熊代聖人
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埼玉西武ライオンズ #58 | |
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基本情報 | |
国籍 |
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出身地 | 愛媛県上浮穴郡久万高原町 |
生年月日 | 1989年4月18日(31歳) |
身長 体重 |
175 cm 72 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手、内野手 |
プロ入り | 2010年 ドラフト6位 |
初出場 | 2011年6月6日 |
年俸 | 1,200万円(2020年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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熊代 聖人(くましろ まさと、1989年4月18日 - )は、愛媛県上浮穴郡久万高原町出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。
経歴[編集]
プロ入り前[編集]
野球ファンだった祖父の影響を受け、プロ野球選手を志す。祖父は小学校2年生時に亡くなったが、生前に「必ずプロ野球選手になる」との約束を交わしていたといい、告別式の日に祖母から渡されたアイスの棒へ「絶対プロ野球選手になるけん」と書き記し、祖父の霊前に供えた[2]。その後、柔道を習い始めるが[3]、それと並行して小学校4年生より地元の野球チーム・久万クラブで硬式野球を始める。クラブでは全ポジションを経験。
愛媛県立今治西高等学校では投手兼外野手として、第88回全国高等学校野球選手権大会・第79回選抜高等学校野球大会・第89回全国高等学校野球選手権大会と3度の甲子園を経験する。最後の夏ではエースで4番を任され、1回戦で八代東高、2回戦で小熊凌祐擁する近江高等学校を破り、3回戦では佐藤祥万を擁する文星芸術大学附属高等学校を相手に9回に決勝本塁打を放ち、チームのベスト8進出に貢献した。準々決勝では野村祐輔、土生翔平、上本崇司、小林誠司を擁する広陵高等学校に敗れる。
甲子園における打撃成績は通算打率.421、1本塁打、8打点を記録、投手としては最速143km/hをマークし、75回3分の1を投げ自責点27、防御率3.23の成績を残している。なお、甲子園で放ったホームランボールと完封した試合のボールは共に祖父の仏壇に供えた。
高校卒業後は、社会人野球の日産自動車に入社し、内野手に転向する[2]。1年目の2008年からレギュラー選手として起用され、チームの第79回・第80回の二度にわたる都市対抗野球出場に貢献した。
2009年11月、同社野球部の休部に伴って王子製紙へ移籍。移籍と同時に外野手(主に中堅手)へ転向し[2]、同社でも第81回都市対抗野球大会への出場を果たしている。
西武時代[編集]
2010年10月28日に行われたプロ野球ドラフト会議において、埼玉西武ライオンズから6巡目で指名を受けた[4]。
2011年は開幕を二軍で迎えた。打率は2割台前半であったもののチーム最多の犠打、三塁打、四死球を記録し、6月5日に不振の上本達之に代わり一軍に昇格した。6月11日の対阪神タイガース戦では9番・左翼手としてスタメン起用され、プロ入り初安打を含む2安打1盗塁を記録した。その後は主に代走や試合終盤の守備固め要員として起用され、公式戦全日程終了まで二軍落ちすることなく一軍に帯同した。
映像外部リンク | |
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2012年も代走・守備固め要員として4月の一時期を除き一軍に帯同。左投手相手にはスターティングメンバーとしての起用も多かった。8月17日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦では、ホセ・フェルナンデスの大飛球をキャッチし、シーズン二度目となるトリプルプレーを成立させた。スイッチヒッターにも挑戦したが左打席の完成度は低く、右投手相手には代打を出されることが多かった。二軍落ちの理由も左打席の習熟であった(現在は右打ちのみ)。
2013年は開幕一軍入りするが[5]、出場試合数、打席数は前年をわずかに下回った。
2014年のシーズン開幕前、監督の伊原春樹から木村文紀や斉藤彰吾と共に2番・右翼手の候補として名を挙げられ[6]、実際に2番・右翼手として自身初となる開幕スタメン入りを果たす。しかしシーズン通しての試合出場数は前年から減少した。
2017年は一軍での出場はなかった。
2018年は守備固めとして25試合に出場したが、打撃では無安打だった。
2019年、主に控えとして33試合に出場。
2020年12月1日、シーズン中に取得した国内FA権を行使した上で埼玉西武ライオンズに残留することを発表した[7]。
選手としての特徴[編集]
持ち味の一つである俊足を生かすため、2011年シーズンオフの秋季練習より本格的にスイッチヒッターへ転向すべく練習を開始した[8][9]が、2013年3月21日に両打ちから再び右打ちに登録変更された[10]。
人物[編集]
青々と剃り上げた坊主頭がトレードマークであり、その容貌から同僚からは「たこ焼き」と呼ばれている[11]。
2011年12月8日、今治西高時代の同級生と入籍したことが発表された[8][12]。
2012年8月17日でお立ち台にあがった際、以前トークショーでやることを宣言していた「クマさんポーズ」(頭に握った両手を耳のようにのせるポーズ)を披露するも、やる前にその事について触れた際、多くのファンだけでなくインタビュアーからも認知されていなかった。
2013年9月29日、長男が誕生。同日の対千葉ロッテマリーンズ戦に代走として途中出場、試合中に誕生を伝えられたという。試合は延長戦となるも、プロ入り後初めてとなるサヨナラ安打を放ちチームを勝利に導く。ヒーローインタビューの中で試合中に長男が誕生したことを自ら観客に報告した[13][14]。
2016年6月2日、自身の出場は無かったものの治療によりヒーローインタビューを辞退した髙橋光成の「代打」としてお立ち台に上がり、高橋になりきってインタビューを受けた。また勝利時にサインを書くプレートやボールにも「こうな #17」と代筆した[15]。
2019年9月11日、試合前に円陣を組んだときに辻発彦監督のお面をかぶってゲキを飛ばし、チームは勝利した。また、9月18日にはお笑い芸人オードリーの春日俊彰のお面をかぶり、チームはまたも勝利。日々、声出しを担当する熊代は「本当にありがたい。全員分のお面をつくってほしいくらい」と球団に要望した[16]。
詳細情報[編集]
年度別打撃成績[編集]
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2011 | 西武 | 81 | 77 | 64 | 6 | 16 | 1 | 0 | 0 | 17 | 8 | 2 | 0 | 4 | 2 | 6 | 0 | 1 | 20 | 0 | .250 | .315 | .266 | .581 |
2012 | 109 | 133 | 115 | 14 | 31 | 2 | 0 | 0 | 33 | 6 | 2 | 1 | 12 | 1 | 3 | 0 | 2 | 30 | 1 | .270 | .298 | .287 | .584 | |
2013 | 104 | 99 | 92 | 11 | 22 | 2 | 0 | 0 | 24 | 6 | 4 | 2 | 1 | 0 | 6 | 0 | 0 | 25 | 0 | .239 | .286 | .261 | .547 | |
2014 | 46 | 140 | 115 | 10 | 25 | 4 | 1 | 0 | 31 | 6 | 1 | 1 | 6 | 0 | 19 | 0 | 0 | 29 | 1 | .217 | .328 | .270 | .598 | |
2015 | 38 | 41 | 36 | 3 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4 | 3 | 1 | 0 | 1 | 1 | 3 | 0 | 0 | 6 | 0 | .111 | .175 | .111 | .286 | |
2016 | 28 | 9 | 6 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | .167 | .286 | .167 | .452 | |
2018 | 25 | 10 | 9 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | .000 | .100 | .000 | .100 | |
2019 | 33 | 17 | 15 | 5 | 4 | 1 | 0 | 0 | 5 | 0 | 2 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 5 | 0 | .267 | .313 | .333 | .646 | |
2020 | 38 | 11 | 10 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | .100 | .182 | .100 | .282 | |
NPB:9年 | 502 | 537 | 462 | 59 | 104 | 10 | 1 | 0 | 116 | 29 | 15 | 6 | 27 | 4 | 41 | 0 | 3 | 124 | 2 | .225 | .290 | .251 | .541 |
- 2020年度シーズン終了時
年度別守備成績[編集]
- 外野守備
年 度 |
球 団 |
外野 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2011 | 西武 | 72 | 43 | 0 | 2 | 0 | .956 |
2012 | 102 | 99 | 3 | 3 | 1 | .971 | |
2013 | 83 | 60 | 4 | 2 | 1 | .970 | |
2014 | 40 | 64 | 0 | 1 | 0 | .985 | |
2015 | 36 | 30 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |
2016 | 25 | 9 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |
2018 | 11 | 11 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |
2019 | 10 | 4 | 0 | 1 | 0 | .800 | |
2020 | 30 | 22 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |
通算 | 409 | 342 | 7 | 9 | 2 | .975 |
- 内野守備
年 度 |
球 団 |
一塁 | 二塁 | 三塁 | 遊撃手 | ||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2015 | 西武 | - | - | - | 1 | 1 | 3 | 0 | 1 | 1.000 | |||||||||||||||
2018 | - | 5 | 1 | 6 | 0 | 1 | 1.000 | 2 | 1 | 4 | 0 | 1 | 1.000 | - | |||||||||||
2019 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | 8 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | 4 | 3 | 3 | 0 | 1 | 1.000 | |
2020 | 1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | - | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | - | |||||||||||
通算 | 2 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 6 | 2 | 7 | 0 | 1 | 1.000 | 11 | 2 | 7 | 0 | 1 | 1.000 | 5 | 4 | 6 | 0 | 2 | 1.000 |
- 2020年度シーズン終了時
記録[編集]
- 初出場:2011年6月6日、対横浜ベイスターズ4回戦(山梨県小瀬スポーツ公園野球場)、9回表にアレックス・グラマンの代打で出場
- 初打席:同上、9回表に山口俊の前に空振り三振
- 初先発出場:2011年6月11日、対阪神タイガース3回戦(西武ドーム)、9番・左翼手で先発出場
- 初安打:同上、3回裏に能見篤史から右前安打
- 初盗塁:同上、3回裏に二盗(投手:能見篤史、捕手:藤井彰人)
- 初打点:2011年6月12日、対阪神タイガース4回戦(西武ドーム)、2回裏に安藤優也から中前適時打
背番号[編集]
- 58 (2011年 - )
登場曲[編集]
脚注[編集]
- ^ 西武 - 契約更改 - プロ野球. 日刊スポーツ. 2019年12月23日閲覧。
- ^ a b c 埼玉西武・熊代聖人「プロに導いた2度の転機」 ~ファーム・レポート~ - SPORTS COMMUNICATIONS 2011-07-07
- ^ 祖父を亡くした悲しみから野球に対して意欲が湧かず、父親から柔道を勧められたことによる。得意技は払い腰。柔道と野球との掛け持ちは中学1年生時まで続いた。以上文化放送「ライオンズエキスプレス」2011年1月25日放送分、本人へのインタビューより
- ^ 2010/10/28 2010年 ドラフト会議開催! - 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2011-12-10閲覧
- ^ 2013年 開幕登録選手発表! 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト
- ^ 2014年度版 埼玉西武ライオンズファンブック(ベースボール・マガジン社発行)
- ^ 西武熊代は宣言残留「このメンバーで勝つ喜び」日刊スポーツ 12月1日掲載
- ^ a b “7年愛実らせた西武・熊代が結婚 来季はスイッチ挑戦”. スポニチ Sponichi Annex (2011年12月9日). 2011年12月10日閲覧。
- ^ 2011/11/14 2011年秋季練習レポート~熊代選手がスイッチヒッターに挑戦!~ - 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2011-12-10閲覧
- ^ 2013/3/21 熊代聖人選手の投・打の登録について - 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2013-3-21閲覧
- ^ 文化放送「ライオンズナイター」2011年6月6日放送より
- ^ 2011/12/09 熊代聖人選手 入籍のお知らせ - 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2011-12-10閲覧
- ^ 西武・熊代、試合中に長男誕生でプロ初サヨナラ打(1)SANSPO.COM 2013年9月30日掲載
- ^ 西武・熊代、試合中に長男誕生でプロ初サヨナラ打(2)SANSPO.COM 2013年9月30日掲載
- ^ 前代未聞!?ヒーローインタビューに“代打”…西武・熊代がユーティリティー性を猛アピール .BASEBALLKING 2016年6月2日掲載
- ^ 熊代お面芸は2連勝「全員分つくって」西武側に注文 .日刊スポーツ 2019年9月18日掲載
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 個人年度別成績 熊代聖人 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、 The Baseball Cube
- 選手名鑑 58 熊代 聖人 - 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト
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