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渋谷スクランブル交差点

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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西側、渋谷109とQFRONT(2018年)
地図
南東側(2018年)
北東側(2019年)

渋谷スクランブル交差点(しぶやスクランブルこうさてん)[1]あるいは渋谷駅前のスクランブル交差点(しぶやえきまえのスクランブルこうさてん)[2]は、東京都渋谷区宇田川町および渋谷区道玄坂2丁目の境にあるスクランブル交差点渋谷駅前交差点[3]の通称。都内屈指の繁華街であり流行の発信地でもある渋谷において[3]最も人が多く行き交う場所であり[4][5]、日本の都市風景を象徴する存在として[6]「世界で最も有名な交差点」ともいわれる[3][7]

立地[編集]

宮益坂から渋谷駅北のガード下を経て道玄坂に至る東西の通りと、渋谷駅西口駅前から渋谷公園通りに至る南北の通りが交わる位置にあり、さらに北西方向に渋谷センター街が伸びた五叉路となっている。歩行者交通の面では渋谷駅ハチ公改札と各方面の繁華スポットを連絡する交通の要所であり[5]、渋谷で最も混み合う地点になっている[4][5]。南東角(ハチ公前広場)から北西角(QFRONT前)までの距離は約36メートルあり[1]、世界有数の巨大交差点である[8]

交差点の南東は、渋谷駅ハチ公改札とその前に広がるハチ公前広場になっており、待ち合わせ場所の定番として有名である[9]。広場のハチ公像は渋谷のシンボルとして知られる[9]。また2006年に設置された鉄道車両(東急電鉄旧5000系「青ガエル」)は、外国人観光客の急増に対応するため2013年から外国人向け観光案内所が設けられている[10]

交差点から南へ向かうと、渋谷駅西口と駅前バスターミナルがあり、そこに面してこれも待ち合わせ場所として有名なモヤイ像が置かれている[10]

交差点の南西角は、複合ビルの渋谷駅前ビルが建ち、2018年時点でコスメブランドのロクシタン直営店やファミリーレストランガストなどが入居している[11]

交差点から西へ向かうとすぐに渋谷109を正面に見る三差路(道玄坂下交差点)となり、左が道玄坂、右が文化村通りとなる。

交差点の北西角は、ハチ公前広場から最も目につきやすい位置にある[12]。その絶好の立地[13]に建つ地上8階建ての商業施設 QFRONT は、正面全体のガラス壁面に「Q'S EYE」と呼ばれる大型デジタルサイネージを埋め込み、両側面の壁は「Q'S wall」と呼ばれる大型広告ボードになっている[14]。建物内には、書店・ソフトレンタル店の TSUTAYA やコーヒーショップのスターバックスなどが入居している[15]。QFRONT の左脇がセンター街入口、さらにその向かいに大盛堂書店がある。

交差点から北へ向かうと、渋谷西武公園通りファイヤー通り方面へと出る。

交差点の北東角にある化粧品ディスカウントストア三千里薬品は1962年からここに店を構える老舗である[16]。左隣で甘栗を販売する天津甘栗も同年の開業であり、かつては三千里薬品で一定額以上の買い物をするとその甘栗の引換券を貰えた[17]

交差点の真下には渋谷地下街(しぶちか)が広がる[18]東急田園都市線東京メトロ半蔵門線の渋谷駅はしぶちかのさらに直下にある[19]

交通量[編集]

この交差点は「世界一混み合う交差点」と呼ばれることもあり[1]、深夜・早朝を問わず人通りが絶えることは殆ど無い[5]

交差点を渡る歩行者の具体的な数は、2016年の渋谷センター街のウェブサイトによると1回の青信号(2分間隔[10])で多いときに3,000人[1]、2014年の渋谷再開発協会の流動計測調査を基に算定すると平日26万人・休日39万人[1]、あるいは多い時で一日50万人[3]、2012年の SOTO 屋外メディア総合調査によると1週間に150万人[12]、など諸説ある。

屋外広告[編集]

北西側の夜景(2016年)

この交差点は膨大な通行人数もさることながら、ニュース番組[20]天気予報で頻繁にテレビ中継されることもあり[1]、設置する広告の露出効果は極めて高く[1]、日本における屋外広告メッカになっている[21][22]。交差点の周囲には屋外広告が林立し、映像を流し続ける何枚もの大型屋外ビジョン(デジタルサイネージ)からは音楽や宣伝コピーが鳴り響き[23]、映画監督のソフィア・コッポラはその光景を「まるで『ブレードランナー』のようだ」と表現した[10]

2019年時点で6面の大型屋外ビジョンが[11]交差点を取り囲むように配置され[3]、信号待ちをする通行人へ向けて日夜コマーシャル映像ミュージックビデオを流し続けている[13]。ハチ公前広場から見て左から、大外ビル屋上の「シブハチヒットビジョン」、渋谷駅前ビル屋上の「渋谷駅前ビジョン」、大盛堂書店の「DHC Channel」、QFRONT のガラス壁面内に埋め込まれた「Q'S EYE」、三千里薬局の「グリコビジョン」、MAGNET by SHIBUYA109 壁面の「109フォーラムビジョン」がある[11]

例えば「シブハチヒットビジョン」は、一日あたり4.25時間の露出を一週間分として、出稿料は約300万円となっている(2014年時点)[24]。また東急東横店の北側壁面の巨大広告は2週間の買い切りで1400万円(2016年時点)と破格の高さだが、広告代理店の東急エージェンシーによると「ずっと空きがない」という[1]

誘引力[編集]

訪日観光客にとって[編集]

交差点のタイムラプス動画(2019年1月5日撮影)

この交差点は、東京名所の一つ“Shibuya Crossing”として海外の多くの観光ガイドで紹介され[25][8]、訪日観光客にとって有名観光スポットになっている[26]タイムズスクエアニューヨークの顔として知られるように、この交差点は東京、ひいては日本を代表する情景として、広く世界的に知られている[27]。交差点の歩行者用信号が青になった途端、四方から押し寄せる夥しい群衆がぶつかることなく整然とそれぞれの方向へ散ってゆく様子は[26][20]首都圏に住む日本人にとっては気にも留めない一風景に過ぎないが[28]、外国人の目には秩序を好む日本人らしさの象徴と新鮮に映るようで[25][28]、わざわざこの交差点を見に来る人は後を絶たず[3]、交差点周辺で写真や動画を撮る外国人の姿が普段からよく見られる[29][20]

この交差点が海外へ広く知られるようになったきっかけは、ソフィア・コッポラが監督した2003年の映画『ロスト・イン・トランスレーション』のロケ地のひとつとなったことに遡り[29][30]、ラインプロデューサーを務めた井上潔によるとこの映画が「日本のイメージとしての渋谷を、広く海外へと知らしめる契機となった」[28]。その後、この交差点は東京を代表するロケーションとして[28]日本映画のみならず多くの海外映画にも登場するようになり[3](例えば2006年の『バベル[28]、2006年の『ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT[3]、2010年の『バイオハザード4[28][3]など)、ほか様々なテレビドラマプロモーションビデオのロケ地にもなっている[31]

2016年リオデジャネイロオリンピックの閉会式フラッグハンドオーバーセレモニーで紹介された次回開催地・東京を紹介する映像パート「WARMING UP! TOKYO 2020」では、冒頭で体操選手の土橋ココがこの交差点でゆかの演技(タンブリング)をするシーンからスタートし[32]、さらには最終盤ではドラえもんがスクランブル交差点に建てた土管にマリオが飛び込んでリオデジャネイロに向かうという形で、東京を代表するロケーションとして紹介されている[2]

日本人にとって[編集]

ハロウィンの夜(2018年)

この交差点は21世紀になってから、大晦日サッカーW杯ハロウィンといった社会的大イベントの際に若者らが集ってお祭り騒ぎをする、象徴的な場になった[33]。それらは行政や商工団体などが働きかけたものではなく、自然発生的に始まった現象であり[34][35]、集まるのは近辺を生活圏とする地元住民でなく、殆どが他所から渋谷へ訪れてくる人々である[34]。その時この交差点の周囲は、祭りの当事者として盛り上がる者、それを取り巻いて見物する者、やり過ごして通り過ぎる者でごったがえす[36]非日常空間と化す[37]。それが渋谷の賑わいの象徴としてマスメディアや SNSで拡散することにより、さらに多くの人が共感や刺激を求めてこの交差点へ集まるようになった[38]

大晦日のカウントダウンでこの交差点に毎年人が集まるようになったのがいつ頃からかははっきりしないが[39]、少なくとも2000年の大晦日深夜(21世紀前夜)にあったことは確認できる[39]。2009年、2010年、2011年にカウントダウンの現場を訪れたフィールド調査では、いずれも外国人の割合が明らかに多く、カウントダウンイベントは無いにもかかわらず、タイムズスクエアでのような盛大なイベントを期待しているかのようだった[40]。2018年の時はこの交差点は歩行者天国となり、様々なイベントが催され、カウントダウン時にはハチ公前広場が満員の人だかりとなった[3]

サッカーW杯でこの交差点に人が集まるようになったきっかけは2002年の日韓大会である[37][6]。渋谷にはもともと店内で試合を観戦できるスポーツバーが多数あり、試合後に客がこの交差点に集まって気勢をあげるということがあった[3]。日韓大会の予選リーグで日本が勝利した際には、この交差点に1000人以上が集まり[37]勝利を祝ってハイタッチするなどして騒ぎ[41]、一部が暴徒化した[37]。2006年のドイツ大会では日本は予選リーグで1勝もできず、この交差点で盛り上がったらしい記録は無いが[41]、2010年の南アフリカ大会から再びこの交差点での賑わいがマスメディアで取り上げられるようになった[41]。2013年8月4日には日本のブラジル大会出場が決まった試合があったが、その際には混雑による混乱を避けるためこの交差点の封鎖が初めて実施され[42]、またそこで交通整理にあたった所謂「DJポリス」のユーモアを交えた働きが[2]マスメディアで繰り返し報じられたことは、この交差点に群衆が集まるという事象を社会的に広く認知させることにつながった[42]。今やW杯での日本の勝利をマスメディアが報じるとき、この交差点の賑わいの映像を添えることは恒例となっている[43]。なお、他のスポーツと違いサッカーでのみこの交差点に人が集まる理由について、サポーターたちが揃いの日本代表ユニフォームを着、同じ応援歌を合唱するというサッカーならではの文化的背景を國學院大學の高久舞は挙げている[44]

ハロウィンの時期、パレード等のイベントも無いのに思い思いに仮装した若者がこの交差点へ集まり盛り上がるようになったのは、2014-2016年頃からとの認識を渋谷区観光協会は示している[35]。この交差点でのハロウィンの仮装の写真や動画の投稿を SNS 上で追った研究によると、そうした投稿は2008年から確認できるものの、急激に増え始めたのは2013年だった[45]。もともと渋谷では、ハロウィンの仮装イベントをクラブで開くことが以前からあり、イベント終了後に街へ繰り出した参加者を格好の「映える被写体」として多くの通行人が何度も SNS でシェアするにつれ、「渋谷に行けば仮装した人が沢山いる」という認識が世間に広がってゆき、人が集まるようになったのだろうと日本ハッピーハロウィン協会は述べている[46]。ハロウィンの仮装のムーブメントが始まったことを以って、この交差点は「年越し、W杯を“祝う場”から“人が集まり、何かが起こりそうな、面白そうな空間”へと変容した」と高久は分析した[47]コラムニスト泉麻人は「若者にとって渋谷のスクランブル交差点はショーの『舞台』のようなもの」と述べた[33]

歴史[編集]

この交差点を東西に走る道は、古くは大山街道、大山道中、さらに古くは矢倉沢往還と呼ばれ、西は秦野小田原を経て東海道に合していた[48]江戸時代におけるいわば東海道の主要なバイパスのひとつであるが、馬が牽く荷車がようやくすれ違える程度の道幅しかなく、秦野の葉タバコ、多摩の江戸市中に運ぶなど、産業道路として機能していた[48]。明治初年においても、東京の市街地は東の青山かせいぜい宮益町のあたりまでに留まっていた[49]

1885年3月、東海道線東北線を接続する品川-赤羽間の品川線開通と共に、渋谷駅がひっそりと開業したが[50]、当時の駅舎は現在の位置より200メートルほど南に置かれ[51]、一帯は渋谷川に沿って南北に開けた農村集落に過ぎなかった[52]。しかし日清日露戦争を経験した明治半ば以降になると、手狭になった都心から郊外への兵営の移転や、郊外での兵営の新設が相次ぐようになり、目黒駒場の大山街道沿いには騎兵実施学校、近衛輜重兵営、騎兵第一連隊兵営、陸軍獣医学校などが、さらに先の世田谷には陸軍第二衛戍病院、野戦砲兵第一旅団司令部、近衛野戦砲兵営、野戦砲兵第十三、十四、十五連隊兵営などが続々と設置されるようになった[53]。そしてそれらの兵士たちが休日に繰り出す歓楽地として、また渋谷駅があり地方からの便がよいことから入営・除隊の送迎に集う場として、この交差点を含め道玄坂から宮益坂にかけての一帯は東京西郊の盛り場に発展しはじめた[53][54]。1907年に玉電がそれらの兵営をつなぐようにして渋谷まで開業したことも、そうした渋谷の賑わいを後押しした[53]

駅周辺の地図(1921年)

1921年、山手線の旅客輸送力増強を目的とする旅客線と貨物線の分離工事および宮益坂下の踏切の高架化工事に伴ない[55]、渋谷駅はほぼ現在の位置に造られた新駅舎へ移動し、この交差点は初めて渋谷駅と相対して行き来できるようになった[56]。さらに高架化によって大山街道の往来が自由になったため、それまで宮益坂下を終点としていた東京市電は1922年に山手線のガードをくぐるように延長され、渋谷駅西口正面(現在のハチ公前広場)が新しい終点になった[56]。これにより渋谷駅近傍から青山・都心方面への便が格段に向上し[56]、国電と市電の乗り継ぎ場として多くの人が行き交うようになったガード下周辺には飲食店が立ち並んだ[51]

… しかし(市電の)開通一年後になって、駅付近の人通りが多くなったこと、通行人の構成が変って来たことが子供にも意識されるようになる。国電と市電から吐き出される人数が、いちどに街頭に溢れるということは、これまで渋谷のどこにもなかった。 … — 大岡昇平、『少年』[51]
駅周辺の地図(1945年)

かくして渋谷駅前からこの交差点を経て宇田川町、「渋谷の浅草」と呼ばれた百軒店[57]を擁する道玄坂にかけての一帯は明治末から昭和にかけて渋谷の発展をリードし、旧態依然な家屋の密集地帯になっていた[58]。しかし太平洋戦争末期には建物の強制疎開空襲によって、鉄筋コンクリートだった一部の建物を除き、それらはほぼ一面が瓦礫と化した[58]

闇市が立ち並んだ1945年に渋谷駅前から写した道玄坂方面

1945年8月に終戦を迎えると、ターミナル駅として人が集まる渋谷駅周辺はたちまち闇市で埋め尽くされ[59][60]、特に台湾人グループが第三国人としての特権的立場を利用して勢力を伸ばした[61]。彼らは「駅前マーケット」と呼ばれた闇市を統制するのみならず、駅前ロータリーからこの交差点を経て渋谷消防署に至る一帯を「中国租界」にしようと画策したが、警察および新橋の松田組と武力衝突し、1946年7月の渋谷事件によって摘発され、台湾人の駅前マーケットは姿を消した[61]。その後、公道上の露店は GHQ の指示により交通保安、防火活動、衛生管理、都市美観保持を理由として1949年から整理が行なわれることになり[62]、それらの露店は代替地や厚生資金を斡旋することでマーケット化を図るものとして[63]、渋谷では飲食系の露店は「屋台飲食店街」(のんべい横丁)へ、物品販売系の露店は「渋谷地下街」(しぶちか)を建設し移転すると決まり、渋谷の露店整理事業が進められた[64]。都内の常時露店は1951年末までに全て撤去されたが[63]、渋谷の露店は特例的に西口広場での営業認可を受けるなどして存続し[65]、最終的に、1957年12月11日に開業した「しぶちか」へ移転した[66]。「しぶちか」は日本最初の本格的な大型地下商店街[67]として多くの客を惹きつけた[68]

1952年の駅前交差点

終戦後に建てられたバラックが撤去された後、一帯は区画整理が行なわれた[58]。戦災復興が進むにつれ駅周辺の交通渋滞は深刻化し、特に駅前広場の拡張と、宮益坂からのこの交差点を経て道玄坂に至る区間の道路拡幅がなかなかままならなかったが、1956年3月末までにはビルの取り壊しや家屋の移転により拡幅の見通しが立った[69]。他にこの交差点の周辺の変化としては、1948年に二代目のハチ公像が広場の交差点寄りに設置されたり、交差点西側の角地にあった山一証券ビルが1950年ごろに曳家で玉電ビル脇へ移されたり(1956年解体)[58]、交差点を区切って「しぶちか」の建設工事が行なわれたり(1956年9月20日[70]〜1957年末)、現在のハチ公口にあった都電の終点が1957年3月に駅東口のループ線上の都電ターミナルに移設されたり[71]、といったものがあった。1960年代半ばまでは交差点の周囲は2-3階建てのビルが殆どだった[72]

1960年代半ばになると、経済成長と交通網の整備が進んだことにより、都心の百貨店には他県近郊からの客層が大幅に増えるようになった[73]。もともと渋谷は谷あいの狭隘な地のため消費者を受け入れる商業地としての力が弱く[73]、沿線の若者は渋谷を素通りして新宿銀座へ遊びに行ってしまうことが多かったが[74]、ここにきて渋谷にも百貨店進出の機運が高まった。まず最初に、丸井渋谷店が1967年2月に開業し、次いで渋谷を本拠とする東急が大向小学校跡地に東急百貨店本店を1967年11月に開業した[73]。そして、堤清二が1966年に社長へ就任してから拡大路線をとっていた西武が1968年4月19日に、この交差点のすぐ北100メートルの井之頭通り入口に西武百貨店を開業した[73]。西武百貨店は多くの媒体を駆使したコマーシャル展開を行ない[73]、それまでせいぜい盛り場の北限に過ぎなかったその一帯が[74]にわかに活況を呈し始めた。西武百貨店が開業したことで地下街入口の通行量は3-5割増加し、開業一ヵ月前には峰岸ビル前(現在の QFRONT 前)の人通りは平日22,000人、休日21,000人だったが、開業一ヵ月後にはそれぞれ74,000人、125,000人に激増した[75]。1973年、さらに北にオープンした渋谷パルコも爆発的人気を呼んで[76]周辺を活性化させ[74]、センター街にも若者が集まるようになり[74]、1973年にこの交差点はスクランブル化された[77]。この頃から「流行の発信地」という渋谷のブランドイメージが確立するようになった[76]

1992年の交差点(正面が峰岸ビル)

1998年の意識調査によると、当時渋谷の象徴と見做されていたのは専ら渋谷109、ハチ公、センター街であり、この交差点の認知度は高いとは言えなかったが[78]、21世紀に入りサッカーW杯やハロウィンでこの交差点に集う群衆がマスメディアや SNS で度々取り上げられ、この交差点は渋谷のシンボルとして内外に広く知られるようになった。

2027年完成を目指し進められている渋谷駅周辺の再開発の一環として、現在のハチ公前広場は西口駅前広場として2027年までに拡張される予定である[79]

その他[編集]

2019年6月、栃木県足利市に所在する足利競馬場跡地の1.5ヘクタールの土地に、渋谷スクランブル交差点を再現した映画撮影用のオープンセットを建設することが足利市から発表され[80]、9月19日にマスメディア関係者に公開された[81]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 井上恵一朗 (2016年4月22日). “【東京はてな】 渋谷交差点、1回で3千人横断?”. 朝日新聞: p. 29 
  2. ^ a b c 木曽崇 (2017年7月20日). “渋谷駅前が「荒れた所」から観光地化した事情 (1/4)”. 東洋経済オンライン. 東洋経済新報社. 2019年4月7日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k 渋谷スクランブル交差点の楽しみ方”. JOURNEY of JAPAN. 三井住友カード (2018年8月2日). 2019年4月7日閲覧。
  4. ^ a b 高久 (2013) p.328
  5. ^ a b c d 内山理名「内山理名のTokyoフォトアルバム File16」『東京ウォーカー』2000年10月17日号、角川マガジンズ、 85頁。
  6. ^ a b 木曽崇 (2017年7月20日). “渋谷駅前が「荒れた所」から観光地化した事情 (2/4)”. 東洋経済オンライン. 東洋経済新報社. 2019年4月7日閲覧。
  7. ^ 桑原恵美子 (2015年10月26日). “世界に向けて日本の“カフェ”文化を発信 (3/3)”. 日経トレンディネット. 日経BP. 2019年4月7日閲覧。
  8. ^ a b * 中島耕太郎 (2014年11月29日). “YOUなぜ撮る? 渋谷交差点”. 朝日新聞 夕刊: p. 3 
  9. ^ a b 忠犬ハチ公像”. じゃらんnet. リクルート. 2019年3月31日閲覧。
  10. ^ a b c d 伊藤隆太郎 (2016年3月5日). “【みちのものがたり】 外国人を引きつける渋谷スクランブル交差点 - 猥雑で混沌とした近未来都市”. 朝日新聞 be: p. e2 
  11. ^ a b c 渋谷・スクランブル交差点に新屋外ビジョン 5面シンクロやスマホと連動も”. シブヤ経済新聞. 花形商品研究所 (2018年12月20日). 2019年3月31日閲覧。
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  67. ^ 渋谷区教育委員会 (2013) p.46
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  76. ^ a b 渋谷 Walker. KADOKAWA. (2015). pp. 14. 
  77. ^ 朝日新聞 2016年3月9日 朝刊 37面
  78. ^ 高久 (2017) p.302
  79. ^ 渋谷 Walker. KADOKAWA. (2015). pp. 5. 
  80. ^ スクランブル交差点の映画撮影セット 栃木・足利に建設”. 産経新聞 (2019年6月28日). 2019年7月1日閲覧。
  81. ^ “足利に「渋谷スクランブル交差点」 報道関係者に公開 21日から撮影開始【動画】”. 下野新聞. https://www.shimotsuke.co.jp/articles/-/222127 2019年9月20日閲覧。 

参考文献[編集]

  • 上山和雄, ed (2011). 歴史のなかの渋谷 渋谷から江戸・東京へ. 渋谷学叢書. 第2巻. 雄山閣. ISBN 978-4639021780. 
    • 第七章「渋谷の魅力、その歴史的成り立ち」 上山和雄
    • 第十一章「戦後復興とオリンピック」 上山和雄
  • 石井研士, ed (2013). 渋谷の神々. 渋谷学叢書. 第3巻. 雄山閣. ISBN 978-4639022619. 
    • 第八章「渋谷の《祝祭》 スクランブル交差点につどう人々」 高久舞
  • 田原裕子, ed (2015). 渋谷らしさの構築. 渋谷学叢書. 第4巻. 雄山閣. ISBN 978-4639023517. 
    • 第一章「首都圏整備と東京・渋谷」上山和雄
    • 第五章「渋谷の現在と再開発の課題」大友教央
  • 上山和雄, ed (2017). 渋谷 にぎわい空間を科学する. 渋谷学叢書. 第5巻. 雄山閣. ISBN 978-4639024699. 
    • 第四章「渋谷駅前の戦災復興 駅前広場・闇市・再開発」 石榑督和
    • 第十章「イメージと現実の渋谷 外来者と生活者からみる渋谷の空間』」高久舞
  • 渋谷駅『渋谷駅100年史 渋谷駅開業100周年記念』日本国有鉄道渋谷駅、1985年。
  • 三好好三、生田誠 (2013). 渋谷の今昔アルバム 激変した渋谷の街のタイムトリップ写真帖. 彩流社. ISBN 978-4779117206. 
  • 渋谷区教育委員会, ed (2013). 渋谷の記憶 写真でみる今と昔 3. 渋谷区教育委員会. 
  • 三島大輔「渋谷駅改良工事の歴史」『土木施工』第56巻第8号、オフィス・スペース、2015年8月、 68-71頁。

関連項目[編集]

座標: 北緯35度39分34秒 東経139度42分02秒 / 北緯35.6595度 東経139.70055度 / 35.6595; 139.70055