沢田研二 in 夜のヒットスタジオ

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『沢田研二 in 夜のヒットスタジオ』は、日本歌手である沢田研二の映像作品。2011年12月21日にユニバーサルミュージック合同会社よりリリースされた。発売元はフジテレビジョン(6枚組DVD: POBD-22036/41)[1]

概要[ソースを編集]

沢田研二関連の映像作品としては、2002年に発売された『快傑ジュリーの冒険』(『クイズ・ドレミファドン!』出演時の映像集)に次ぐ過去の歌番組出演映像の編集盤。フジテレビ系音楽番組『夜のヒットスタジオ』及び『夜のヒットスタジオDELUXE』・『夜のヒットスタジオSUPER』に出演した152回の内、1975年5月5日~1990年2月21日までの全102回・51曲の歌唱場面(他にオープニング・メドレーでの歌唱・一部回での司会者とのトーク映像[2]も含む)[3]589分を収録した作品で、夜のヒットスタジオ関連のDVDとしては『山口百恵 in 夜のヒットスタジオ』・『中森明菜 IN 夜のヒットスタジオ』・『ピンクレディーin 夜のヒットスタジオ』に次ぐ4作目にして最長の作品に当たる。 『夜のヒットスタジオ』DVDとしての特徴は前述した収録時間の長さのほかに、前3作及び2014年に発売された『THE ALFEE 40th Anniversary スペシャルボックス』の付属DVDと違いフジテレビの他番組の映像が収録されておらず、純然とした『夜のヒットスタジオの総集編』となっていることである[4]。本作では沢田の歌唱のほか、衣装、パフォーマンス、バックバンドの変遷もつぶさに見ることが出来るのが特徴である。

収録内容[ソースを編集]

括弧内は、DVD付属のブックレットに掲載された放送年月日。

DISC1(1975年 - 1977年)[ソースを編集]

  1. 白い部屋(1975年5月5日)
    バックバンドは井上堯之バンド。当時番組で行っていた「歌謡ドラマ」のセットが映り込んでいた。
  2. 巴里にひとり(1975年5月5日)
    歌唱前に沢田がこの曲のフランス盤『MON AMOUR JE VIENS DU BOUT DU MONDE』でフランスのゴールドディスク賞を獲ったため番組内で授与が行われ、プロデューサーの加瀬邦彦も駆けつけた。
  3. 時の過ぎゆくままに(1975年9月1日)
  4. 時の過ぎゆくままに(1975年12月8日)
  5. 時の過ぎゆくままに(1975年12月29日)
  6. 立ちどまるなふりむくな(1976年2月16日)
  7. ウィンクでさよなら (1976年4月26日)
    髪型をカーリーヘアに変えて登場した(その次の回では以前の髪型に戻している)。
  8. ウィンクでさよなら(1976年5月10日)
  9. コバルトの季節の中で(1976年9月13日)
  10. コバルトの季節の中で(1976年10月25日)
  11. コバルトの季節の中で(1976年11月29日)
  12. コバルトの季節の中で(1976年12月13日)
  13. さよならをいう気もない(1977年1月10日)
  14. さよならをいう気もない(1977年2月7日)
  15. さよならをいう気もない(1977年3月14日)
  16. さよならをいう気もない(1977年4月18日)
  17. 勝手にしやがれ(1977年5月23日)
    曲の後半スタジオにスモークが焚かれたが、量が多すぎて沢田の姿が見えなくなる部分があった。
  18. 勝手にしやがれ(1977年6月6日)
  19. 勝手にしやがれ(1977年6月20日)
    オープニングメドレーのトリで「シーサイド・バウンド」を披露。DVD『山口百恵 in 夜のヒットスタジオ』には共演した山口百恵が沢田にメドレーを繋げるシーンが収録されている。
  20. 勝手にしやがれ(1977年7月11日)
    大磯ロングビーチからの中継回。歌唱前にはこの日、大磯で井上堯之バンドや司会の井上順と草野球をした映像が流れた。また歌唱時は天候の問題で演奏ができなくなった「ダン池田とニューブリード」や井上堯之バンドがバックで手拍子や沢田の振り真似をした。

DISC2(1977年 - 1978年)[ソースを編集]

  1. 憎みきれないろくでなし (1977年9月5日)
    間奏中、ギターの井上堯之が沢田にからむパフォーマンスが歌唱時の定番となる。
  2. 憎みきれないろくでなし(1977年9月20日)
    この回の衣装はコンサートで着用したアラブ風衣装。間奏中にからむギターを井上堯之バンドを当時(同年2~12月の間)、一時的に離れていた速水清司がつとめた。
  3. MY WAY(1977年10月3日)
    布施明五木ひろし森進一とのジョイント(コラボレーションライブ)[5]。オープニング・メドレーでは布施と共に『夏にご用心』・『イミテイション・ゴールド』・『おかあさん』を歌い花の高三トリオに繋げた。なおこの曲のみブックレットに歌詞が掲載されていない(布施が1972年にレコードで出した日本語版を歌っている)。
  4. 危険なふたり(1977年10月3日)
  5. 憎みきれないろくでなし(1977年10月24日)
  6. 憎みきれないろくでなし(1977年11月28日)
  7. 憎みきれないろくでなし(1977年12月19日)
  8. 勝手にしやがれ(1977年12月19日)
  9. サムライ(1978年1月9日)
  10. サムライ(1978年1月30日)
    スタジオに畳を敷き詰めその上で歌唱。衣装はハーケンクロイツの腕章付きのもの。
  11. サムライ(1978年2月20日)
    衣装は前回と同じだが腕章がハーケンクロイツから×印に変わっている。
  12. サムライ(1978年3月20日)
  13. サムライ(1978年4月17日)
  14. ダーリング(1978年5月22日)
  15. ダーリング(1978年6月19日)
  16. ダーリング(1978年7月3日)
  17. ダーリング(1978年7月24日)

DISC3(1978年 - 1979年)[ソースを編集]

  1. LOVE (抱きしめたい) (1978年9月4日)
  2. LOVE (抱きしめたい)(1978年10月2日)
  3. LOVE (抱きしめたい)(1978年11月6日)
  4. LOVE (抱きしめたい)(1978年12月11日)
  5. LOVE (抱きしめたい)(1978年12月25日)
  6. カサブランカ・ダンディ(1979年1月15日)
  7. カサブランカ・ダンディ(1979年2月19日)
  8. カサブランカ・ダンディ(1979年3月12日)
  9. カサブランカ・ダンディ(1979年4月16日)
  10. OH! ギャル(1979年5月21日)
    この回と次回の衣装は白を基調とした船長スタイル。
  11. OH! ギャル(1979年6月11日)
  12. OH! ギャル(1979年7月11日)
    衣装はピンクを基調としたカウボーイスタイル(内臓を模したシャツ)にローラースケート。だが2番の初めにサビ部分の歌詞が出てきたきりサビまで歌詞が出なくなるというハプニングが発生。
  13. ロンリー・ウルフ(1979年9月10日)
  14. ロンリー・ウルフ(1979年10月22日)
  15. ロンリー・ウルフ(1979年11月12日)

DISC4(1979年 - 1981年)[ソースを編集]

  1. カサブランカ・ダンディ~OH! ギャル~ロンリー・ウルフ(1979年12月17日)
  2. TOKIO(1980年1月7日)
    この曲(夜のヒットスタジオではこの回まで)を最後に井上堯之バンドは解散。衣装は有名になったパラシュート付きのものだがこの回では前奏時にヘルメットを着けていた。
  3. TOKIO(1980年1月28日)
  4. TOKIO(1980年2月11日)
  5. TOKIO(1980年3月17日)
  6. 恋のバッド・チューニング(1980年5月19日)
    ここからバックバンドは『ALWAYS』に。胃潰瘍で一カ月休養してからの初出演だったためオープニングメドレー時に『全快おめでとう』のテロップが出た。
  7. 恋のバッド・チューニング(1980年6月9日)
  8. 酒場でDABADA(1980年9月22日)
  9. 酒場でDABADA(1980年10月20日)
  10. 酒場でDABADA(1980年11月17日)
  11. おまえがパラダイス(1980年12月15日)
    歌唱時『ALWAYS』のギター柴山和彦の髪をいじるのが定番に。
  12. おまえがパラダイス(1980年12月27日)
  13. おまえがパラダイス(1981年1月12日)
  14. おまえがパラダイス(1981年2月23日)
  15. バイバイジェラシー (1981年5月11日)
    マックスファクターキャンペーンソングの『渚のラブレター』を資生堂がスポンサーの『夜のヒットスタジオ』で歌うことが不可能なため代わりに歌われた『渚のラブレター』のB面曲。バックバンドは『バイバイジェラシーバンド』(後の『EXOTICS』)[6]
  16. ス・ト・リ・ッ・パ・ー(1981年9月21日)
    バックバンドは『EXOTICS』と命名された。衣装はレコードジャケットと同じもの。
  17. ス・ト・リ・ッ・パ・ー(1981年10月12日)
    メイクがより濃くなり衣装も豹柄のものに(オープニングメドレー時は前回の衣装で登場)。
  18. ス・ト・リ・ッ・パ・ー(1981年11月30日)

DISC5(1982年 - 1985年)[ソースを編集]

  1. 麗人(1982年1月11日)
  2. 麗人(1982年2月15日)
  3. おまえにチェックイン(1982年5月10日)
    衣装はインディアン風のものだが、『快傑ジュリーの冒険』収録映像と違うカラフルなものになっている(『快傑ジュリーの冒険』の衣装はオープニングメドレー時に披露)。
  4. 6番目のユ・ウ・ウ・ツ(1982年9月6日)
  5. 6番目のユ・ウ・ウ・ツ(1982年9月20日)
  6. 背中まで45分(1983年1月17日)
  7. 晴れのちBLUE BOY(1983年5月9日)
    歌唱時沢田が腰にピンクのスヌーピーを吊り下げているのに合わせてか、『EXOTICS』のベース吉田建がスヌーピーマスクを着けて演奏していた。
  8. きめてやる今夜(1983年9月19日)
  9. どん底(1984年1月23日)
  10. どん底(1984年2月13日)
  11. どん底(1984年3月26日)
  12. 渡り鳥 はぐれ鳥(1984年4月23日)
    この曲の歌唱時に3人編成のブラスセクションと共演していたため、バンド表記が『EXOTICS&BRASSTICS』とされていた。
  13. 渡り鳥 はぐれ鳥(1984年5月14日)
    オープニングメドレーのトリで「シーサイド・バウンド」を披露。『THE ALFEE 40th Anniversary スペシャルボックス』には共演したTHE ALFEEが沢田にメドレーを繋ぐシーンが収録されている。
  14. はるかに遠い夢(1985年7月24日)
  15. 灰とダイヤモンド(1985年7月24日)
    半年の休養後初のテレビ出演。間奏時口を覆う仮面を着けていた。ここからバックバンドは『CO-CoLO』に。
  16. 灰とダイヤモンド(1985年8月28日)
  17. 灰とダイヤモンド(1985年9月25日)
  18. 絹の部屋(1985年9月25日)
  19. (1985年11月13日)
    歌唱時中盤からスタジオに雨を降らせ、泥沼のセットに浸かりながら歌唱。同年の沢田のコンサートでの同曲歌唱時の再現。

DISC6(1986年 - 1990年)[ソースを編集]

  1. アリフ・ライラ・ウィ・ライラ 〜千夜一夜物語〜(1986年4月9日)
  2. アリフ・ライラ・ウィ・ライラ 〜千夜一夜物語〜(1986年4月30日)
  3. アリフ・ライラ・ウィ・ライラ 〜千夜一夜物語〜(1986年5月21日)
    巨大な掌の上で歌唱。
  4. 時の過ぎゆくままに(1986年6月4日)
    弦楽四重奏を伴奏に歌唱。ここから『女神』まで髪型が長いソバージュヘアになる。
  5. 夢を語れる相手がいれば(1986年6月4日)
  6. ヴォラーレ(1986年6月11日)
    1958年に発表されたドメニコ・モドゥーニョの曲『Nel blu dipinto di blu(VOLARE)[7]』の沢田による日本語訳版。沢田版はライブアルバム『20周年記念限定盤 架空のオペラ'86 正月歌劇/SUMMER LIVE』(1986年発売)と『ACT大全集 CD BOX』(1999年発売)内の『act NINO ROTA 』(1991年録音)に収録されている。歌唱時山口小夜子と共にワルツを踊った。
  7. ホワイト・ルーム-White Room-(1986年6月18日)
    クリームの同名楽曲のカバー。
  8. スタンド・バイ・ミー -STAND BY ME-(1986年6月18日)
  9. 闇舞踏(1986年6月25日)
  10. 無宿 (1986年8月6日)
  11. 女神(1986年10月22日)
    左胸に乳房を模した衣装で歌唱。
  12. 女神(1986年11月26日)
  13. やさしく愛して(1987年1月7日)
    この時点で発売前だった新曲(同曲が収録されたシングル『きわどい季節』は1987年3月21日発売)を披露。ソバージュヘアから短髪にしている。
  14. きわどい季節-Summer Graffiti-(1987年6月3日)
  15. CHANCE (1987年11月11日)
  16. CHANCE(1987年12月23日)
  17. TRUE BLUE(1988年7月7日)
  18. Stranger -Only Tonight-(1988年10月26日)
    バックバンドは『Kris Kringl』。
  19. ポラロイドGIRL(1989年9月20日)
    ここからバックバンドは『JAZZ MASTER』に。
  20. DOWN(1990年2月21日)
    『夜のヒットスタジオSUPER』唯一の出演。

参照・注釈[ソースを編集]

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  1. ^ http://www.fujitv.co.jp/video/details/ongaku/kenji_s.html
  2. ^ 但し古舘伊知郎柴俊夫加賀まりこに関する映像はバックに映り込んだもの以外収録されていない。
  3. ^ http://www.barks.jp/news/?id=1000075403
  4. ^ 他の相違点としては『山口百恵 in 夜のヒットスタジオ』・『中森明菜 IN 夜のヒットスタジオ』に付属していた「本放送時の世相を説明したアバンタイトル」が排除されていることが挙げられる。
  5. ^ この共演映像収録のため、DVDのカバーにはキングレコード(布施)・ビクターエンタテインメント(森)・徳間ジャパンコミュニケーションズ(五木)と共演者の当時所属していたレコード会社がクレジットされている。
  6. ^ 『EXOTICS』は結成当初、バンド名がなく、暫定的に『渚のラブレターバンド』と名乗っていたため、『バイバイジェラシー』歌唱時には曲名に合わせバンド名を変えた。
  7. ^ 日本では麒麟淡麗〈生〉のCMで使われているジプシー・キングスのカバー版が有名。1958年の第9回NHK紅白歌合戦ジェームズ・シゲタがこの曲を歌っている。