源重遠

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源重遠
時代 平安時代末期
生誕 不詳
死没 不詳
別名 浦野四郎
官位 兵庫允信濃
氏族 清和源氏満政流(尾張源氏
父母 父:源重実、母:不詳
養父:源重宗
兄弟 重遠重成、重忠、重貞(重定)、重頼、時成
重近、実宗、仲重、源実
源義家
浦野重直葦敷重頼、小河重房、山田重弘
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源 重遠(みなもと の しげとお、生没年不詳)は、平安時代末期の武将源重実の子[1]尾張源氏の祖。

経歴[編集]

その明確な動向が史料上から窺えず不明な点が多い。ただし『尊卑分脈』にある記述によれば、祖父源重宗猶子となり、その四男として美濃国で成長したが、承暦3年(1079年)の重宗と源国房の美濃国内における合戦を理由に重宗が朝廷から追却された際、その責をとって尾張国浦野に移住したとある。また、この重宗の追却に関与した源義家(八幡太郎)の娘を娶り婿となっていたという。

事跡に不明瞭な部分が多いものの、後に尾張を本拠とする豪族として史料上に現れる山田氏や小河氏(水野氏)、高田氏、三河足助氏などは全てこの重遠に系譜を連ねている。

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 尊卑分脈』では重実の長子としているが、同時に弟の重成、重忠、重貞にそれぞれ「一男」「二男」「三男」と記す。

関連項目[編集]