沖縄県立首里高等学校

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沖縄県立首里高等学校

沖縄県立首里高等学校

過去の名称 国学
首里中学校
沖縄尋常中学校
沖縄県中学校
沖縄県立第一中学校
糸満高等学校首里分校
那覇連合教育委員会立首里高等学校
琉球政府立首里高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 沖縄県の旗 沖縄県
併合学校 知念高等学校大見武分校
糸満高等学校真和志分校
定時制首里高等学校
校訓 海邦養秀
設立年月日 (国学)
1798年
(首里中学校)
1880年12月9日
創立者 尚温王
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科・染織デザイン科
学期 3学期制
高校コード 47104G
所在地 903-0816
沖縄県那覇市首里真和志町二丁目43番地
北緯26度13分8.99秒 東経127度42分50.63秒 / 北緯26.2191639度 東経127.7140639度 / 26.2191639; 127.7140639座標: 北緯26度13分8.99秒 東経127度42分50.63秒 / 北緯26.2191639度 東経127.7140639度 / 26.2191639; 127.7140639
外部リンク 公式サイト
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沖縄県立首里高等学校(おきなわけんりつ しゅりこうとうがっこう)は、沖縄県那覇市首里真和志町二丁目にある県立高等学校

女子なぎなた部は全国レベルの活躍をしている。

概要[編集]

世界遺産である首里城跡へ徒歩3分の高台に立地する。海邦養秀(海に囲まれた国から優秀な人材を輩出する)の名の下に、約40,000人の卒業生を送り出し、前身となる国学の頃から数えると200年以上の歴史がある。敗戦による学制改革まで、つまり旧制中学校時代は「第一中学校」「一中」(いっちゅう)の名で親しまれた。生徒総数約1,300人。学科は普通科10クラス(2005年度までは11クラス、2006年度から10クラス)、染織デザイン科1クラス。

テレビドラマ等では同校をモチーフとした沖縄有数の進学校、「那覇北高校」として登場することがあった。

1958年(昭和33年)、戦後初めて全国高等学校野球選手権大会の沖縄代表として出場した。これは第40回の記念大会として特別に当時の日本の46都道府県とともにアメリカ統治下にあった沖縄県の予選大会が開かれ、そこで優勝した当高校が甲子園への出場権を獲得したものである。1回戦で福井県敦賀高等学校に0-3で敗れたが、試合終了後に拾った甲子園の土が、当時は日本国とは別国家であった琉球政府(事実上は米軍の軍政)の検疫の問題で持ち帰れず那覇港で処分されたことが大きく報じられ、それを知った日本航空スチュワーデスが甲子園球場周辺の海岸の石を拾い集めて寄贈した。現在この石は首里高校の敷地内にある「友愛の碑」というモニュメントに埋め込まれており、戦後沖縄からの初出場の記念として飾られている(当該項参照)。

2008年(平成20年)、沖縄県勢初の甲子園出場を50年目記念して小学館発行の漫画雑誌「ビッグコミックオリジナル」(4月20日号)で「ハイサイ!甲子園 〜島人が燃えた1958年〜」が連載される。(全9話:8月20日号で完結)

沿革[編集]

設置学科[編集]

現在の学科[編集]

  • 普通科:9クラス(360人)
  • 染織デザイン科:1クラス(40人)

かつて存在した学科(旧称「課程」を含む)[編集]

  • 定時制普通課程→1980年3月廃科。
  • 全日制一般事務課程→19xx年3月廃科。
  • 全日制家庭課程→家政科→1981年3月廃科。
  • 全日制食物課程→食物科→1981年3月廃科。
  • 全日制工芸課程→染織科→染織デザイン科(現在)に至る。

交通アクセス[編集]

モノレール
沖縄都市モノレール線
路線バス
  • 首里高校前バス停より徒歩1分
1番・首里牧志線 (那覇バス市内線)
17番・石嶺(開南)線 (那覇バス市内線)
46番・糸満西原(鳥堀)線 (那覇バス市外線)

著名な卒業生[編集]

(卒業扱い含む)

脚注[編集]

  1. ^ 出場記念に甲子園球場の土を持ち帰ったが、当時は「外国の土」の扱いになるため、検疫の関係で沖縄に持ち帰ることができず、帰郷後処分されたという一件。

関連項目[編集]