甘木市
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あまぎし 甘木市 | |
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廃止日 | 2006年3月20日 |
廃止理由 |
新設合併 甘木市・朝倉町・杷木町 → 朝倉市 |
現在の自治体 | 朝倉市 |
廃止時点のデータ | |
国 |
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地方 | 九州地方 |
都道府県 | 福岡県 |
団体コード | 40209-5 |
面積 | 167.19km2 |
総人口 |
41,675人 (2005年10月1日) |
隣接自治体 | 久留米市・朝倉町・杷木町・東峰村・筑前町・大刀洗町・嘉穂町 |
市の木 | ツゲ |
市の花 | フジ |
市の鳥 | メジロ |
甘木市役所 | |
所在地 |
〒838-8601 福岡県甘木市菩提寺412番2号 |
座標 |
(市役所)東経130度40分 北緯33度25分 |
ウィキプロジェクト |
2006年3月20日に朝倉町、杷木町と対等合併し、「朝倉市」となった。
地理[編集]
福岡県の中央に位置する。市内を北西から南東へと貫く最重要幹線道路である国道386号から南側は盆地となっているが、北側(市域の約6割)は山地となっており、特に市の北部から東部にかけては古処山をはじめとする600~900m級の山々が連なっている。この山地の一部分に寺内ダム・江川ダムがある。
国道386号沿線地域のうち、市の西部の一帯が現在の中心地となっており、中心商店街や西鉄甘木線・甘木鉄道の駅などが立地する。市中心部から北東約8kmの位置に旧城下町の秋月地区がある。秋月地区は明治時代以降、地域の中心地としての役割を失い、人口が急減したが、現在では「筑前の小京都」と呼ばれる観光地として、多くの人々が訪れる。
地域圏・経済圏[編集]
甘木市の市域は福岡市などと同じく筑前国に属し、また福岡を統治していた黒田氏の分家による統治が行われていたこともあり、地域圏としては普通は福岡地域圏に分類されるが、反面、市内の鉄道網が久留米方向へ向かって整備されており久留米市を中心とする筑後地域圏に含まれる要素も多い。また、自動車のナンバープレート(陸運支局の管轄)も「福岡」ではなく「久留米」となっており、郵便番号も筑後地区に多い830番台の番号(838-XXXX) となっている。
隣接していた自治体[編集]
歴史[編集]
「甘木」という地域名は、920年(延喜20年)に建立された甘木山安長寺に由来するとされる。鎌倉時代の1203年(建仁3年)、原田種雄(たねかつ)が幕府より秋月庄を賜り、秋月氏を名乗り、以後秋月氏による統治が行われ城下町として栄える。しかし1587年(天正15年)、九州に攻め込んだ豊臣秀吉の軍勢の前に敗れ、秋月氏は日向国高鍋に移封された。その後1623年(元和9年)、福岡藩を統治していた黒田長政の遺言により、長政の三男黒田長興が秋月に分封され秋月藩が成立、以後は黒田氏による統治が明治時代の廃藩置県まで続くこととなる。
廃藩置県により秋月県の県庁所在地となったが、すぐに福岡県に統合され、県内の一都市となった。その後、明治政府の打ち出した政策に強い不満を抱いた士族により、1876年10月27日に秋月の乱が起こった。
近現代[編集]
- 1889年4月1日 - 町村制度施行により、現在の市域にあたる以下の町村が発足。
- 1893年12月27日 - 秋月村が町制施行。秋月町となる。
- 1896年2月26日[矛盾 ] - 郡制施行により、上記町村はすべて朝倉郡に属する。
- 1954年4月1日 - 甘木町・秋月町・上秋月村・安川村・立石村・福田村・馬田村・蜷城村・三奈木村・金川村が対等合併し、市制施行。甘木市となる。
- 1955年3月10日 - 高木村を編入。
- 2006年3月20日 - 朝倉町、杷木町と対等合併し、朝倉市となり消滅。
産業[編集]
甘木市に工場を置く主な企業[編集]
地域[編集]
教育[編集]
高等学校[編集]
中学校[編集]
市立
- 甘木中学校
- 南陵中学校
- 秋月中学校
- 十文字中学校
小学校[編集]
市立
- 甘木小学校
- 立石小学校
- 福田小学校
- 蜷城小学校
- 秋月小学校
- 馬田小学校
- 金川小学校
- 三奈木小学校
交通[編集]
空港は福岡空港が最寄り。
鉄道[編集]
バス[編集]
一般路線バス[編集]
高速バス[編集]
- 甘木バスストップ(甘木インターチェンジに併設)
道路[編集]
高速道路[編集]
一般国道[編集]
主要地方道[編集]
名所・旧跡・観光[編集]
観光[編集]
- 平塚川添遺跡
- 秋月(重要伝統的建造物群保存地区)