池田喜生

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池田 喜生(いけだ よししげ、延享2年(1745年) - 文化10年7月24日1813年8月19日))は、江戸時代後期の旗本幼名は保次郎。官位従五位下但馬守。

人物[編集]

延享2年(1745年)、豊前中津藩主・奥平昌敦の次男として生まれる。母は牧野貞通の娘・菊子(心源院)。奥平昌鹿の同母弟にあたる。のちに播磨福本藩鳥取藩の支藩。実際には相続分与などの1万石割れのため、交代寄合)で、池田庸熈の死去によって婿養子を失った第4代・池田喜以から、改めて婿養嗣子に望まれ、喜以の娘を妻とし婿養子となる。

安永元年(1772年4月10日、喜以の辞仕に伴い家督を継ぐ。寛政3年(1791年7月1日大番頭となり、同年12月16日従五位下但馬守に叙任した。同7年(1795年12月12日には伏見奉行となった。文化10年(1813年)7月24日、死去した。跡を喜長(輝名の子)が継いだ。

親族[編集]

弟に水戸藩家老の山野辺義風。養子に池田輝名がいる。養女には池田政貞の娘で輝名の妻、島津忠厚の娘の2人がいる。