灘五郷

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御影郷の一つ、灘泉の酒蔵。灘五郷唯一の木造酒蔵(現存しない)

灘五郷(なだ ごごう)は、日本を代表する酒どころの一つ。西郷御影郷魚崎郷、西宮郷、今津郷の総称[1]。現在の兵庫県神戸市東灘区灘区と同県西宮市を合わせた阪神間の一部地域を指す。

日本酒造りに適した上質の酒米山田錦)とミネラルが豊富な上質の地下水宮水)が取れ、寒造りに最適と呼ばれる六甲颪(おろし)が吹き、そして製品の水上輸送に便利な港があったことから江戸時代以降、日本酒の名産地として栄えた。大手日本酒メーカーの多くが灘五郷を発祥地及び本社としているほか、現在も中小の酒蔵が点在する。

見学を受け入れている酒蔵もあり、阪神本線やバスが主な交通手段となる。また、灘五郷を祀る松尾神社 (神戸市)生田神社内にある。

五郷と各地域の酒蔵[編集]

灘五郷酒造組合が公式サイトで紹介している五郷各地域の酒蔵は以下である(カッコ内は代表的な酒の銘柄で社名と異なるもの、2018年2月時点)[2]

歴史[編集]

武庫川河口(西宮市)から生田川河口(神戸市)に至る[3][4]六甲山瀬戸内海に挟まれた東西に長い平野部を「灘」と呼ぶ[5][6]。「なだ」(海の意)の辺りという意味の「なだべ(灘辺)」が変化して「なだめ(灘目)」になったとされている[7]。ただし、「灘」(古くは「灘目」)という地域名称が指す範囲は時代によって変遷がある[7][5]。古くは菟原郡の沿岸部(現在の神戸市灘区・東灘区および芦屋市周辺)を「上灘」、八部郡の沿岸部(現在の神戸市中央区・兵庫区周辺)を「下灘」と言い、両者を総称して「灘目」と呼んだ[7]

室町時代、この地域には惣村が結成されていた。永正8年(1511年)、細川高国の命により瓦林正頼鷹尾城(現在の芦屋市)を築いて灘に支配を及ぼそうとすると、長らく対立していた本庄衆と西宮衆とが同盟を組み対抗、鷹尾城を攻撃する状況が発生している(芦屋河原の合戦参照)。

江戸時代前期、この地域は多くが尼崎藩領となり、その他の大名・旗本領が混在していた。明和6年(1769年)、尼崎藩領のうち武庫郡今津村から八部郡兵庫津までの浜手24か村、および尼崎藩以外の大名・旗本領が収公されて、幕府直轄領となった[4]。酒造業が盛んになり活況を呈していた灘目の状況を、長崎奉行として長崎と江戸とを往来する石谷清昌が見て、老中に収公を進言したのがきっかけという[4]

上灘・下灘に今津郷(武庫郡、現在の西宮市今津地区)が加わり、「二灘三郷」「灘目三郷(灘三郷)」と呼ばれるようになった[7]。文政11年(1828年)に上灘が3つに分かれ、下灘・上灘西組・上灘中組・上灘東組・今津を「灘五郷」と呼ぶようになった[3][7](上灘西組が西郷、上灘中組が御影郷、上灘東組が魚崎郷にあたる)。

1886年に、摂津灘酒造組合が設立された際に、下灘が外れて西宮郷が加わった。これが現在の「灘五郷」の範囲となっている[7]

酒造の歴史[編集]

江戸時代前期まで[編集]

現在「灘五郷」と呼ばれる地域での酒造りは、西宮でいち早く始まった[3]室町時代中期に書かれた一条兼良の随筆『尺素往来』において西宮の「旨酒」についての言及がある[8][9]。ただし、醸造業についての確かな記録としては、寛永年間(1624年 - 1645年)に伊丹の雑喉屋文右衛門が西宮に移住して醸造業を始めたのが最初とされる[3]

伝承としてはさらにさかのぼる由緒を語るものがあり、

  • 下灘郷に位置する生田神社に「灘五郷の酒造の発祥」を求めるもの。『延喜式』「玄蕃寮」の記載において、新羅からの使節を「敏馬浦」でもてなす際に、生田神社・廣田神社長田神社および大和国の片岡神社から稲を持ち寄り、生田神社で醸造した新酒を用いることが定められている[10][11]が記されていること[12]をもって、境内の松尾神社に「灘五郷酒造の発祥地」とする碑が建てられている[12]
  • 御影郷の「沢の井」(阪神御影駅の高架下にあり、駅北側にモニュメントがある[13])にまつわる伝承[14]。この水で醸した酒を後醍醐天皇に献上し[14]、これが嘉納されたというのが酒造家の嘉納姓の起源伝承になっている[15][16]

などがある。

江戸時代前期には、西宮はは有力な酒造地となり、その酒が江戸にも送られるようになった[17]。一方、灘目での酒造は小規模なものであり、酒が江戸に送られることもなかった[17]。ただ、灘目から各地の酒造地へ出稼ぎをする職人が多くおり、こうした中で技術を習得していったとされる[18]

江戸時代中期・後期[編集]

灘目での酒造は、江戸時代中期(18世紀)に大きく発展した[6]。それ以前は伊丹池田摂津の代表的な酒どころであった。江戸幕府が置かれた江戸の酒消費量が増えたが、当時の技術では品質を落とさずに江戸まで酒を輸送するのには困難がつきまとった。そこで、伊丹や池田よりも西寄りにあるものの、大阪湾に面し、江戸への輸送所要日数にして2~3日は短縮可能な灘地区が江戸中期以降、上方酒の主流となっていった。また江戸中期には灘では絞油業も栄えて、絞油業を大坂に独占させて江戸への油の一元的供給を図ろうとした江戸幕府と対立したが、後に江戸への直接販売が認められるようになった[19]

宝暦4年(1754年)の「勝手造り令」は、新規業者の江戸積み酒造業への進出を可能にした[20]。天明5年(1785年)の時点で、上灘・下灘には120軒の酒造家があり、14万石余りを生産するようになっており、旧来の産地に脅威を与えるようになっていた[21]。新旧の酒造地の利害を調整するため、明和9年(1772年)に江戸に出荷する上方酒造業の株仲間である摂泉十二郷酒造仲間が結成され、灘目三郷(上灘郷・下灘郷・今津郷)や西宮郷も加わった[3][6]

「摂泉十二郷」の中では最も新興の酒造地[4]であった灘が江戸時代中期以降に発展した理由としては、

  • 優れた醸造技術があること[3]
  • 酒造に適した宮水が湧出すること[3][22]
  • 六甲山系の急流を利用した水車を用いることで精米の質と量が向上したこと[3][4]
  • 原料米の集散地である大坂や兵庫が近いこと[3]
  • 輸送に便利な立地[22]。西宮に酒輸送専門の廻船問屋である樽廻船問屋ができ輸送の便利があった[3]

などが挙げられる。

文化・文政期、江戸に入津する酒の50パーセントが灘産であった(江戸に入津する酒の90パーセントは摂泉十二郷産であった)[23]。上方の酒が江戸へ大量に積み出された結果、供給過剰となった江戸では酒の価格の下落が生じ、減産が必要になった摂泉十二郷では対応をめぐって競争・対立が生じた[23]。摂泉十二郷の中では灘郷と他郷の対立であり、灘郷の中でも村ごとの対立が表面化した[23]。文政11年(1828年)、上灘郷は「東組」(青木・魚崎・打出・深江・芦屋・住吉)、「中組」(御影・石屋・東明・八幡)、「西組」(新在家・大石・岩屋・稗田・河原・五毛)に分裂する[23]

宮水は天保年間、西宮郷と魚崎郷で醸造業(櫻正宗)を営んでいた山邑太左衛門によって発見されたとされる[24][22]。山邑太左衛門が西宮で醸造に使っていた井戸水を魚崎でも用いたところ、西宮の酒と同様の良酒が醸造されたことから、灘の他の醸造業者も競って西宮の水を使うようになったという[24][22]

幕末の慶応2年(1866年)には、摂泉十二郷の中での灘五郷と他9郷の対立が激化、「十二郷取締方万端総崩れ」という状況に陥る[25]。事実上、摂泉十二郷は解体に向かい[25]、明治維新後の1874年(明治7年)に解散する[26]

近代以後[編集]

明治維新後、江戸時代の酒造特権が廃止され、全国的な競争体制が始まった[27]

1886年(明治19年)に、摂津灘酒造組合が設立され、今津郷・西宮郷・魚崎郷・御影郷・西郷からなる現在の「灘五郷」の枠組みができた[7][26]

灘五郷では酒造経営の近代化が図られた[27]。西宮郷では醸造家が共同出資して日本摂酒会社や西宮造酒会社を設立した[27]。また、良質な原料米を確保するために、播州地方の酒米生産地との一種の契約栽培である村米制度が導入された[28]。酒米の代表である山田錦(1923年兵庫県立農事試験場で誕生、1936年命名・奨励品種に編入)は、酒造家・生産農家および県の努力の中で生まれた品種である[29]

1917年には灘五郷および近隣地区の酒造技術者団体「灘酒研究会」が発足した[30]。同会によれば「日本では最初の民間の酒造技術者の団体と言って良い」という[30]

豊かな醸造家は阪神間モダニズム文化の牽引役となった。

1943年(昭和18年)、戦時統制の一環として制定された酒類業団体法を契機として「灘五郷酒造組合」が設立され、従来は各郷で行っていた業務が整理統合された[31]。第二次世界大戦後、灘五郷の酒造業者の組織は「灘五郷酒造協会」、「灘五郷酒造協同組合」(1948年、中小企業等協同組合法に基づく)、「灘五郷酒造組合」(1953年、酒税の保全及び酒類業組合等に関する法律に基づく)と変遷する。

灘五郷には兵庫県外の酒造会社も多く進出し、京都市伏見区宝ホールディングス(「松竹梅」蔵元)、滋賀県太田酒造(「道灌」蔵元)などは灘五郷にも工場を持つ。かつては、京都市伏見区の月桂冠伊丹市小西酒造(「白雪」蔵元)、和歌山市世界一統なども工場を置いていた。また、忠勇がマルキン忠勇(現:盛田)の、萬歳酒造(「富貴」蔵元)や富久娘酒造、福徳長酒類がオエノンホールディングスの一部またはグループ会社になるなど、非関西資本の傘下に入った蔵元もある。

阪神・淡路大震災(1995年)では、白壁土蔵造りの酒蔵、赤煉瓦の酒蔵など伝統的な景観が大いに損なわれた。震災後、中小蔵元の廃業も見られた。

とはいえ、多くの有名メーカーが軒を連ね、国内での日本酒生産量の約3割を占める[32]日本一の酒造業地帯であることに変わりはない。仕込みの時期には新酒の香りも漂い、それが環境省かおり風景100選にも選ばれた。

PR・観光[編集]

神戸市中心街にアンテナショップ「灘の酒蔵通」(中山手通「北野工房のまち」内)を開設している [33]ほか、新酒を試飲(有料)できる持ち回りの「蔵開」[34]などを実施したり、イベントに出展・参加したりしている。

酒蔵見学[編集]

酒蔵めぐりに至っては、毎年秋に行われている『酒蔵探訪』なるスタンプラリーイベントを行っている。ただ各酒蔵の資料館なりの見学は年中行われている。

この時期においては、「酒蔵めぐりバス」が巡回運行している。

お土産[編集]

各蔵元で自ブランドの商品を販売しているが、それとは別に周辺地域では、『日本酒を購入する』以外の娯楽を提供している。それは以下ある。

  • 虎屋吉末(商標登録:酒樽煎餅)
  • 小林春吉商店(酒粕)
  • お酒の濵田屋(地元灘酒をメインに扱う居酒屋)
  • 霊泉『沢の井』(阪神電気鉄道「御影駅」高架下)

江戸前期までの灘目三郷[編集]

  • 今津郷
  • 上灘郷
  • 下灘郷

江戸時代の灘五郷[編集]

上灘郷が3つの組に分裂した。

  • 今津郷:現在の兵庫県西宮市今津地区
  • 東組(魚崎郷):現在の兵庫県神戸市東灘区魚崎本庄地区
  • 中組(御影郷):現在の兵庫県神戸市東灘区御影住吉地区
  • 西組(西郷):現在の兵庫県神戸市灘区新在家大石地区
  • 下灘郷:現在の兵庫県神戸市中央区

明治中期以降の灘五郷[編集]

下灘郷が衰退し、西宮郷が加わる。 (括弧で区切ったものは廃業した蔵)

  • 今津郷:現在の兵庫県西宮市今津地区
  • 西宮郷:現在の兵庫県西宮市浜脇・用海地区
    • 白鹿白鷹日本盛・(多聞(大関へブランド譲渡))・灘自慢喜一金鷹(休造中)・(寿海(沢の鶴へブランド譲渡))・灘一(松竹梅酒造※宝酒造の日本酒ブランド『松竹梅(&松竹梅白壁蔵)』とは別である。)・寶娘島美人(←さつま焼酎とは無関係である)・富貴(富久娘酒造に灘の生産拠点を集約)・徳若
  • 魚崎郷:現在の兵庫県神戸市東灘区魚崎・本庄地区
  • 御影郷:現在の兵庫県神戸市東灘区御影・住吉地区
  • 西郷:現在の兵庫県神戸市灘区新在家・大石地区
    • 沢の鶴忠勇(白鶴酒造へブランド譲渡)・富久娘(オエノングループ)・金盃(永田醸造機械のバックアップで操業再開)・(菊川(岐阜へ集約後ヒシノに社名変更し撤退、新会社菊川を分離し事業譲渡))・月桂冠(伏見へ集約)

2000年以降の灘五郷の動向[編集]

かつては『灘の日本酒』で全国に知れ渡ることとなったわけだが、最近は焼酎分野を開拓したり、酒米の新種を発表するなどの展開を行っている。そんな各蔵元とそれを取り巻く環境が以下である。

  • 今津郷
    • 大関:『大関記念館(仮称)』の建設予定。
  • 西宮郷
    • 日本盛:2017年、中国・香港で海外専用の新ブランド『風雅』を発表。[35]
    • 徳若:2005年、創業。 [36]
  • 魚崎郷
    • 松竹梅白壁蔵:2011年、スパークリング清酒『澪』販売。
    • 浜福鶴:2016年、神戸ワイナリーとのコラボ企画、新商品『神戸しぼり』発表(数量限定品)。
  • 御影郷
    • 白鶴:2004年、自社栽培酒米『白鶴錦』の発表。オリジナルの酒造好適米。
    • 福寿:2012年、スウェーデンで行われた「ノーベル賞晩餐会」にて、『福寿 純米吟醸 (青瓶)』注目を浴びる。
    • 灘泉:2016年、神戸の灘が廃業になり、大阪は堺に場所を移し、酒蔵『堺泉酒造』を立ち上げる。
    • 菊正宗:2016年、新ブランド「百黙」を発表。
  • 西郷
    • 沢の鶴:米国・東南アジア等への海外輸出を強化。(2013年時点、30か国に輸出)
  • 神戸市
    • 2014年(平成26年)10月27日の市会本会議において、「神戸灘の酒による乾杯を推進する条例[37]」が可決され、11月1日に施行される。
  • 商品『灘の生一本シリーズ』
    • 2014年10月1日、第一弾『灘の生一本 白鶴』を全国販売。この後、大関・菊正宗酒造・剣菱酒造・櫻正宗・沢の鶴・太田酒造・辰馬本家酒造・日本盛が後に続いて、『灘の生一本』を発表することとなる。


創業年表[編集]

創業年   銘柄   蔵元 創業者  備考
1505年  剣菱  剣菱酒造      
1625年  櫻正宗  櫻正宗  山邑太左衛門  
1659年  菊正宗  菊正宗酒造  本嘉納家   
1661年  白雪  小西酒造  薬屋新右衛門  
1662年  白鹿  辰馬本家酒造  辰屋吉左衛門   
1681年  富久娘  花木酒造       
1711年  大関  大関酒造  長部文治郎  
1717年  沢の鶴  沢の鶴  米屋喜兵衛  
1740年  金正宗  松尾仁兵衛商店 松尾仁兵衛
1743年  白鶴  白鶴酒造  白嘉納家   
1751年  大黒正宗  安福又四郎商店  安福又四郎   
1751年  扇正宗  今津酒造     
1756年  泉正宗  泉酒造 泉仙介
1770年  寳娘  大澤本家酒造  
1806年  金露  金露酒造   
1833年  喜一  木谷酒造   
1854年  都菊  肥塚酒造 
1861年  灘自慢  國産酒造   
1862年  白鷹  白鷹  辰馬悦蔵  
1870年  白菱  高嶋酒類食品  高嶋太助
1882年  灘泉  泉勇之介商店  泉勇之介
1890年  日本盛  日本盛  有為会
1890年  金盃  金盃酒造  高田三郎

文化財・文化遺産[編集]

灘五郷にある日本酒をテーマとする施設・博物館[編集]

(別途、みりんをテーマにした施設を紹介)

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ 灘五郷酒造組合(2018年2月14日閲覧)
  2. ^ 灘五郷酒造組合(2018年2月14日閲覧)
  3. ^ a b c d e f g h i j 1.室町~江戸時代”. 灘五郷:歴史. 灘五郷酒造組合. 2020年7月9日閲覧。
  4. ^ a b c d e 1 在方酒造業地灘”. 灘の酒造業. 神戸市文書館. 2020年7月9日閲覧。
  5. ^ a b 灘・灘五郷”. 灘の酒用語集. 灘酒研究会. 2020年7月9日閲覧。
  6. ^ a b c 江戸時代の灘酒造業”. 灘の酒造り. 関西学院大学図書館. 2020年7月9日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g 灘目”. 灘の酒用語集. 灘酒研究会. 2020年7月9日閲覧。
  8. ^ 酒都西宮と新酒番船”. 西宮市. 2020年7月9日閲覧。
  9. ^ 灘の酒づくりの歴史”. にしのみや観光協会. 2020年7月9日閲覧。
  10. ^ 「灘の生一本」の起源はご神託にあった?!─ 灘酒と3つの神社の関わり”. SAKETIMES (2019年2月21日). 2020年7月10日閲覧。
  11. ^ 大和王権と猪名川流域”. Web版 図説 尼崎の歴史. 2020年7月10日閲覧。
  12. ^ a b 灘五郷酒造の発祥地”. 発祥の地コレクション (2018年3月). 2020年7月10日閲覧。
  13. ^ 御影に湧く湧き水 沢の井”. 石屋川. 2020年7月10日閲覧。
  14. ^ a b 御影郷”. 灘の酒用語集. 灘酒研究会. 2020年7月10日閲覧。
  15. ^ 沢の井”. タウンマップ 歴史掘り起こしマップ. 神戸市東灘区. 2020年7月10日閲覧。
  16. ^ 菊正宗の歴史”. 菊正宗. 2020年7月10日閲覧。
  17. ^ a b 4 近世前期の酒造地域”. 灘の酒造業. 神戸市文書館. 2020年7月9日閲覧。
  18. ^ 6 酒造働人の出稼ぎ”. 灘の酒造業. 神戸市文書館. 2020年7月9日閲覧。
  19. ^ 津田秀夫「油江戸積み禁止令」/高尾一彦「油絞運上」(『国史大辞典 1』(吉川弘文館、1979年)および藪田貫「油仕法」(『日本歴史大事典 1』(小学館、2000年)
  20. ^ 7 灘の江戸積み酒造業の興り”. 灘の酒造業. 神戸市文書館. 2020年7月9日閲覧。
  21. ^ 8 摂泉十二郷の成立と天明8年の株改め”. 灘の酒造業. 神戸市文書館. 2020年7月9日閲覧。
  22. ^ a b c d 14 宮水と水屋”. 灘の酒造業. 神戸市文書館. 2020年7月9日閲覧。
  23. ^ a b c d 12 文化文政期の灘酒造業と上灘郷の分裂”. 灘の酒造業. 神戸市文書館. 2020年7月9日閲覧。
  24. ^ a b 宮水”. 灘の酒用語集. 灘酒研究会. 2020年7月9日閲覧。
  25. ^ a b 16 幕末の灘酒造業”. 灘の酒造業. 神戸市文書館. 2020年7月9日閲覧。
  26. ^ a b 17 摂泉十二郷の解散”. 灘の酒造業. 神戸市文書館. 2020年7月9日閲覧。
  27. ^ a b c 2.明治・大正”. 灘五郷:歴史. 灘五郷酒造組合. 2020年7月9日閲覧。
  28. ^ 村米制度”. 灘の酒用語集. 灘酒研究会. 2020年7月9日閲覧。
  29. ^ 山田錦”. 灘の酒用語集. 灘酒研究会. 2020年7月9日閲覧。
  30. ^ a b 灘酒研究会(灘研)”. 灘の酒用語集. 灘酒研究会. 2020年7月9日閲覧。
  31. ^ 灘五郷酒造組合”. 灘の酒用語集. 灘酒研究会. 2020年7月9日閲覧。
  32. ^ (at work)日本酒(1)解説記事「生産量 最盛期の3割に/消費者離れ 輸出は好調」『朝日新聞』朝刊2018年2月12日(生活面)
  33. ^ 灘の酒蔵通北野工房のまち(2018年2月14日閲覧)
  34. ^ 西宮蔵開2018(2018年2月14日閲覧)
  35. ^ 日本経済新聞電子版2016年12月2日記事(関西のSAKE、世界に発信 日本盛はアジア、月桂冠は欧州  :日本経済新聞)
  36. ^ 日本酒造組合中央会 万代大澤醸造株式会社参照
  37. ^ 神戸灘の酒による乾杯を推進する条例

関連項目[編集]