無量塔蔵六

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無量塔 蔵六(むらた ぞうろく、本名・村田昭一郎[1]1927年3月4日 - 2020年1月30日)は、日本ヴァイオリン製作者

東京府に生まれ、旧制獨協中学校卒業後、楽団にてヴァイオリニストを務める傍ら、ヴァイオリンの制作、修繕を始めた[2]。いずれも独学であったが、太田貢(おおたみつぎ)、というピアノの響き坂を製作していた木工技師に戦後出会い、道具の使用法を学ぶ。又ヴァイオリン音響学を東京工業大学の教授永廻登に師事した。その後、永廻の勧めもあり西ドイツミッテンヴァルトへ留学し、日本で初めてガイゲン・バウ・マイスターの資格を取得した[2]

帰国後、東京ヴァイオリン製作学校を設立し、ヴァイオリン製作者を育成した。無量塔のヴァイオリン製作学校を卒業した生徒は、ドイツ連邦共和国国家資格があるため、Gesellpruefung(職人試験)と同等と見なされ、直接マイスター試験を受けられた。10人余りの生徒がマイスターの資格を取得している。無量塔はまた、指導者、製作者としてだけでなく、ヴァイオリン製作コンクールの審査員としても国外の同僚から高く評価された。

2020年(令和2年)1月30日、直腸がんのため、死去。92歳没[1]

略歴[編集]

著書[編集]

  • 『バイオリン』日本楽器、1965年3月。
  • 『ヴァイオリン』岩波書店岩波新書 921〉、1975年2月。ISBN 978-4004140580。

出典[編集]

  1. ^ a b “日本人初のバイオリン製作マイスター、無量塔蔵六さん死去”. 読売新聞. (2020年2月4日). https://www.yomiuri.co.jp/culture/20200204-OYT1T50200/ 2020年2月4日閲覧。 
  2. ^ a b 月刊「正論」