出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
検索に移動

(ぎょう)は、古代中国の人物。姓は妘、或いは猗、氏は寒。別名は奡(ごう)。寒浞玄妻の子。同母弟に(えい)がいる。女艾(女岐)[1]

澆は大変力持ちで、水のない陸地で舟を引き摺る事ができた。父が王位を簒奪していた影響で過(現在の山東省萊州市の北西)に封じられた[2]

竹書紀年』によると、しょう二十六年に斟灌氏を、相二十七年に斟鄩氏を討ち、相二十八年に相王を弑したとされる[3]

夏王家の遺児である少康や伯靡や有仍氏を始めとした夏王朝の生き残りが挙兵した際に、女艾は少康と通じ、少康が狩りをしていた際にその猟犬が澆を見つけ出し斬り殺された[4]

一説には、有過氏[5]は澆の末裔であるという[6]

道教に於いては「水仙尊王」という海の神の1人として主に台湾で祀られている。

脚注[編集]

  1. ^ 左伝』襄公四年:寒浞,伯明氏之讒子弟也,伯明後寒棄之,夷羿収之,信而使之,以為己相。浞行媚于内,而施賂于外……以取其国家……浞因羿室,生澆及豷,恃其讒慝詐偽而不徳于民,使澆用師,滅斟灌及斟鄩氏,処澆于過,処豷于戈。
  2. ^ 『左伝』襄公四年:靡自有鬲氏収二国之燼以滅浞而立少康。少康滅澆于過,後予滅豷于戈,有窮由是遂亡,失人故也。
  3. ^ 『左伝』哀公元年:有田一成,有衆一旅,能布其徳而兆其謀,以収夏衆,撫其官職。使女艾諜澆,使季予誘豷,遂滅過・戈,復禹之績。
  4. ^ 楚辞』天問:惟澆在戸,何求於嫂(女岐),何少康逐犬,而顛隕其首?女岐縫裳,而館同(通姦)爰止。何顛易厥首(女岐首),而親以逢殆(澆身死)?
  5. ^ 『路史』夏之国,即有過。『括地志』云:猗姓国,今莱之掖。西北二十有過郷・過亭。『地道記』云:東莱掖県有過郷,北有過城,古過国。
  6. ^ 論語』憲問:羿善射,奡蕩舟。

参考文献[編集]