滝野 (札幌市)

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滝野
—  町名  —
厚別水車器械所跡
滝野の位置(札幌市内)
滝野
滝野
滝野の位置
座標: 北緯42度54分48.8秒 東経141度23分12.8秒 / 北緯42.913556度 東経141.386889度 / 42.913556; 141.386889
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Hokkaido Prefecture.svg 北海道
市町村 Flag of Sapporo, Hokkaido.svg 札幌市
行政区 南区
町名制定 1944年昭和19年)[1]
人口 (2017年(平成29年)1月1日現在[2])
 - 計 73人
等時帯 日本標準時 (UTC+9)
郵便番号 005-0862
市外局番 011[3]
ナンバープレート 札幌

滝野北海道札幌市南区にある地名。同区内の南東の一角を占める。

滝野は隣接する清田区有明と並んで滝が多い[4]。滝野周辺は約4万年前に支笏湖を形成した火山からの火砕流堆積物が厚く、その一部は溶結凝灰岩となっている[5]。強溶結の部分は堅くて川の下方浸食を受けにくいので、やわらかい火山灰地層との境目で高低差ができ、滝が形成される。その滝が強溶結を削りながら後退していく過程で、川の本流と支流の合流点を越えると、本流に加えて支流にも新たに滝ができる。一帯に滝が多いのはこうした理由によると考えられる[6]

歴史[編集]

札幌の開拓が始まった明治初期、滝野一帯は深い森の中であり、木材の供給地として機能していた。1879年(明治12年)から翌1880年(明治13年)2月にかけて、開拓使は82馬力水車を擁する製材工場・厚別(あしりべつ)水車器械場を建設した[7]。しかし経営は苦しく、赤字がかさむ一方だった[1]

1882年(明治15年)に開拓使が廃止されたため、工場の管轄は工部省札幌工業課に遷された。さらに1883年(明治16年)には農商務省北海道事業管理局札幌工業事務所に移管。1884年(明治17年)には厚別木挽場と改称する。工場の稼動は木材を伐り尽くす明治20年代前半まで続いた[1]

木材工場の閉鎖後、一帯はしばらく無人になったが、1899年(明治32年)に土地の貸下げを受けた阿部仁太郎によって開墾が始められた。小作人の多くは大曲から入植してきており、やがて仁太郎から土地の分譲を受けている。なお、すでに工場が閉鎖されて久しかったが、1902年(明治35年)に付けられた地名は器械場だった[1]

1913年大正2年)、開拓記念碑が建立される[7]

1944年昭和19年)、アシリベツの滝にちなんで、地名が滝野へと改称される[1]

1953年(昭和28年)、周辺の土地がアメリカ軍の演習地として接収され、その影響で過疎が進行する[8]。軍撤収後の1960年(昭和35年)、演習場の跡地に農地を共同所有する「パイロットファーム」が開設されたが、不振に終わった。しかし1970年代から動き出した滝野すずらん丘陵公園の建設によって、一帯は観光地として活気を帯びるようになった。

なお、公園の造成に伴い、1982年(昭和57年)には神社と開拓記念碑が北側に移設されている[7]

自然[編集]

施設[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 片岡 2012, p. 298.
  2. ^ 札幌市 (2017年3月15日). “人口統計” (日本語). 札幌市. 2017年3月20日閲覧。
  3. ^ 総務省総合通信基盤局電気通信事業部電気通信技術システム課番号企画室 (2014年4月3日). “市外局番の一覧 (PDF)” (日本語). 総務省. p. 1. 2016年5月4日閲覧。
  4. ^ 青木 2009, p. 138.
  5. ^ 前田 2007, p. 117.
  6. ^ 前田 2007, p. 118.
  7. ^ a b c 片岡 2012, p. 297.
  8. ^ アシリベツ山器械場 2011.

参考文献[編集]

  • 前田寿嗣 『歩こう!札幌の地形と地質』 北海道新聞社、2007年5月10日。ISBN 978-4-89453-410-0。
  • 青木由直 『札幌の秘境』 北海道新聞社、2009年6月15日。ISBN 978-4-89453-507-7。
  • 片岡秀郎 『札幌歴史散歩』 ヒルハーフ総合研究所、2012年7月14日。ISBN 978-4-9906400-0-2。
  • アシリベツ山器械場”. 南区開拓夜話. 札幌市南区 (2011年). 2016年5月4日閲覧。