源国信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
源国信
時代 平安時代後期
生誕 延久元年(1069年
死没 天永2年1月10日1111年2月26日
別名 坊城中納言(号)、正字:國信
官位 正二位権中納言
主君 白河天皇堀河天皇鳥羽天皇
氏族 村上源氏
父母 父:源顕房、母:藤原良任娘
兄弟 賢子雅実顕仲、雅俊、国信、師子、相覚、顕雅定海、隆覚、信雅、覚樹、雅兼、清覚、雅光、覚雅、御匣殿、
季房、雅隆、顕覚、藤原顕隆室、
藤原師実室、別当殿、堀河院承香殿
高階泰仲娘、高階経成娘
顕国、国教、雅国、信時、俊国、信顕、延信、仁信、信智、信子、俊子、女子
テンプレートを表示

源 国信(みなもと の くにざね)は、平安時代後期の公卿歌人村上源氏右大臣源顕房の四男または三男。官位正二位権中納言

経歴[編集]

従五位下への叙爵後、承徳3年(1079年)に信濃権守に任ぜられる。永保元年(1081年左兵衛佐、永保3年(1083年左近衛少将と武官を歴任。同年従五位上に叙せられている。美作権介を経て、応徳3年(1086年正五位下に叙せられた。

応徳3年(1086年)の堀河天皇即位に際して蔵人に任ぜられたのを皮切りに、寛治7年(1093年篤子内親王の立后に際して中宮権亮、翌寛治8年(1094年)には蔵人頭に任ぜられる等、堀河天皇に近臣として仕えた[1]。その後も堀河朝において要職を占め、承徳2年(1098年参議に任ぜられて公卿に列し、康和4年(1102年)権中納言、康和5年(1103年正二位に至った。

堀河院の歌壇で活躍し、康和2年(1100年)「源宰相中将家和歌合」を主催、また『堀河百首』を編纂した。金葉和歌集初出、以後37首が勅撰和歌集に採られる。

天永元年(1110年)11月28日に鳥羽に参った折に俄かに飲水病を発する。日を追って重くなり、翌天永2年(1111年)正月9日の寅の刻以前に出家[2]。ついで薨去。享年43。また、源師時とは兄弟のような関係であったという[3]

国信の死後に娘の信子と俊子が従兄弟の藤原忠通の妻妾となり、信子は近衛基実、俊子は松殿基房を生んでいる。

官歴[編集]

※以下、註釈の無いものは『公卿補任』の記載に従う。

  • 時期不詳:従五位下に叙爵。
  • 承徳3年(1079年)11月:信濃権守に任ず。
  • 永保元年(1081年)8月8日:左兵衛佐に任ず[4]
  • 永保3年(1083年)正月:従五位上に叙す(労)。2月:右近衛少将に任ず。4月:左近衛少将に遷る。
  • 永保4年(1084年)正月:美作権介を兼ぬ。
  • 応徳3年(1086年)正月:正五位下に叙す(労)。
  • 応徳4年(1087年)正月14日:五位蔵人に補す。11月26日:更に蔵人に補す。
  • 寛治2年(1088年)正月7日:従四位下に叙す(労)。
  • 寛治3年(1089年)正月:従四位上に叙す(無品媞子内親王御給)。備後介を兼ぬ。
  • 寛治5年(1091年)正月:正四位下に叙す(院御給)。左近衛中将に転ず。4月:齋院長官を兼ぬ。
  • 寛治7年(1093年)2月:中宮権亮を兼ぬ。長官を止む。
  • 寛治8年(1094年)2月:美作権守を兼ぬ。6月13日:蔵人頭に補す。6月22日:禁色を聴す[5]
  • 永長2年(1097年)4月:内蔵頭を兼ぬ。頭を退く。
  • 承徳2年(1098年)正月:参議に任ず。左中将如元。
  • 承徳3年(1099年)正月3日:従三位に叙す(院行幸賞)。播磨権守を兼ぬ。
  • 康和2年(1100年)7月23日:正三位に叙す(造宮行事賞)。
  • 康和4年(1102年)正月:権中納言に任ず。2月20日:従二位に叙す(御賀院司賞)。
  • 康和5年(1103年)正月2日:正二位に叙す(行幸鳥羽院行幸賞。院司)。10月26日:斎院勅別当に補す。
  • 天永2年(1111年)正月10日:病に依り出家。

系譜[編集]

  • 父:源顕房
  • 母:美濃守藤原良任の娘
  • 妻:高階泰仲の娘
    • 男子:源顕国(1083-1121)
    • 男子:源国教(?-1144)[6]
    • 男子:源雅国
  • 妻:高階経成の娘
  • 生母不明の子女

脚注[編集]

  1. ^ 『今鏡』296段
  2. ^ 中右記天永2年正月10日条
  3. ^ 長秋記天永2年正月10日条
  4. ^ 左経記永保元年8月8日条。『公卿補任』は右兵衛佐とする。
  5. ^ 時範記寛治8年6月22日条
  6. ^ 名は国範とも表記される(『殿暦康和4年1月23日条)。
  7. ^ 名は国能とも表記される。
  8. ^ 尊卑分脈』『系図纂要』による。『今鏡』では国子とする。
  9. ^ 台記天養2年(1145年)12月21日条

出典[編集]

  • 『国史大辞典 第13巻』吉川弘文館 国史大辞典編集委員会(編)ISBN 4642005137