渡辺覚造

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渡辺 覚造(わたなべ かくぞう、1891年6月 - 1972年3月1日)は、日本医師貴族院議員多額納税者水戸市長。

経歴[編集]

茨城県久慈郡世矢村(現・常陸太田市)出身[1]1926年旧制愛知医科大学(現・名古屋大学医学部)卒[2]。同大学付属病院に勤務[3]1929年に水戸市で病院を開業する[1][2][3]1936年大洗海岸結核患者のサナトリウム大貫海岸病院を開設した[1]1942年1月、貴族院多額納税議員に選出され[2]、同月23日に就任した[4]。同年10月水戸市会の推薦により水戸市長に就任した[3]。市長在任中には市内の小学校の給食を開始[3]や市立図書館の開館[1][3]があり、1945年8月2日には水戸空襲が起きた[3]。同月、終戦を迎え、翌9月に米軍が水戸に進駐[3]、水戸市の戦災復興に乗り出した[1]1946年4月に市長を退任[3]1947年5月まで貴族院議員を務めた[2]。その後は日本原子力産業会議の相談役に就任[1]。この他茨城県医師会会長[2]、日本医療団顧問[2]、茨城県商工経済会会長[1]などを歴任した。1972年死去。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 『茨城県大百科事典』1097頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』229頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『日本の歴代市長』第1巻、499頁。
  4. ^ 『官報』第4511号、昭和17年1月24日。

参考文献[編集]

  • 『茨城県大百科事典』茨城新聞社、1981年。
  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。