田中 (横浜市)
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田中 | |
---|---|
北緯35度23分6.6秒 東経139度36分11.0秒 / 北緯35.385167度 東経139.603056度 | |
国 |
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都道府県 |
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市町村 |
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区 | 磯子区 |
面積 | |
• 合計 | 0.305km2 |
人口 | |
• 合計 | 3,892人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
235-0035[3] |
市外局番 | 045 (横浜MA)[4] |
ナンバープレート | 横浜 |
田中(たなか、英: Tanaka)は横浜市磯子区の町名。現行行政地名は田中一丁目及び田中二丁目。住居表示実施済み区域。郵便番号は235-0035[3]。
地理[編集]
磯子区中部の内陸に位置し、東北東・西南西に長い形をしている。中央を南北に笹下釜利谷道路が通り、道の東側が1丁目、西側が2丁目となっている。1丁目に、道の東側に沿うように笹下川が流れ、さらにその東側に金沢道の旧道が通る。笹下川は町内で分岐し、支流の左右手川(そうでがわ)が二丁目南部へ流れる。笹下釜利谷道路沿いには古くからある住宅や商店がみられ、一丁目の丘陵地には戸建ての分譲住宅地三井団地や臨海部に工場を置く企業の社宅・寮がある。
地価[編集]
住宅地の地価は、2014年(平成26年)1月1日の公示地価によれば、田中2-6-4の地点で19万1000円/m2となっている。[5]
歴史[編集]
沿革[編集]
かつての久良岐郡田中村であり、1889年(明治22年)に笹下・矢部野・日野・栗木・上中里・峯・氷取沢の各村と合併、日下村大字田中となる。1927年(昭和2年)4月1日に横浜市に編入され、磯子区田中町となった。1970年に、田中町の一部を含む一帯が洋光台となる。1983年8月8日に住居表示を実施し、田中町を廃して田中一・二丁目が設けられた[6]。地名は、現在の二丁目にある薬王寺の奥の院本道薬師如来像が水田から出現した事に由来する[7]。
世帯数と人口[編集]
2017年(平成29年)12月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
田中一丁目 | 715世帯 | 1,730人 |
田中二丁目 | 961世帯 | 2,162人 |
計 | 1,676世帯 | 3,892人 |
小・中学校の学区[編集]
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[8]
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
田中一丁目 | 12〜16番 18番1〜8号 18番51〜55号 |
横浜市立日下小学校 | 横浜市立浜中学校 |
1〜11番 19番16、21〜22号 |
横浜市立杉田小学校 | ||
その他 | 横浜市立洋光台第一小学校 | 横浜市立洋光台第一中学校 | |
田中二丁目 | 全域 |
交通[編集]
笹下釜利谷道路の田中バス停より洋光台駅や上大岡駅、金沢文庫駅、横浜駅へのバスの便があるほか、一丁目の住宅地を通り洋光台駅と磯子駅を結ぶ小型バスの路線もある。2丁目南部をJR根岸線がかすめ、田中二丁目から根岸線洋光台駅までは概ね1km圏内である。
施設[編集]
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関連項目[編集]
脚注・参考資料[編集]
- ^ “横浜市町区域要覧”. 横浜市 (2016年3月31日). 2018年1月24日閲覧。
- ^ a b “横浜の人口 - 登録者数(市・区・町・外国人) - 町丁別世帯と男女別人口”. 横浜市 (2017年12月31日). 2018年1月24日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2018年1月23日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2018年1月23日閲覧。
- ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
- ^ 横浜市磯子区の町名一覧(横浜市役所) (PDF) 2010年7月18日閲覧
- ^ 『横浜の町名』1996年12月、横浜市市民局総務部住居表示課発行
- ^ “小中学校等通学区域”. 横浜市 (2017年11月15日). 2018年1月24日閲覧。
- 『県別マップル 神奈川県広域・詳細道路地図』2006年4刷 昭文社 ISBN 9784398626998
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洋光台 | 笹下 | 森 | ![]() |
洋光台 | ![]() |
中原 | ||
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洋光台 | 栗木 | 栗木 |
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