河合栄治郎事件

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河合栄治郎事件(かわいえいじろうじけん)は、1938年から1943年まで続いた、東京帝国大学経済学部教授の河合栄治郎を社会的に抹殺しようとした右翼軍部ファシズム勢力[1]による思想弾圧事件である。

事件の概要[編集]

河合栄治郎事件は、広義には河合の著書発禁から平賀粛学を経て、裁判闘争までを含むが、狭義には最初の著書発禁を指す。

事件の発端[編集]

軍部・ファシズムの勢力が拡大し、満州事変五・一五事件二・二六事件が起こる中、自由主義者の河合栄治郎は「五・一五事件の批判」「二・二六事件の批判」などを著すファシズム批判の論陣を張った。それに危機感を抱いた蓑田胸喜三井甲之などの右翼は国会や『原理日本』『帝国新報』などで「赤化教授」「人民戦線思想家」と河合を攻撃し、東大総長室まで押し掛け、河合罷免を迫った。

著書発禁[編集]

それでも埒があかないと悟った右翼は軍部・政府を動かし、1938年2月、内務省はファシズム批判に関連する河合の著書『ファッシズム批判』『時局と自由主義』『社会政策原理』『第二学生生活』の四冊を発禁処分にした[2][3]

平賀粛学[編集]

河合の著書発禁を受けて、河合が奉職する東京帝国大学経済学部はこれを機に河合の教授資格を問題とし、河合グループ(純理派)と敵対する右派グループ(革新派)との確執による学部運営膠着を理由に、河合を1939年1月に、右派グループ・リーダーの土方成美を同2月に、それぞれ休職処分とした。それに伴い抗議のために、両派の弟子・同調者から大量の辞職者が出て、学部を揺るがす大事件となった(平賀粛学[4]

裁判闘争[編集]

河合は著書出版社社長とともに、1939年2月、出版法(第17条)「安寧秩序を紊るもの」に当たるとして起訴された。東京地裁では、河合は社会派弁護士の海野普吉や弟子で特別弁護人の木村健康の応援のもと、自己の無罪を主張し、その主張が通り、無罪となったが、1941年4月からの東京高裁では、一転有罪(300円の罰金)となり、最高裁で棄却となり、1943年春に刑が確定した[5]

河合事件の意義[編集]

右翼・軍部・ファシズムの台頭の中、まずマルクス主義が弾圧され、次いで自由主義までがその対象となった。その第一弾は矢内原忠雄事件であり、第2弾は河合栄治郎事件であり、第3弾は津田左右吉事件であった。社会に与えた衝撃の大きさは思想弾圧事件の中では最大であった。世はまさに右翼・軍部・ファシズムに率いられ戦争に突入する時代を象徴する出来事であった。

河合は裁判などで過労が重なり、判決確定の翌年病死した。河合事件が河合の寿命を縮めることになったが、それだけ河合はファシズム批判やファシズムからの弾圧を身をもって体現したのであった。

脚注[編集]

  1. ^ この社会情勢をファシズムではないとする現在の学説があることは確かである。しかし、長谷川如是閑や河合などは「ファシズム」という用語を使っており、当時の知識人はファシズムと認識していたので、本項目でもそのまま使うこととする。
  2. ^ 「河合教授の四著書発禁」(東京堂年鑑編輯部編『出版年鑑 昭和14年版』東京堂、1939年、pp.79-80)
  3. ^ 以降、河合は『国民に愬う』(1941年)などその他の著書の実質的発禁を余儀なくされた。一方で、ファシズム批判とは関係ないものに関しては、『学生叢書』(1936-41年)は全巻完結まで出版でき、『学生に与う』も刊行することができた。
  4. ^ 以降、河合は著書を著せず、したがってこのときの思いを公表できなかったが、土方は戦後『学界春秋記』(中央経済社、1960年)を著した。
  5. ^ 裁判闘争に関しても、河合は生存中は思いを公表できなかったが、死後『自由に死す――河合栄治郎法廷闘争記』(1950年)が刊行された。

参考文献[編集]

  • 河合栄治郎『自由に死す――河合栄治郎法廷闘争記』中央公論社、1950年
  • 土方成美『学界春秋記』中央経済社、1960年
    • (改定版は『事件は遠くなりにけり』経済往来社、1965年)
  • 海野普吉述、潮見俊隆編『ある弁護士の歩み』日本評論社、1968年
  • 木村健康編「裁判記録」『河合栄治郎全集』第21巻、社会思想社、1969年
  • 許世楷「河合栄治郎事件――自由主義者の受けた思想弾圧」『日本政治裁判史録 昭和・後』第一法規、1970年
  • 木村健康『東大・嵐の中の四十年』春秋社、1970年
  • 扇谷正造『カイコだけが絹を吐く』雷鳥社、1970年
  • 明石博隆、松浦総三編『知識人にたいする弾圧上』昭和特高弾圧史第1巻、太平出版社、1975年
  • 「河合教授問題の発生及経過に関する調査」『思想統制』現代史資料第42巻、みすず書房、1976年
  • ねず・まさし『現代史の断面・ノモンハンの惨敗』校倉書房、1993年
  • 竹内洋『大学という病――東大紛擾と教授群像』中公叢書、2001年
  • 立花隆『天皇と東大――大日本帝国の生と死』下、文藝春秋、2005年

関連項目[編集]