火起請

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火起請(ひぎしょう)とは、中世近世日本で行われた神判の一種で、火誓(かせい)、鉄火(てっか)、鉄火起請(てっかきしょう)とも称する。赤く焼けた(鉄片・鉄棒)を手に受けさせ、歩いて神棚の上まで持ち運ぶなどの行為の成否をもって主張の当否を判断した。

概要[編集]

戦国時代から江戸時代初期にかけての境相論の際に行われることが殆どであり、相論の是非が定まらなかった場合に、神の判断を仰ぐ意図の元に行われた。

相論の対象となる集団からそれぞれ代表者を指名し、代表者は精進潔斎の上に立会いの役人らの前で掌に牛王宝印を広げ、その上に灼熱した鉄を乗せて、それを素手で持ち運びその完遂の度合いによって所属集団の主張の当否が判断された。もし、成功しなかった場合はその集団の敗北とされ、代表者は神を欺いた罰として引廻・斬首などになり、極端な場合には五体引き裂かれた上に引き裂かれたままの遺骸を埋めた塚を複数個設置してその線上を境界線とした例もあった、また、勝った代表者も火傷などによって不具になる場合も珍しくなかった。このため、勝っても負けても火起請を行った代表者あるいはその家族はその集団が責任をもって面倒を見るべきものとされた。

火起請の記録は会津地方近江国など各地に見られ、また火起請の結果築かれたと伝えられる「鉄火塚」と呼ばれる塚が残っている地域も存在する。

事例[編集]

逸話としては、『信長公記』に若き日の織田信長(年次についての記載はない)のこととして、被告の左介という人物が鉄片を取り損じ、本来なら有罪だが、左介は信長の乳兄弟であった池田恒興の被官であったため、恒興の勢威を笠に着て、左介をかばおうという不正が行われようとした時、鷹狩から偶然帰ってきた信長が、物々しい状況を問い質し、それが不正と気づいたため、自分が火起請を取って成功すれば、左介を成敗すると宣言し、焼いた手斧を掌に乗せ、三歩先の棚に乗せると左介を成敗した。主君自ら行うことで文句を言わせる隙を与えなかった内容となっている(和田裕弘 『信長公記-戦国覇者の一級資料』 中公新書 2018年 pp.59 - 60)。同時に神明裁判でも不正が行われていたことを示した内容といえる。

関連作品[編集]

参考文献[編集]

  • 千々和到 「鉄火」『日本史大事典 4』 (平凡社、1993年) ISBN 4-582-13104-2
  • 清水克行 『日本神判史-盟神探湯・湯起請・鉄火起請-』 (中公新書、2010年) ISBN 978-4121020581

関連項目[編集]