滝山城

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滝山城
東京都
城郭構造 連郭式山城
天守構造 なし
築城主 大石定重
築城年 大永元年(1521年
主な改修者 北条氏照
主な城主 大石定重大石定久北条氏照
廃城年 永禄12年(1569年)から元亀3年(1572年)頃
遺構 土塁、堀、井戸、土橋、虎口
指定文化財 国の史跡
位置 北緯35度42分7.06秒
東経139度19分41.85秒
地図
滝山城の位置(多摩地域内)
滝山城
滝山城

滝山城(たきやまじょう)は、現在の東京都八王子市丹木町にあった戦国時代日本の城である。国の史跡[1]2017年平成29年)、「続日本100名城」(123番)に選定された[2]

歴史[編集]

大手口
滝山城の空堀

1521年永正18年)山内上杉氏の重臣で、武蔵国守護代大石定重が築城し、高月城から移ったという。1546年天文15年)、北条氏康が河越の夜戦(河越城の戦い)で扇谷上杉氏を滅ぼし、山内上杉氏の勢力を武蔵から排除すると、大石定久北条氏康の三男・氏照を娘婿に迎え、事実上、大石氏北条氏の軍門に下った。1558年永禄元年)頃、北条氏照は城の大改修を実施した。

1569年(永禄12年)、小田原攻撃に向かう武田信玄軍2万が滝山城の北側の拝島に陣を敷き、別働隊の小山田信茂隊1千が小仏峠から進入、これに対し北条方は廿里で迎撃したが一蹴され(廿里古戦場)、滝山城三の丸まで攻め込まれ落城寸前にまで追い込まれたが、2千の寡兵で凌いだ。しかしこの戦いは、滝山城の防御体制が不十分であることを痛感させ、八王子城を築城し移転するきっかけとなったといわれている。

なお、近年において齋藤慎一1561年(永禄4年)春に上杉謙信小田原城を攻めた際に滝山城下を経由した形跡があるのに合戦が起きていないこと、同年7月に北条氏康が三田氏を攻めた際に滝山城よりも遠い由井城(浄福寺城とみられる)に本営を置いていることなど、滝山城が存在していれば起こり得ない事例を挙げて、同年当時滝山城はまだ存在していないとした。齋藤は、小田原城から由井の北条氏照への棟別銭免除の指示を示した朱印状が出された1563年(永禄6年)4月より北条氏照が滝山城への年貢納入を命じた発給文書が出された1567年(永禄10年)9月までの4年余りの時期に上杉謙信の南下に対抗するために滝山城が築城されたとする説を提示している[3]

構造[編集]

現在は都立滝山公園となっている(中の丸)

多摩川秋川の合流点にある加住丘陵の複雑な地形を巧みに利用した天然の要害で、関東随一の規模を誇ったという。

現在、遺構として本丸・中の丸・千畳敷空堀などが残っており、国の史跡に指定されている(1951年昭和26年)6月9日指定)。大部分が東京都立公園「滝山自然公園」となり桜の名所である。

観光[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 「滝山城跡」文化遺産データベース
  2. ^ 「八王子・滝山城跡が「続日本100名城」選定 八王子城跡に続き」八王子経済新聞、2016年4月7日
  3. ^ 齋藤慎一「戦国期『由井』の政治的位置」(初出:『東京都江戸東京博物館研究報告』第6号(2001年)/所収:齋藤『中世東国の道と城館』(東京大学出版会、2010年)第13章)

関連項目[編集]