池田遺跡

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池田遺跡(いけだいせき)は、奈良県大和高田市池田に広がる縄文時代から古墳時代にかけての遺跡。

1955年、大和高田市の西にある、領家山の北側を東西に切り通すように道路が造成された際、大きな鶏形埴輪(領家山古墳)等を市立陵西小学校の生徒が発見し、当時、市立高田中学校教諭の網干善教によって専門誌に紹介された。 大規模な遺跡の存在が予想されたが、発掘が本格化するのは1990年代まで待たねばならなかった。高田温泉さくら荘(1994年10月開業)、老人ホーム慈光園等の建設のため、発掘調査が本格化、多くの古墳、遺跡が埋もれていることが判明した。

縄文時代の地層からは国府型ナイフ形石器が出土、その他、方形周溝墓、縄文時代~弥生時代土器短剣の半製品、多くの古墳が確認された。古墳については条里制のため、墳丘が削平されているものが多かったが、堀からは多くの埴輪・土器が出土し、1998年以降、兜を被って楯を持つ「楯持ち人埴輪」、「武人埴輪」等が出土した。特に武人埴輪は、2つの角を持つ兜?を被り、まるでユダヤ教徒の髪のように天然パーマ風の髪を垂直に垂らして括り、背中に(ゆき:矢入れ)を負った端正な顔立ちの埴輪である。武人埴輪の被り物は、今城塚古墳の内堤埴輪群の中央に座していた人物埴輪の被り物に形が似ている。頭に角があったとする都怒我阿羅斯等の伝説を髣髴とさせる。

西方、名倉北池の北西に位置する小池寺の地蔵堂には、古墳時代竜山石棺に彫刻された石棺地蔵があり、付近で出土した石棺を使用したものと思われる。

池田遺跡は、馬見古墳群南群の盟主墓たる築山古墳(磐園陵墓参考地)の南約200mの地点に広がっており、当地の古墳は、築山古墳の北に位置する児童公園古墳(かん山古墳)、大谷山自然公園内に複数存在する古墳、築山駅前にあるインキ山古墳、近畿地方最大の円墳であると思われるコンピラ山古墳、築山古墳の南に並ぶ狐井塚古墳(陵西陵墓参考地)・茶臼山古墳等と何らかの関係があると思われる。

武烈天皇紀に唐突に記される「百済意多郎(くだらのおたら)卒し、高田丘上に葬る」の地は岡崎山(三野山・岡崎稲荷神社)の地に比定されており、池田遺跡のすぐ南である。これらは、馬見古墳群の一部である可能性も考えられる。

なお、大和高田市役所がある大中(おおなか)は、池田遺跡の南東に接し、東大寺大仏を造った国中連公麻呂の出身地であると言われている。

また、池田遺跡をさらに地図上でずっと南にたどっていくと、飯豊天皇陵、孝昭天皇陵、宮山古墳等が見られ、これらの墓の配置には何らかの法則性があるのかも知れない。