一定期間の間、合併後の人口が3万人以上であれば市となれるとするなど、市となる要件を緩和するもの。

出典[編集]

  1. ^ a b 大字別世帯数および人口 (pdf)”. 鴨川市統計書 平成28年版. 鴨川市役所. pp. 18-19. 2018年3月28日閲覧。
  2. ^ 郵便番号検索
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m 千葉県安房郡教育会 編 『千葉県安房郡誌』 千葉県安房郡教育会、1926年
  4. ^ 鴨川市・天津小湊町合併協議会 第3回会議 説明資料 (pdf)”. 鴨川市・天津小湊町合併協議会. 2018年3月28日閲覧。
  5. ^ 旧鴨川市の過去と市政の歩み”. 鴨川市役所 (2014年11月28日). 2018年4月3日閲覧。
  6. ^ a b c d “思い出の校舎とお別れ 江見小、太海小で閉校式 鴨川”. 千葉日報. (2015年3月27日). https://www.chibanippo.co.jp/news/local/248054 2018年3月28日閲覧。 
  7. ^ 江見小学校の概要と教育”. 鴨川市役所. 2018年3月28日閲覧。
  8. ^ “惜別の思いを胸に 江見中と鴨川中で閉校式”. 房日新聞. (2011年3月24日). http://www.bonichi.com/News/item.htm?iid=5158&TXSID=q0mvekq2fqepaen6dq2tuej2j4 2018年3月28日閲覧。 

関連項目[編集]