玄妻

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玄妻(げんさい、拼音: xuánqī)または純狐(じゅんこ、拼音: chúnhú)は、王朝の頃に存在したとされる古代中国の人物。黒くて美しいを持つ美女として知られる。

経歴[編集]

現在の山東省済寧市周辺に勢力を持ち伏羲を祖とした有仍氏の娘[1]で、はじめ后夔(こうき)のもとに嫁ぎ伯封(はくほう)を産む。中康3年に后羿(こうげい)によって伯封が殺害された後、后羿のとなるが、伯封の仇を取る為、またその恨みの為に、8年に后羿の臣下で王位を狙っていた寒浞(かんさく)と共に狩猟後の宴で酔っ払っていた后羿を殺害し[2]、後に寒浞の后となった。寒浞との間には(奡、ぎょう)と(えい)という子を設けている。

各名称について[編集]

玄妻という名称は、美しい黒髪(玄は黒色の意味)に由来している[3]。鏡のように艶があり黰黒(しんこく、真っ黒)な美しい髪の毛であったという描写は『春秋左氏伝[4]や『路史』[5]などにある[6]。玄妻が后夔とのあいだに産んだ伯封は非常に貪欲な性格の悪人であり有窮氏の后羿によって滅ぼされたことから、「甚だ美しきものは必ず甚だ悪しきことでもある」という意味の故事の一例として挙げられている[7]

純狐という名称は「純狐氏の娘」という意味[8]であるとされ、『路史』国名紀[9]や『今本竹書紀年[10]では「純狐」は国或いは氏の名であるとされているが、その語源は明らかとなっていない。『名擬』には「純一作統」(統狐とも書かれる)とあるが「統狐」と書かれた例はみられない。

袁珂著『中国の神話伝説』には玄狐(げんこ)とも呼ばれたとあるが、「玄妻」を指して「玄狐」であると記載している例は史書などには見られない。

眩妻という名称は、顧頡剛の論文集『古史辨』に「眩妻即左傳中玄妻」(眩妻は左伝の玄妻である)とあるものの、これは『楚辞』天問の「浞娶純狐、眩妻爰謀』の「眩妻」を名前と捉えた場合の話で、もう1つの説は「(寒浞が)愛に目が眩んだ」と読むものである。

その他[編集]

『屈辞精義』や『路史』などでは、純狐は羿の妻であるという共通点から引いたものか、羿の妻(大羿・后羿とが混ぜられているが)として説話がひろく知られる嫦娥[11]あるいは洛嬪[12]と同一視した記載、またその否定が見られる。

百度百科では、『路史』国名紀に「上古有個純狐國、夏朝后羿的妻子純狐氏便是那國的人、這是以國名為姓。」という記述があるとされているが、実際には存在しない。

古代の神々や人物を上上から下下までの九つに分類した『漢書』の古今人表では、后夔と共に「下上」に位置付けられている。

現代における解説記述として、百度百科(純狐(古代神話)の項)には、九尾の狐をトーテムとして祀る一族(美女が多く女嬌もこれに属する)の女性であるといった記述が冒頭にあるが、これらの記述は史書には見えないものである。いっぽう、邢永萍の「唐人小説中女妖形象的世俗化」[13]など、純狐のもつ美女の要素や「狐」という文字が含まれる点から、後代におけるが人間のもとに美女の姿をとってあらわれる説話や物語への影響があるのではないかといった考察などが書かれるなどしている。

また、邢永萍は「唐人小説中女妖形象的世俗化」の中で「純(Chún)」と「玄(Xuán)」の音が近いことを指摘している。

陳掄は『楚辞解訳』において「純・狐」の字は「政・夏」に通じるとしている。

脚注[編集]

  1. ^ 春秋左氏伝』などによれば、の妻(少康の生母にあたる)も、おなじく有仍氏出身の娘である緡(びん)という女性である。
  2. ^ 通鑑前編』「八歳寒浞殺羿」
  3. ^ 早稲田大学編集部 『漢籍国字解全書 先哲遺著 第15巻』(春秋左氏伝国字解 下巻) 早稲田大学出版部 1911年 453-454頁
  4. ^ 『春秋左氏伝』昭公二十八年「昔有仍氏生女、黰黒而甚美、光可以鑑。名曰玄妻」
  5. ^ 『路史』夷羿伝「有仍之女、美而黰厥澤可鑑、夔納之、是為玄妻」
  6. ^ 『豔體連珠』「妾聞洛妃高髻、不姿於芳澤、玄妻長髪、無籍於金鈿、故云名由於自美、蟬稱得於天然、是以梁妻獨其妖豔、衛姫專其可憐」
  7. ^ 田岡嶺雲 訳注 『和訳春秋左伝』下巻 玄黄社 1912年 407頁 「昭公二十八年」
  8. ^ 諸橋轍次『大漢和辞典』でも「寒浞の妻の」と記載されている
  9. ^ 『路史』国名紀「純狐、后羿妻純狐氏納浞之」
  10. ^ 『今本竹書紀年』「浞娶純狐氏」
  11. ^ 『屈辞精義』「羿妻純狐、奔月之姮娥也」「浞烝娶羿妻嫦娥小字純狐」
  12. ^ 『路史』夷羿伝「純狐羿妻名。天問云『浞娶純狐、眩妻爰謀、何羿之射革、而交呑揆之』。言羿能貫革之射、揆度而交呑之。又云『胡射夫河伯、而妻彼洛嬪』。蓋有洛氏之女也。注以為宓妃。妄矣伝言羿妻姮娥者字也」
  13. ^ 青海民族学院文学院『青海師専学報:教育科学』2006年

参考文献[編集]