河内七墓

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河内七墓(かわちななはか)とは奈良時代日本で、行基によりに河内国(現在の大阪府東部)に作られたとされる7箇所の墓地行基菩薩河内七墓ともいう。

歴史・概要[編集]

大阪府東大阪市の長瀬有馬、岩田、額田と八尾市の神立、垣内、恩智神宮寺、植松晒の7箇所の共同墓地り総称である。盆の14日に七墓参りをすると迷惑を掛けずに極楽往生できるとの言い伝えがあり、中河内地域では盆の月にお年寄りが七墓参りをして先祖供養をする風習がある。

行基が37歳のころに薬師寺を飛び出して民衆に仏教の布教を始めた当時、中河内一帯は天候不順による飢餓と疫病の蔓延で多数の死者が出、死体は供養されずに野晒しにされる状態であったと伝えられる。それを憂いた行基は民衆に呼びかけ、遺棄・放置された死体を共同で集めて荼毘に付し、供養したのが河内七墓の起源とされる。現在も各地域周辺の共同墓地として存続している。

墓地[編集]

長瀬有馬墓地
現在の長瀬墓地で、旧長瀬村全域と旧布施村のうち岸田堂、太平寺、三ノ瀬地区の共同墓地。墓地内に市立斎場がある。墓地内にある阿弥陀院に鎌倉時代の作と伝えられる阿弥陀如来座像が安置されており、東大阪市文化財に指定されている。また、融通念仏宗中興の祖である法明上人有馬御廟がある。毎年8月20日に「墓市」が行われ、墓地前の道路に露店が出て賑わう。
岩田墓地
岩田・西岩田・瓜生堂地区の共同墓地。墓地内に市立斎場がある。墓地内に行基菩薩像が安置されている。毎年8月11日に「墓市」が行われ、露店が出て賑わう。
額田墓地
神立墓地
現在は神立共同墓地。すぐ西に愛宕塚(あたごづか)古墳がある。
垣内墓地
現在は垣内共同墓地。
恩智神宮寺墓地
来迎寺墓地(八尾市大字神宮寺)
現在は来迎寺墓地。神宮寺墓地ともいう。ただし恩智神社近くにある神宮寺観音院とは無関係。八尾市大窪にある来迎寺とは関係があったとされる。南は柏原市に接する。神宮寺・恩智・法善寺地区の共同墓地。
植松晒墓地
現在は植松共同墓地。八尾街道と旧奈良街道の交点の東に位置する。植松共同墓地由来碑文と行基菩薩墓がある。