淀橋教会

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淀橋教会
所在地 東京都新宿区 百人町1-17-8
日本の旗 日本
教派 ウェスレアン・ホーリネス教団
過去の教派 日本基督教団
ウェブサイト http://www.yodobashi-church.com/
歴史
創設日 1911年 (1911)
聖職者
牧師 峯野龍弘
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淀橋教会(よどばしきょうかい)はホーリネス運動で最初に誕生したウェスレアン・ホーリネス教団教会。ホーリネス運動の中で重要な役割を果たして来た。ヨハン教会やクリスチャントゥデイとの関係が深い。

沿革[編集]

初代牧師笹尾鉄三郎
現在の淀橋教会

中央伝道館[編集]

1901年中田重治チャールズ・カウマンが東京神田神保町に中央福音伝道館を設立する。しかし、この時点では教会を形成する予定はなかった。

聖書学院教会[編集]

1904年に活動の拡大に伴い、聖書学校が淀橋町柏木に移転し、東京宣教会聖書学院に、通称柏木聖書学院になる。聖書学院で集会が行われるようになり、教会が形成され聖書学院教会と呼ばれた。菅野鋭が聖書学院教会の牧師をしていた。

淀橋教会設立[編集]

1911年の聖教団事件の際に、聖書学院教会と神田の信徒で日本聖教団淀橋教会と呼称するようになる。笹尾鉄三郎が嘱託で初代牧師に就任する。10月29日に聖書学院講堂で聖書学院教会と淀橋連合が礼拝をした後に、聖書学院教会を閉鎖して、新しい借家の淀橋教会へ全信徒が移ることになった。しかし、1ヶ月後に和解して、淀橋教会は再び聖書学院講堂で礼拝をすることになった。1913年には、笹尾鉄三郎が事実上淀橋教会を辞任して、フリーの巡回伝道者になる。1913年(大正2年)に中田重治が東洋宣教会報を発表して、車田秋次が淀橋教会の担当をすることになる。[1]1914年4月27日に聖書学院の外に会堂を建設して、独自の会堂で礼拝するようになる。[2]中田が東京にいるときはよく淀橋教会で説教をした。その後、中田重治が牧師に就任する。

小原時代[編集]

第4代目牧師の小原十三司

1917年4月27日に小原十三司が四代目牧師に就任する。1917年東洋ホーリネス教会の設立と共に、福音伝道館から正式に教会になった。[3]1919年に、淀橋教会での早天祈祷会がきっかけになり、大正のホーリネス・リバイバルが起こる。1924年会堂の増築をして、2月10日より14日まで落成式と兼ねた記念聖会が行われ、中田重治監督が説教をした。

1933年に ホーリネス分裂事件が起こり、淀橋教会は委員側になる。1935年に大外側を改築する。1936年に和協分離によって解決する。淀橋教会は正式に日本聖教会の所属になる。一方、中田重治側は聖書学院内に柏木教会を設立する。1941年に、日本基督教団が設立され、日本基督教団第六部の所属になる。

1942年、ホーリネス弾圧事件により、小原十三司が投獄される。1943年に政府よりホーリネス系の教会に解散命令が出て、淀橋教会は閉鎖される。1945年にはアメリカ軍の空襲で教会堂が消失する。

戦後、小原が淀橋教会再建する。教会は新宿区百人町に移転される。[4]1949年に、車田秋次、山崎亭治らが東洋宣教会の提案により、日本ホーリネス教団を設立した。それに対して小原十三司、一宮政吉らが指導者になり、日本基督教団にとどまり、ホーリネスの群を形成する。小原は中央委員長、東京聖書学校校長として尽力し、淀橋教会は小原の指導によりその中心的な教会になる。

峯野時代[編集]

1972年に小原十三司が現職のまま死去すると、峯野龍弘が五代目牧師に就任する。そのころ日本基督教団内でイエスをキリストと告白しなくても教職試験を受けられる問題が起こったため、1992年に峯野龍弘が中心になり日本基督教団を離脱、ウェスレアン・ホーリネス教団を設立する。

ヨハン問題[5][編集]

淀橋教会韓国部が淀韓(ヨハン)教会として1995年に独立。以降、大学キャンパス内などでの正体を隠した強引な勧誘活動や、学生宅近くでの待ち伏せ行為などが問題となっていた[6]。多くの大学で注意喚起がされていたが、偽装サークルが大学内での活動認可を取り消されるたびに別のサークル名で活動するなどしていた[5]

2014年、主管牧師の金圭東が、長年にわたり教職者や信者に対して秘密裏に常習的なセクハラ行為や性的暴行、傷害を加えていたことが被害者により告発された[7]。同年8月14日、当教会役員は金圭東に対し数億円の退職金を支払い、依願退職の形で辞任させた[8]。役員のほとんどが金圭東の親族だったため、解任が出来なかったと言われている。

また副牧師の柳廷勲(Ryu JungHun)が、教職者や信者に対して木刀による殴打を加えていたという暴力事件が、主管牧師のセクハラ事件発覚と同時に、数名の被害者により報告された。被害者の中には、強度のうつ状態になったり、PTSDを引き起こしたりするものもいた[9]

脚注[編集]

  1. ^ 『中田重治伝』216ページ
  2. ^ 『中田重治伝』341ページ
  3. ^ 『中田重治伝』249ページ
  4. ^ 『日本キリスト教歴史大事典』p.266
  5. ^ a b ヨハン教会の問題点”. 川島堅二. 2019年11月9日閲覧。
  6. ^ ヨハン早稲田教会、設立15周年記念の偽装勧誘”. やや日刊カルト新聞. 2019年11月9日閲覧。
  7. ^ 日本の宣教代父、女性教役者に対する常習的なセクハラの疑い”. Newsnjoy. 2019年11月9日閲覧。
  8. ^ ヨハン教会、金圭東牧師の事件で教界へお詫び 一連の経緯を説明”. クリスチャントゥデイ. 2019年11月9日閲覧。
  9. ^ 教会がカルト化するとき. いのちのことば社. (2002.12.02). 

関連項目[編集]