満州軍 (日本軍)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
満州軍
創設 1904年明治37年)6月20日
廃止 1905年(明治38年)
所属政体 Flag of Japan.svg大日本帝国
所属組織 大日本帝国陸軍
部隊編制単位 総軍
所在地 満州
編成地 満州
最終位置 満州
主な戦歴 日露戦争
テンプレートを表示

満州軍(まんしゅうぐん)は、大日本帝国陸軍総軍の一つ。

沿革[編集]

日露戦争中の1904年6月に現地総司令部として設置された。開戦当初は内地に大本営を置き指揮をとっていたが、現地司令部の必要性から開戦から3ヵ月後に設置された。大本営で参謀総長だった大山巌が総司令官に、参謀本部次長だった児玉源太郎が総参謀長となった。

略年表[編集]

九連城攻撃の図
  • 1891年5月11日:大津事件
  • 1904年2月4日:御前会議で対ロシア開戦を決定
  • 1904年2月6日:ロシアに国交断絶通告
  • 1904年2月10日:ロシアに宣戦布告
  • 1904年2月11日:大本営を宮中に設置
  • 1904年2月24日:第一次旅順口閉塞作戦
  • 1904年3月27日:第二次旅順口閉塞作戦
  • 1904年5月1日:第1軍、九連城占領
  • 1904年5月3日:第三次旅順口閉塞作戦
  • 1904年5月25日:金州・南山で交戦
  • 1904年5月26日:金州・南山占領
  • 1904年6月15日:得利寺付近で交戦
  • 1904年6月20日:満州軍総司令部設置
  • 1904年7月26日:旅順攻撃開始
  • 1904年8月19日:第1回旅順総攻撃
  • 1904年8月28日:遼陽会戦
  • 1904年9月19日:第2回旅順総攻撃
  • 1904年10月9日:沙河会戦
  • 1904年11月26日:第3回旅順総攻撃
  • 1904年12月5日:二〇三高地占領
  • 1905年1月2日:旅順陥落
  • 1905年1月22日:血の日曜日事件ロシア第一革命
  • 1905年1月25日:黒溝台会戦
  • 1905年3月1日:奉天会戦
  • 1905年7月7日:第13師団、南樺太に上陸
  • 1905年7月31日:樺太ロシア軍が降伏
  • 1905年9月5日:日露講和条約に調印・日比谷焼討事件
  • 1905年9月6日:東京市他5郡に戒厳令施行
  • 1905年10月15日:日露講和条約批准・発効
  • 1905年10月16日:日露講和条約公布

満州軍総司令部概要[編集]

※特に注記のない者については1904年6月20日に任命されてから解隊まで在職していた。

総司令官[編集]

総参謀長[編集]

高級参謀[編集]

作戦参謀[編集]

情報参謀[編集]

兵站参謀[編集]

参謀[編集]

  • 河合操(1904年11月6日まで)
  • 東正彦(1905年6月14日まで)
  • 星野庄三郎(1905年6月23日まで)
  • 川崎良三郎(1904年8月24日~)
  • 小澤三郎(1904年8月24日~1905年5月9日、満州軍総兵站監部参謀へ異動)
  • 田村守衛(1904年9月4日~1905年8月15日)
  • 稲垣三郎(1904年9月14日~1904年11月12日)
  • 渡辺寿(1904年10月18日~)
  • 中川幸助(1904年11月8日~1905年6月14日)
  • 吉田延市(1905年4月19日~1905年5月14日、満州軍総兵站監部参謀へ異動)
  • 三原辰次(1905年6月15日~)
  • 安芸晋(1905年6月15日~)
  • 市瀬敬三郎(1905年6月15日~)
  • 曽田孝一郎(1905年7月12日~)
  • 高柳保太郎(1905年8・14~)

高級副官[編集]

  • 中川幸助(1904年11月7日まで)
  • 市川岩太郎(1904年11月20日~)

管理部長[編集]

  • 三岳於菟勝(1904年12月20日まで)
  • 芦原甫(1905年1月21日~)

満州軍総兵站監部人事[編集]

  • 総兵站監:児玉源太郎(満州軍総参謀長)
  • 参謀長:落合豊三郎(交通部長兼任)
  • 参謀:尾野実信(満州軍兵站参謀)
  • 参謀:吉田延市
  • 参謀:小澤三郎
  • 副官:鷲見栄治
  • 総経理部長:片山中行
  • 総軍医部長:小池正直
  • 交通部長:落合豊三郎(参謀長兼任)

隷下部隊[編集]

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。