瑞鷹 (アニメ製作会社)

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瑞鷹株式会社(ズイヨー、Zuiyo Co., Ltd.)は、日本のアニメ製作会社。旧社名は瑞鷹エンタープライズ(ズイヨーエンタープライズ)。テレビアニメシリーズ『忍風カムイ外伝』『ムーミン』の企画、アニメ制作会社ズイヨー映像(ズイヨーえいぞう)を設け『アルプスの少女ハイジ』を企画製作したことで知られる。

なお、熊本県に所在する同名の酒造メーカーとは一切無関係である。

概要[編集]

1969年3月、日本テレビジョン株式会社のアニメ制作を担っていた映画部が、村田英憲によってTCJ動画センター(後のエイケン)として分社化する際、映画部企画室長の職にいた高橋茂人は村田英憲と制作理念が異なることから、アニメーションの企画と版権営業(番組販売)を事業とする瑞鷹エンタープライズを設立し独立[1]。ロゴは漫画家の白土三平がデザイン。社名の由来は、はおめでたい言葉では高橋の家紋の鷹の羽から[2]

この時代のアニメ企画作品としてはTCJ時代の高橋が関わった『サスケ』(1968年9月 - 1969年3月)からの繋がりで、同じ白土三平原作の『忍風カムイ外伝』(1969年4月 - 9月)がある。同作は事実上、企画制作がTCJ動画センターで、版権窓口が瑞鷹となっている[3]

1969年に放送開始した『ムーミン』(1969年10月 - 1970年12月)(制作は東京ムービー、途中から虫プロダクション)は、高橋が原作者のトーベ・ヤンソンの住むフィンランドへ赴き、日本で初めて海外文学の著作権者から二次的著作物となるアニメ化の許諾を得て製作された。その後も『アンデルセン物語』(1971年1月 - 12月)、『新ムーミン』(1972年1月 - 12月)といった海外童話ものの作品を企画製作した。

1972年にアニメ制作会社として多摩市に子会社のズイヨー映像を設立[4]手塚治虫のマネージャー兼アニメプロデューサーの西崎義展虫プロ商事、オフィス・アカデミーと兼任で当社制作部長に就任。 森康二中島順三、佐藤昭司を招いて[5]、アメリカの児童絵本が原作の『山ねずみロッキーチャック』からアニメーションの企画と実制作をスイヨー映像で行う体制が整う[6]。また、1973年4月に西崎の企画である『ワンサくん』を虫プロダクションの実制作で放送したが、同社は制作終了後の1973年11月に倒産した。

同じころには少年時代に高橋茂人が愛読して感激しTCJ時代にはパイロット版も制作した[7]念願の『アルプスの少女ハイジ』の企画制作が進み、当時東京ムービー作品の制作を担っていたAプロダクションから高畑勲小田部羊一宮崎駿らが高橋茂人の招聘によりズイヨー映像に転職。1974年に『アルプスの少女ハイジ』が放映されると、“日常生活を丁寧に描いたアニメ作品”という新機軸を開拓し[8][9]、作品的にも商業的にも大成功を収めた。なお、西崎義展は同時期に自ら企画した『宇宙戦艦ヤマト』製作のため退社した。

1975年3月、高橋茂人の海外出張中にズイヨー映像社長の本橋浩一日本アニメーションを新たに設立し、ズイヨー映像の施設と多数のスタッフが移管[10]。そのため『小さなバイキングビッケ』(1974年4月 - 1975年9月)『フランダースの犬』(1975年1月 - 12月)『みつばちマーヤの冒険』(1975年4月 - 1976年4月)は放送途中から製作とコピーライトが日本アニメーションに変更された。

その後企画会社の瑞鷹エンタープライズに回帰し、1979年にテレビアニメを再編集した『劇場版 アルプスの少女ハイジ』(1979年3月)を制作。アニメ版『アルプスの少女ハイジ』の著作権をめぐり長い裁判を経て、1983年からアメリカの児童絵本のキャラクターを使用した『ピュア島の仲間たち』でアニメの企画製作を再開。

1984年10月から『森のトントたち』が放送される。同年2月に高橋茂人は同作の取材と『ムーミン』の再アニメ化の権利獲得交渉のためにフィンランドへ出張していたが[11]、自動車乗車中に側面衝突を受ける交通事故に遭って重体となり、生涯車椅子が手放せなくなった[12]。以後、社名を瑞鷹とし、過去の作品の版権管理などのキャラクターライセンスビジネスと、高橋茂人がライフワークとしたヨーロッパの妖精をテーマとしたアニメの企画を行っていた。

2000年4月には親族の高橋茂美・高橋友茂によってコンピュータアニメーションポピーザぱフォーマー』の企画制作を行い、以降は『アルプスの少女ハイジ』のキャラクターコンテンツを活用したCGアニメの制作などを行っている。

高橋茂人は2015年12月に逝去したことが、2016年に東京新聞夕刊で掲載した連載コラム記事「ハイジが生まれた日(著:ちばかおり、のち書籍化)」によって公にされた。2019年3月開催の東京アニメアワード2019で功労部門に選出された。

作品履歴[編集]

瑞鷹エンタープライズ時代[編集]

ズイヨー映像時代[編集]

瑞鷹(ズイヨー)時代[編集]

出典[編集]

  1. ^ 但馬オサム、鷺巣政安『アニメ・プロデューサー鷺巣政安 さぎすまさやす・元エイケン製作者』ぶんか社、2016年、p.97
  2. ^ 加藤義彦編著『渡辺岳夫の肖像 P-Vine BOOks 作曲家・渡辺岳夫の肖像』ブルース・インターアクションズ、2010年、p.101。高橋茂人インタビューより。
  3. ^ 但馬オサム、鷺巣政安『アニメ・プロデューサー鷺巣政安 さぎすまさやす・元エイケン製作者』ぶんか社、2016年、p.98
  4. ^ ちばかおり『ハイジが生まれた日 テレビアニメの金字塔を築いた人々』岩波書店、2016年、p.55
  5. ^ ちばかおり『ハイジが生まれた日 テレビアニメの金字塔を築いた人々』岩波書店、2016年、pp.55-57
  6. ^ アニメージュ編集部編『TVアニメ25年史』徳間書店、1988年、p.45
  7. ^ BSアニメ夜話Vol.07 アルプスの少女ハイジ』キネマ旬報社、2008年、p.137
  8. ^ 宮崎駿『出発点』徳間書店、1996年、pp.468-469
  9. ^ 藤津遼太『「アニメ評論家」宣言』扶桑社、2003年、p.76
  10. ^ ちば かおり『ハイジが生まれた日 テレビアニメの金字塔を築いた人々』岩波書店、2016年、pp.138-140
  11. ^ ちばかおり『ハイジが生まれた日 テレビアニメの金字塔を築いた人々』岩波書店、2016年、p.141
  12. ^ ちばかおり『ハイジが生まれた日 テレビアニメの金字塔を築いた日々』岩波書店、2016年、pp.142-143
  13. ^ ちばかおり『ハイジが生れた日 テレビアニメの金字塔を築いた人々』岩波書店、2016年、pp.51-52