池田長恵

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池田長恵(右側の人物、左側は松浦信桯)

池田 長恵(いけだ ながしげ/ながよし、延享2年(1745年) - 寛政12年3月13日1800年4月6日))は、江戸時代中期の旗本池田政晴の四男。池田政倫養子。妻は池田政胤の娘(池田政倫の養女)。子に虎次郎(早世)、娘(池田長義の妻)。幼名は源之助。通称は修理。官位従五位下筑後守。

来歴[編集]

安永4年(1775年11月8日、養父の遺領を継ぎ、12月22日、中奥番士となった。天明元年(1781年10月1日小十人頭となり、翌2年(1782年12月12日目付となった。

同7年(1787年10月2日京都町奉行に抜擢され、11月1日に従五位下筑後守に叙任している。寛政元年(1789年9月7日江戸南町奉行に異動。寛政7年(1795年6月28日大目付に就任した。

寛政12年(1800年)、死去。跡を婿養子の池田長義が継いだ。

性格[編集]

豪胆な性格であり、苛烈、強引な仕置も多く、職務において失態を犯して将軍への拝謁を禁止されたことも幾度かあったが、陰湿さのない単純明快な人物であり、煩瑣な案件にも果敢に踏み込んで大胆な措置を下すため、一定以上の人望があったという。老中首座松平定信の側近である水野為長が著した『よしの冊子』に拠れば、長恵は感情豊かでコミカルな人物であったらしく、ミスを犯して落胆しているところを定信に激励されてすぐ立ち直ったり、その定信が老中を罷免させられた際は、大声を上げて泣き叫び、「鬼の目にも涙とはまさしくこのことだ」と評判になるなど、激しく一喜一憂する長恵の姿が伝わっている。

池田長恵が登場する作品[編集]

小説
  • 剣豪奉行池田筑後( 佐々木裕一・著 祥伝社)将軍より拝領された金獅子の懐剣を手に時には町人に化けて江戸に巣食う闇を木葉一刀流を操り次々と成敗していく。
先代:
池田政倫
井原池田家(池田修理家)
第6代
1775年 - 1800年
次代:
池田長義