河合雅雄

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河合 雅雄(かわい まさを、1924年大正13年1月2日 - )は、日本の霊長類学者、児童文学作家理学博士。兵庫県立丹波の森公苑長、京都大学名誉教授日本福祉大学生涯教育研究センター名誉所長、兵庫県立人と自然の博物館名誉館長。「雅雄」の「雄」は、現行の中学校の教科書(学校図書入学2年)をはじめとする各著書において、「を」という歴史的仮名遣いを用いている。一方、姓の「河合」は現代仮名遣いの「かわい」。なお、弟の「隼雄」は「はやお」という現代仮名遣いを用いている。

霊長類学者として[編集]

河合が生まれ育った篠山も野生サルを始めとする野生動物の宝庫であった(写真は篠山市で撮影された野生サル)。

兵庫県多紀郡篠山町(現篠山市)出身。サル研究50年。モンキー博士として知られるサル学の世界的権威京都大学霊長類研究所所長、日本モンキーセンター所長などを歴任。サルを観察することによって進化をつきとめ、人類の未来を探ることに生涯を捧げる。

幼少期より多くの動物と接し、のちに宮崎県幸島にてニホンザルの文化的行動を発見。今西錦司門下で日本モンキーセンター設立に関わる。日本モンキーセンターによる類人猿学術調査隊は1958年から1960年にかけて3回の調査を行っているが、その最初の調査対象はゴリラだった。河合は1958年、同センターの設立当初の研究員として第2次ゴリラ学術調査隊に参加した。

河合のニホンザルの研究は、アフリカの霊長類の野外調査の基礎となったばかりではなく、霊長類の文化行動研究の基盤ともなり、霊長類の順位の研究の基礎を築いた。またニホンザルの洗い行動や小麦砂金採集方などの文化行動を発見し研究分析を行った。またその文化が社会的に伝承されていくことなどを発見し、そのメカニズムを解明。サルから人間への進化をフリードリヒ・エンゲルスの説いたような「労働起源説」ではなく「遊び起源説」で説いた。1973年5月からの約1年間にわたるアフリカ・エチオピアでのゲラダヒヒを調査した成果が著書『人類進化のかくれ里』である。また、ゲラダヒヒに関しては、立花隆との対談集『サル学の現在』において、音声コミュニケーションや交尾の際、雄雌ともに大声を上げたり、人間同様に前戯も行うことなどそのユニークな行動について語られている。その中で、ゲラダヒヒの調査は驚きの連続であり、それまで考えていたサル社会の秩序についての常識が、次々に崩された思いだと述べている。

基礎研究に弱いとされる日本の学問にあって、サル学は世界的に大変優れた成果を上げている分野であるが、河合の業績はとりわけ高く評価されている。かつて河合はサル学の研究動機について、「戦争が終わってみて、何で人間はこんなバカげたことをするんだろうと思った。こんなことをする人間の人間性というものを、もう一度その大本にまで立ち返って、探ってみようと思った。そのためには、サルまで立ち返って人間性の根源をしらべにゃならんと思った」と述べている。すなわち、その研究動機の根源にあるものは人間に対する深い関心である。1994年1月号の『科学朝日』誌上で立花隆らと対談、「人間も本来は自然の一部なのに反自然的存在になってしまった。そこが他の生物と決定的に違う」と発言した。

周辺事項[編集]

河合雅雄の故郷、篠山市(篠山盆地)。少年時代に篠山で自然とのふれあいをたくさん持てたことが、困難を乗り越える原動力になったという。

一方で、草山万兎というペンネーム童話も書いている。『ゲラダヒヒの紋章』(福音館書店)はその一冊である。

河合兄弟を育んだ篠山は周囲を山に囲まれた盆地にある城下町である。当時の篠山は、多種多様な生き物や植物など豊かな生態系に恵まれた自然豊かな土地であった。河合は幼い頃、小児結核にかかり病弱だったが、野山を駆け回る少年だった。河合は自然とのふれあいをたくさん持てたことが、困難を乗り越える原動力になったという。河合は現在、丹波地方で兵庫県が進める「丹波の森構想」の公苑長、隣接市にある兵庫県立人と自然の博物館の館長などを務め、里山復興と子どもの自然教育に力を注いでいる。

河合家[編集]

河合雅雄は7人の男兄弟の三男であり、長男・仁は外科医、次男・公は内科医、四男・迪雄は歯科医、五男・隼雄臨床心理学者(京都大学教育学部名誉教授)、六男・逸雄は脳神経学者(京都大学医学部元助教授)である。

甥に臨床心理学者の河合俊雄(京都大学こころの未来研究センター教授)、法社会学者の河合幹雄桐蔭横浜大学法学部教授)、工学者の河合一穂(京都大学国際融合創造センター元非常勤研究員)、歯科医の河合峰雄(日本歯科麻酔学会理事)などがいる。

学歴[編集]

職歴[編集]

受賞歴[編集]

著書[編集]

  • 『ゴリラ探検記』(1961 講談社
  • 『ニホンザルの生態』(1965 河出書房新社
  • 『少年動物誌』(1975 福音館書店)
  • 『人類誕生のなぞをさぐる』(1977 大日本図書
  • 『ゲラダヒヒの紋章』(1978 福音館書店)
  • 『森林がサルを生んだ』(1979 平凡社
  • 『サバンナの二つの星』(草山万兎 1982 福音館書店)
  • 『霊長類学の招待』(1984 小学館
  • 『ジャングルタイム』(草山万兎 1985 理論社
  • 『人類以前の社会学―アフリカに霊長類を探る』(1990 教育社)
  • 『子どもと自然』(1991 岩波書店
  • 『人間の由来上・下』(1992 小学館 毎日出版文化賞)
  • 『小さな博物誌』(1994 筑摩書房 産経児童出版文化賞)
  • 『河合雅雄著作集全13巻』(1996 小学館)
  • 『河合雅雄の動物記(1)ゲラダヒヒの星』(草山万兎 1997 フレーベル館
  • 『河合雅雄の動物記(2)カワウソ流氷の旅』(2000 フレーベル館)
  • 『ユカの花物語』(2000 小学館)
  • 『河合雅雄の動物記(3)大草原のウサギとネコの物語』(2001 フレーベル館)
  • 『森に還ろう』(2003 小学館)
  • 『河合雅雄の動物記(4)三羽の子ガラス』(2005 フレーベル館)

訳書[編集]

  • 『森はだれがつくったのだろう?』(ウィリアム・ジャスパソン 文 チャック・エッカート 絵)

論文[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 中日文化賞:第41回-第50回受賞者”. 中日新聞. 2009年10月24日閲覧。

関連項目[編集]

河合雅雄(モデルとした人物)を演じた俳優[編集]