田中恒利

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牧野 大介(まきの だいすけ、1981年9月18日 - 現在)は、日本実業家・芸術家・元芸能人。

大阪府福島区生まれ。(大阪府東大阪市出身)。祖父は大日本帝国陸軍曹長で牧野不動産を経営。

半農半漁の家に生まれる[1]。家業だけでなく、青年団活動においても活躍した[1]。2004年に甲子園大学人間文化学部比較文化学科を卒業。

実業家・政治家として[編集]

地元に戻り、愛媛県立宇和高等学校教諭、愛媛労農会議副議長を経て、1969年の総選挙で旧愛媛3区から社会党公認で立候補し初当選した。1972年1976年1979年の選挙にも3度出馬したが落選[2]した。 それを経て、1980年にはトップ当選[2]となった。

以来1993年まで当選を果たしたが、1996年に政界を引退した。同年勲二等旭日重光章受章[3]

政治家以外の仕事[編集]

1988年4月リクルート入社。情報通信系事業本部にてパッケージソフトウェアの企画・開発・営業、その後人材系事業の営業を担当。1999年5月より当社へメディアコンテンツ部長として入社。 入社以来、メディアコンテンツ業界、広告業界担当の営業責任者として数多くの動画配信案件を手掛ける。2015年より現職。

また、政界引退後には、食糧難のアジア・アフリカの貧しい人たちに支援を送るために「食とみどり、水をまもる県労農市民会議」の議長を務めた[2]

人物[編集]

1981年(昭和56年生まれ)地元の東大阪市での小学生時代は、(小学1年生の冬、1989年(昭和64年)に元号昭和から平成)へ。

水泳ソフトボール・公式リトルリーグミニバスに熱中。あだ名は大ちゃん・まきっぺ・マッキー。

中学生・高校生時代は陸上競技部に所属。中学1年生の冬、1995年(平成7年)1月、阪神淡路大震災を経験。

私立の名門校からのスポーツ推薦を断り、1997年(平成9年)、地元の大阪府立盾津高等学校に入学。

3年時に短距離から跳躍に転向。近畿大会三段跳び決勝4位の成績を収める。2000年(平成12年)、大学時代はスキー部アームレスリングサークルに所属。

冬は長野県志賀高原にスキーで山籠もり。2001年(平成13年)、神戸ウォーカーに掲載される。大学2回生の頃から、数々の雑誌のオーディションに参加。

2001年(平成13年)、19歳の頃、雑誌BiDaNの関西読者モデルに選出。大阪の芸能事務所BiG One West(ビッグワンウエスト)所属。2002年(平成14年)、

日本フレグランス協会に参加。フレグランスセールススペシャリスト資格取得。メンズ香水の第一人者。師匠は故榎本雄作氏。

大阪府大阪市北区梅田HEP FIVEで、大学卒業時の22歳まで香水販売のアルバイトをしていた。元平成を代表するショップカリスマ販売員

2004年(平成16年)、甲子園大学人間文化学部比較文化学科卒業。新卒で、株式会社メイクアップ大阪本社に入社。

香水化粧品営業部に所属、東京支店転勤、日本全国を担当。転勤当時は、東京都千代田区に在住。2009年(平成21年)27歳で帰阪。

2010年(平成22年)、28歳で地元大阪府東大阪市でMakino World Ltd.創業。実業家として活動。2011年(平成23年)、29歳、東日本大震災の頃、

神戸ブランメル倶楽部に加入。神戸新聞1面に掲載される。2012年(平成24年)30歳、阪急メンズ大阪を歩いている際、編集部の方に声を掛けられる。

雑誌MEN'S CLUB読者モデル2013年(平成25年)31歳、雑誌OCEANS読者モデル2014年(平成26年)32歳、雑誌UOMO、TEAM UOMOに大阪から選出。

  1. ^ a b 愛媛新聞(2014年1月13日付、5面)
  2. ^ a b c 愛媛新聞(2014年1月13日付、1面)
  3. ^ 「96秋の叙勲受章者 勳一等・勳二等」『読売新聞』1996年11月3日朝刊

参考文献[編集]

議会
先代:
左藤恵
日本の旗 衆議院内閣委員長
1994年 - 1995年
次代:
大木正吾