犬塚勝太郎

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犬塚勝太郎
犬塚勝太郎。1921年

犬塚 勝太郎(いぬづか かつたろう、1868年3月27日慶応4年3月4日) - 1949年7月2日)は、日本の内務逓信官僚政治家府県知事衆議院議員貴族院議員錦鶏間祗候

経歴[編集]

庄内藩士犬塚盛巍の長男として生まれる。大学予備門を経て、1889年7月、帝国大学法科大学法律学科(英法)を首席で卒業。内務省に入り同7月23日内務試補(年俸六百円下賜)として県治局に配属された[1]

1890年(明治23年)6月4日内務大臣秘書官西郷従道大臣)となる[2]。以後、長崎県参事官鉄道庁事務官逓信省参事官兼鉄道局庶務課長、兼法制局参事官などを歴任。1896年6月から1898年1月まで、欧米の鉄道事業を視察するため出張。1899年4月7日、逓信省鉄道局長に就任した[3]

1904年(明治37年)1月19日京釜鉄道監理官に任命され[4]、同年4月、青森県知事に就任。以後、内務省土木局長、長崎県知事、大阪府知事を歴任。1913年2月、逓信次官に発令され、1914年4月まで在任。同年4月21日、錦鶏間祗候に任じられる[5]1915年3月、第12回衆議院議員総選挙山形県郡部区に立憲政友会から出馬して当選し、一期在任。

1918年10月2日、農商務次官となり錦鶏間祗候は消滅した[6]1920年6月から1922年3月まで、ジュネーヴ国際労働理事会に政府代表として派遣された。1920年6月2日、貴族院勅選議員に任じられ[7]交友倶楽部に属し、1947年5月の貴族院廃止まで在任。

その他、大礼使参与官、鉄道会議議員、人口食糧問題調査会委員などを務めた。

栄典[編集]

位階
勲章等

親族[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『官報』第1821号「叙任及辞令」1889年7月25日。
  2. ^ 『官報』第2078号「叙任及辞令」1890年6月5日。
  3. ^ 『官報』第4727号「叙任及辞令」1899年4月8日。
  4. ^ 『官報』第6166号「叙任及辞令」1904年1月23日。
  5. ^ 『官報』第517号、大正3年4月22日。
  6. ^ 『官報』第1852号、大正7年10月4日。
  7. ^ 『官報』第2350号、大正9年6月3日。
  8. ^ 『官報』第2566号「叙任及辞令」1892年1月22日。
  9. ^ 『官報』第3087号「叙任及辞令」1893年10月11日。
  10. ^ 『官報』第3725号「叙任及辞令」1895年11月27日。
  11. ^ 『官報』第4448号「叙任及辞令」1898年5月2日。
  12. ^ 『官報』第4764号「叙任及辞令」1899年5月22日。
  13. ^ 『官報』第6327号「叙任及辞令」1904年8月2日。
  14. ^ 『官報』第7874号「叙任及辞令」1909年9月21日。
  15. ^ 『官報』第2029号「叙任及辞令」1919年5月12日。
  16. ^ 『官報』第2383号「叙任及辞令」1920年7月12日。
  17. ^ 『官報』第5548号「叙任及辞令」1901年12月28日。
  18. ^ 『官報』第6746号「叙任及辞令」1905年12月23日。
  19. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年3月31日。
  20. ^ 『官報』第7578号・付録「辞令」1908年9月28日。
  21. ^ 『官報』第124号「叙任及辞令」1912年12月27日。
  22. ^ 『官報』第498号「叙任及辞令」1914年3月30日。
  23. ^ 『官報』第1311号・付録「辞令」1916年12月14日。
  24. ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。
  25. ^ 『官報』第3533号「叙任及辞令」1924年6月4日。

参考文献[編集]

  • 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。


公職
先代:
濱口雄幸
日本の旗 逓信次官
1913 - 1914
次代:
中谷弘吉
先代:
上山満之進
日本の旗 農商務次官
1918 - 1920
次代:
田中隆三