田村正和

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たむら まさかず
田村 正和
田村 正和
国際情報社『映画情報』第31巻第11号(1966)より
生年月日 (1943-08-01) 1943年8月1日
没年月日 (2021-04-03) 2021年4月3日(77歳没)
出生地 日本の旗 日本・京都市右京区
死没地 日本の旗 日本東京都港区
身長 172cm[1]
職業 俳優
ジャンル テレビドラマ映画舞台
活動期間 1961年 - 2021年
配偶者 既婚
著名な家族 父:阪東妻三郎
長兄:田村高廣
次兄:田村俊磨
弟:田村亮
異母弟:水上保広
甥:田村幸士(亮の長男)
主な作品
眠狂四郎』シリーズ /『運命峠
鳴門秘帖』 /『若さま侍捕物帳
夏に恋する女たち
うちの子にかぎって…』シリーズ
男の家庭科
子供が見てるでしょ!
パパはニュースキャスター』シリーズ
男たちによろしく
ニューヨーク恋物語』シリーズ
カミさんの悪口』シリーズ
古畑任三郎』シリーズ
協奏曲
総理と呼ばないで
オヤジぃ。
さよなら、小津先生
おとうさん
告発〜国選弁護人
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田村 正和たむら まさかず1943年8月1日 - 2021年4月3日[2])は、日本俳優。京都府京都市右京区太秦生まれ[3][4][5][6][7]。東京都世田谷区育ち。成城大学経済学部卒業[2]。所属は、自身の個人事務所である新和事務所[8]

阪東妻三郎の三男で、長兄の田村高廣、弟の田村亮と共に、「田村三兄弟」と呼ばれるが[7]、兄の田村俊磨を含め4兄弟である[9]。異母弟に俳優の水上保広[10]。家族は妻(一般人女性)と娘[8]

生涯[編集]

幼少期[編集]

父阪東妻三郎が建てた阪妻プロダクションの跡地に建つ東映京都撮影所近くの京都太秦に生まれる[3][4][6][7][11][12]。その後同じ京都の嵯峨野に移住したが[13]、世田谷へ移住、小学4年生(9歳の時)に父阪東妻三郎を亡くす[5][12]。田村は幼い頃、なんとなく父親のしている仕事をしたいと思っており[7]、それを知った父・阪東妻三郎が大変喜んだと語っている[14]。また「僕にあとを継がせたかったんでしょうね、丹下左膳の扮装などを教えてくれました」とも話していた[15]。父とは普通の親子の様に手を繋いで町を歩いたり、散歩したり、映画を見に行くこともない関係であったが、丹後の宮津の定宿に毎年夏に行った時だけは一緒に遊んだり、海で泳いだりしたことがとても嬉しかったと語り、演技の影響は特に受けていないが、母から聞いた父の役者としての生き方や姿勢は影響を受けたかもしれないとも語っている[8]

役者の道へ - 松竹時代[編集]

1960年、兄・高廣主演の映画『旗本愚連隊』の撮影現場を見学に行った際に勧められて、同映画の端役として出演する[5]。その後、1961年に松竹大船と専属契約し[5]。9月、成城学園高校在学中に映画『永遠の人』で本格デビュー[5]。1965年『この声なき叫び』で初の単独主演、また同年には阪東妻三郎13回忌としてNHKで製作された『破れ太鼓』で4兄弟が初共演を果たす[16]、以降1966年に大学を卒業するまで学業と並行して映画、テレビドラマに出演した。この間1963年『花の生涯』からは5年連続でNHKの大河ドラマに出演した。

松竹と専属契約を結んでいた頃、作品を選んで出演を決めたい、台本が出来ないうちに出演を強制されたくないと[17]、年間10本の映画出演の打診を受けたが、そのうち5本を断った[17]。また半ば強制される形で『侠勇の花道 ドス』に出演したことを後悔したという[17]

松竹退社から1970年代TV時代劇を中心に活躍[編集]

1966年にフリーとなる[5]も脇役ばかりが続く。当時は地味で暗い風貌であったことや、声があまり通らないことなどから成功には程遠かったが、1970年に出演したテレビドラマ『冬の旅』で改めて存在を認識され[18]、人気に火が付いた[19]。以降繊細な二枚目役を中心にテレビドラマでの活躍が目立つようになる。1972年『新・平家物語』では崇徳天皇を演じたがこれ以降大河ドラマには出演していない。同年テレビ時代劇『眠狂四郎』で茶の間の人気を得た[5]。『眠狂四郎』、1977年NHK時代劇『鳴門秘帖』、1979年『赤穂浪士』など、陰影の濃い哀愁ムードの風貌は女性ファンを引き付け[5]、「憂愁の貴公子」と呼ばれることもあった[20]

1978年のテレビ時代劇『若さま侍捕物帳』に出演した際には、これまでと違う役どころに悩んだが[5]、以降は軽やかで明るい役柄にも挑戦、これまでのイメージとは異なる作品にも出演するようになった[5]

1979年映画『日本の黒幕』(東映)に出演、以降1993年まで映画には出演せず、テレビと舞台のみに出演した。田村自身、「僕は実は映画出身。で、映画で失敗してるわけ」などと述べている[7]。伊藤彰彦は「不遇だった映画に早々に見切りをつけ、テレビに軸足を移したことが田村にとって幸いした」と評している[12]

1980年代 ホームドラマでのブレイク[編集]

1983年スペシャル時代劇版『乾いて候』が好評であったため[21]、1984年連続版『乾いて候』が製作され、田村三兄弟が共演して話題となった[5]。また同年『うちの子にかぎって…』に出演し、それまでのイメージを完全に覆す三枚目の役[5]、田村にとってターニングポイントとなった[5]。ちょっと頼りない優柔不断で生徒に振り回される小学校の先生役が見事にはまり大ヒット。続けて『子供が見てるでしょ!』『パパはニュースキャスター』『パパは年中苦労する』など数々のコメディドラマに主演した。以降はトレンディドラマやホームコメディに多く出演し成功をおさめている。

1988年には田村が気に入っているという『ニューヨーク恋物語』に出演、同じ役を長く演じるのを嫌う田村としては珍しく、田村の願いで[22]、2005年にはスペシャル版が製作された。

1990年代[編集]

恋愛ものでは元来のキャラクターである二枚目でダンディな男性を演じ、夫婦ものでは悩み多きコミカルな夫、55歳を過ぎてからは頑固で涙もろい父親役など、幅広い役柄で主演、日曜劇場で連続ドラマになってからは1993年に放送された『カミさんの悪口』に出演して以降、2021年5月までの時点で歴代最多の8作品で主演を務めるなど[23]、テレビドラマ界での主演スターとしての地位を築いた。

1990年には年末時代劇スペシャル『勝海舟』に主演するも、急病のため前半部と終盤のみの出演となり、代役は弟・亮となった[24]

1993年、映画『子連れ狼 その小さき手に』に出演し、1979年の『日本の黒幕』以来のスクリーン復帰を果たし、アクションよりも、親子愛にテーマを置いた拝一刃を演じた[5]。完成披露試写会には田村がファンである長嶋茂雄[25]も訪れ[26]、会話を交わした。また同映画の写真を使用した自身初の写真集が発売された。

1994年から放送の刑事ドラマ『古畑任三郎』役では「和製刑事コロンボ」と言われる新境地を開き、10年以上にわたって演じる当たり役となった[18] 。古畑任三郎役で、ザテレビジョン主催のテレビアカデミー賞第1回主演男優賞を受賞したが、辞退していた。その後、『古畑任三郎』第2シーズンと『さよなら、小津先生』の小津南兵役でも同賞を受賞した。

2000年代[編集]

2005年には新橋演舞場で『新・乾いて候 そなたもおなじ野の花か』に出演したが、以降は舞台に出演することはなかった。2006年、古畑任三郎ファイナルシリーズが放送された、2008年に古畑中学生 -古畑任三郎、生涯最初の事件に特別出演したが、自身が主演する古畑任三郎は最後となった。

2007年、中山プロデューサーから3年越しのラブコールを受け[27]、映画『ラストラブ』に出演、14年ぶりの映画出演となった[28]

2009年『そうか、もう君はいないのか』で第49回モンテカルロ・テレビ祭 最優秀男優賞を受賞、「信じられません。私が参加いたしましたこの作品が東京を遠く離れたモンテカルロの地で皆様方のご高覧を拝しただけでも大変光栄なことでございますのに、このような賞を頂けるなんて・・・。実は私事ではありますが、この数年俳優業の難解さと私自身の能力の間で大変悩んでおりました。したがってこのような賞をいただけることが私には全く信じられないことなのです。この度のこの栄えある賞が私のそう長くはない俳優人生においておおいなるエネルギーになってくれることを祈っている次第です」と受賞の喜びを語った[29]

2010年頃から仕事を大幅にセーブする様になり[30]、年に数回あるいは1度程度、そのほとんどが単発作品となっていた。連続テレビドラマの出演としては2011年に放送された『告発〜国選弁護人』が最後となった。

2018年、父親が作った阪妻プロの跡地に建つ東映京都撮影所で撮影された『眠狂四郎 The Final』に出演[4]。「狂四郎というのは自分の出生に大変なコンプレックスを持っている男なんですけど、今回少しだけ明るい光が入ってくるような部分もあります」と述べた[31]。円月殺法のシーンだけで3日をかけて撮影され、「『眠狂四郎』は大事な作品です」とも語った[32]。しかし放送前に試写を見た田村は、これではダメだと痛感しオンエアを見る気にもならなかったと2018年4月発売の写真週刊誌『FRIDAY』の取材に語っている[33]。これが俳優業からの引退を示唆するかの様なコメントだったことから、一部のマスコミで引退宣言などと報道された。一方田村とは旧知の仲である八木康夫が、伴一彦らとの対談で田村について「確かにやり切ったとは感じている様だが、報道の内容は正確なものではなく、田村自身は一言も引退とは言っていない、また今後絶対に何かに出演しないと言っている訳でも無い。今の田村と何か新しい作品をやりたい。」と話していたが[34]、当作品が生前最後の出演となった[35]

死去[編集]

2021年2月に風邪をこじらせて検査入院。その後、周囲にはリハビリを行っていると伝えられていたが[36]、同年4月3日16時20分、心不全のため、東京都港区の病院で死去[37][38]。77歳だった。その死は関係者にも伏せられ、5月18日に訃報が広く報じられたが、マネージャーですらその1週間前まで田村の死を知らされていなかった[36]。訃報は台湾や中国でも大きく報道された[39][40]田村亮は「訃報を聞いて一時的に起きたことが理解できずにいた、兄は幸せな人生を送ったのではないか。」などと追悼のコメントを出した[41]。また一般人である兄の俊麿は「最後の瞬間も正和らしい、弟として見事な人生であった。」と述べた[42]。また加藤官房長官も哀悼のコメントを出した[43]

人物[編集]

父、兄弟[編集]

兄弟の中で最も父親と性格が似ていて、字も似ているという[17]

  • 2003年1月14日にNHKで放送された、阪東妻三郎没後50年を偲ぶ番組『駆けよ!バンツマ』では、一般人の次男・俊磨も含めた田村4兄弟が勢ぞろいし、父の思い出について対談する貴重な映像が見られた。京都で撮影の際には、父阪東妻三郎と兄高廣の眠る墓を訪ねる[44]
  • 弟・亮は正和について「まじめ過ぎる、テレビではプライベートな部分は見せない」と分析、また兄弟で会っても仕事の話をすることはまず無いと明かしている[45]

趣味・嗜好[編集]

  • アルマーニの服を好んで着用していた[46]
  • 同期の俳優岡崎二朗によると若いころはジェームズ・ディーンに憧れを抱いていたという[47]ロバート・デ・ニーロの出演作品を好み、作品を借りてきてもらったりしていた[8]
  • 運動のために自転車に乗っていた[7]。また毎日30 - 60分ほど散歩をしていた[48]
  • 時代小説を好んで読んでいる。とりわけ聖徳太子織田信長が好みのようで、織田信長を演じてみたいと度々語っていた[7]
  • NHKの『ブラタモリ』が好きだと、TBSの『徹子の部屋』の出演時に明かした[25]
  • プロ野球の巨人軍ファンであったことでも知られ、2016年にテレビ朝日のドラマ制作記者会見に出席した際には進行役を務めた同局のアナウンサー・下平さやかの夫が長野久義(当時:巨人、現:広島東洋カープ)であることを知った上で前年(2015年)に大不振だった長野を激励する言葉を発し、下平が「夫に伝えておきます」と田村の激励に応じる場面もあった[49][50]
  • 子供は苦手であるが、犬は好きで、犬にはすごくなつかれるとも語っていた[8]
  • プライベートで、他人の前では決して食事をしないというエピソードがある[51]。好きな酒はビール[7]、またソフトクリームが好きだと明かしている[52]
  • 1977年当時「月に何度か飲みに出かけるが、女の人が居る様な店には行きません」と対談で答えている[53]
  • 休日は家で部屋にこもり音楽を聴いたり、酒を飲んで過ごすことが多く、専属の美容師を自宅に呼んでいる[25]
  • 黒沢年男は追悼コメントと共に、新幹線の中で約3時間同乗したことがあるが、その間同じ姿勢のままであったとのエピソードを語った[54]

時代劇[編集]

  • 時代劇では、月代(さかやき)のある中剃りのカツラを着けることは稀で、ほとんどの作品で総髪のカツラのみを着ける。若い頃の出演作品では中剃りのカツラ姿も見られる。『子連れ狼 その小さき手に』で拝一刀を演じた際には、『ニューヨーク恋物語』の時のような髪型にしたいと、ヘアーエクステンションを着けた[8]。『忠臣蔵〜その男、大石内蔵助』で大石内蔵助を演じた際には珍しく全編通して月代のある中剃りのカツラを着けた。
  • 田村は殺陣が好きであると語り[55]、自身の殺陣に関する考えについて、リアルに考えれば一本の刀で、何人も立て続けに人が切れる訳はないので、嘘でいいから見栄えが良く、夢があればいいと思うと述べている[56]。殺陣師林邦史朗は『鳴門秘帖』における田村の立ち回りについて、田村さんの体の線を活かした流動美と様式美に絞り、現代感覚にマッチした、スピードとリアルさをミックスしたモノになったと語っている[57]。また眠狂四郎シリーズで監督を務めたこともある中島貞夫によると田村は、殺陣の最後の「残心」を大切にしていたという[58]

役者観/仕事に対する姿勢[編集]

  • 田村曰く「自らこういう役がやりたいと要望するのではなく、スタッフにこういう役をやらせたいと言われる役者でいたい」[7]
  • 自らをテレビに育てられた、テレビ俳優だと語っている[59]。また待ち時間が多い映画の現場よりも、テレビドラマの現場の方が向いていると思うと語っている[7]
  • ほとんどNGを出さない話は有名であるが、その理由は「同じセリフは2度言いたくない」からというもの[7]
  • 1992年当時「最近の芸能界は俳優、タレント、お笑いなどの境界が曖昧だが、俳優はタレントとは他の方法で仕事をするので、俳優には俳優の訓練が必要だ」と自身の写真集のインタビューで語っている、また自身が志していた芸能界と今の芸能界は大きく異なっていて「せっかく俳優という職業にいるのに、俳優以外の色を付けてしまうのは役を演じる上で損であり、自分はそういうやり方が絶対嫌だ」と語っている[8]
  • 有名劇団で鍛えられてきた俳優達に囲まれて自分の力のなさに気づき、劇団で修行することを考えて千田是也宇野重吉らに会い、劇団を見学した。しかし、こういう場所は自分の居るところではないと思い、別の所に稽古場を借りて先生に来てもらいいろいろと勉強をした[8]
  • 「田村チェア」と呼ばれる、自前のデッキチェアを常にロケ現場に持参すると言われ[60]現場では本番直前まで一人で椅子に座って色々と考えていることもあり、撮影の合間に共演者とワァワァ楽しく話したりすることは基本的にない[8]

作品出演にまつわるエピソード[編集]

  • 子連れ狼 その小さき手に』の拝一刀役のオファーを小池一夫から受けた際、「まったく新しい子連れ狼を…」という申し出に出演を決意した[61]。また大五郎役の少年は顔合わせでは田村に抱かれ笑顔を見せていたが、撮影が始まると田村の迫真の演技に次第に恐れを抱き、田村が近づくと泣き出す様になってしまい、田村がミッキーマウスのお面をかぶりなだめる羽目になった[62]
  • うちの子にかぎって…』への出演の経緯として、『くれない族の反乱』のプロデューサー八木康夫は、最終回で田村演じる佐伯とその子供が別れるシーンに感動した八木が、これまで無かった田村と子供の組み合わせもアリだと感じ、田村の事務所に『うちの子にかぎって…』への主演での出演を打診した。事務所には断られたが、八木がイメージする赤川次郎原作の『わが子はアイスキャンディー』の映像を持参し田村に直談判に行った。するとたまたまその作品を見て感銘を受けていた田村は、八木からこういう感じの作品にしたいと言われ出演を了承した[63]
  • 刑事ドラマには出演しないと決めていたが、『古畑任三郎』への出演を決めた際には、一度オファーを断るも、三谷から「従来の刑事ドラマとは異なり、ピストルを持たず、アクションも無く、論理的に事件を解決する」と説明を受け[64]、更に三谷幸喜の脚本を読んで、「これならやってみたい」と出演を決意した[64][7]

人気[編集]

  • 『鳴門秘帖』の徳島ロケの際、地元デパートでサイン会が開催されたが、デパートの1階から6階まで階段に人が溢れ、警察隊が見守る中サイン会が行われた[65]

その他[編集]

  • 1960年代後半から70年代には「日本のアラン・ドロン」と言われていたこともあり[66][42]、1983年にドロンについてどう思うかとの質問には『太陽がいっぱい』、『若者のすべて』の頃のドロンはギラギラしていていいと思うが、最近は日本で放送されているCMでしか見ないから解らないと答えている[66]
  • 生前に自身のを建立していた(いわゆる「寿陵」)[67]
  • コンピューター音痴で、携帯電話も所有していたが、家に置いていた[7]。しかしiPadは活用している[68][25]
  • ニューヨーク恋物語』(1988年)で演じた田島雅之役をとても気に入っている[69]。20年後、田島雅之をモチーフにしたのが、2007年公開の映画『ラストラブ』である。
  • 新ニューヨーク恋物語』撮影中、付き添っていた夫人と宿泊者専用のクラブで向かいあって座っていた際、夫人が目で合図をするので振り返ると『刑事コロンボ』を演じる俳優のピーター・フォークがおり、古畑任三郎と刑事コロンボが同じ場所に存在したことにおかしくなり、田村は部屋に帰ると大笑いした[70]

交友関係[編集]

  • 『眠狂四郎』の作者・柴田錬三郎とは、田村が『岡っ引どぶ』出演時に、撮影現場を訪れた柴田と初めて会い、以降柴田は、田村を息子の様に可愛がり、正和の端正な佇まいや役者としての姿勢を極めて高く評価し、まるで親子の様に家族ぐるみの付き合いであった[71]、柴田の意向により『眠狂四郎(舞台版)』の主役として抜擢[4]。続いて主演したテレビ版でも絶賛していた。田村は柴田の葬儀で知らずに泣きじゃくっていたこと、柴田を優しく怖い人、そして子供の様に純粋な心の持ち主であったと回想した[72]。柴田のエッセイによれば「田村正和は自宅で正座して台本を読んでいる」と語られている。なお柴田は三度、『眠狂四郎』に特別出演をした。また田村を最高の眠狂四郎役者であると称賛した[73]。柴田の実娘によると「ともに頑固で非社交的なところが似ている、柴田が自分の若い日を田村の中に見たのではないかと。」話していた[71]
  • 芸術家の横尾忠則とは眠狂四郎の舞台美術を横尾が担当して以来の知り合いで、またご近所でもあったことから、散歩中によく出くわし会話をしたという[74]、また横尾は『話の特集』1976年8月号の表紙の田村のイラストを描いたこともあった[75]
  • かつて松竹を共に背負う事を期待された[8]竹脇無我の死は相当ショックであった様で、2013年2月8日の徹子の部屋への出演時、声を詰まらせながら竹脇のエピソードを話している[76]
  • カミさんの悪口』で共演して以来、田村と多く共演している橋爪功は、田村が大変好きであると語り、田村は自分自身の商品としての価値をよくわきまえている人物であると評した。田村のマネージャーから田村の出演作への出演を頼まれると断ることが出来ず、田村が出演するからという理由だけで出演を決めると語っていた[77]
  • 黒柳徹子は、田村らしき人物の車に追突したことがあり、黒柳が「ぶつかりましたか?」と聞くと、その人物は「いいえ」と答えその場を離れた。後日、田村が黒柳の番組に出演した際、黒柳が改めてその事を確認するとそれは田村であった。田村も黒柳がぶつけたと気が付いたが、「騒ぎが大きくなると面倒くさいなと思って黙ってました」と答えた[78][79]

出演[編集]

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

  • 旗本愚連隊(1960年、松竹) - 森武七
  • 永遠の人(1961年、松竹) - 小清水栄一
  • 今年の恋(1962年、松竹) - 山田光
  • お吟さま(1962年、松竹)
  • 海抜0米(1964年、松竹) - 山下昆
  • この空のある限り(1964年、松竹) - 前田三郎
  • 乞食大将(1964年、大映) - 花若(朝末)
  • われら劣等生(1965年、松竹) - 横田大助
  • ぜったい多数(1965年、松竹) - 秋山修司
  • 俺たちの恋(1965年、松竹) - 戸田一平
  • 昨日のあいつ今日のおれ(1965年、松竹) - 新村剛
  • 裸の青春(1965年、松竹) - 村木三郎
  • この声なき叫び(1965年、松竹) - 佐々木晋一
  • 空いっぱいの涙(1966年、松竹) - 杉俊介
  • かあちゃんと11人の子ども(1966年、松竹) - 吉田俊
  • 雨の中の二人(1966年、松竹) - 春日隆二
  • 天下の快男児(1966年、松竹) - 山川健一
  • 侠勇の花道 ドス(1966年、松竹) - 唐辰二代目
  • 男なら振りむくな(1967年、松竹) - 大貫三次
  • 女の一生(1967年、松竹) - 弥生宣一
  • 無理心中 日本の夏(1967年、松竹) - 少年
  • 痴人の愛(1967年、大映) - 浜田伸夫
  • 記録なき青春(1967年) - 多川鉄也(19歳)
  • 東シナ海(1968年、日活) - 千葉六郎        
  • 初恋宣言(1968年、松竹) - 市川信二
  • 女と味噌汁(1968年、東宝) - 咲村智一郎
  • 嵐に立つ(1968年、松竹) - 大木達也
  • 怪談残酷物語(1968年) - 新一郎
  • 秘録おんな蔵(1968年、大映) - 直次郎
  • 荒い海(1969年、日活) - 島村健
  • 眠狂四郎 卍斬り(1969年、大映) - 梅津一郎太
  • 華麗なる闘い(1969年、東宝) - 松平信彦
  • 現代やくざ 与太者仁義(1969年、東映) - 勝又徹
  • 超高層のあけぼの(1969年、東映) - 島村オペレーター
  • 風林火山(1969年、東宝) - 武田信繁
  • 黒薔薇の館(1969年、松竹) - 佐光亘
  • やくざ絶唱(1970年、ダイニチ映配) - 犬丸裕二
  • おんな牢秘図(1970年、ダイニチ映配) - 諫早三郎太
  • おんな極悪帖(1970年、大映) - 磯貝伊織
  • 旅路 おふくろさんより(1971年、松竹) - 北村尭
  • 女囚さそり 701号怨み節(1973年、東映) - 工藤安男
  • 北の宿から(1976年、松竹) - 東畑勉
  • 日本の黒幕(フィクサー)(1979年、東映) - 今泉岳男
  • 阪妻 阪東妻三郎の生涯(1993年、マツダ映画社)
  • 子連れ狼 その小さき手に(1993年、松竹) - 拝一刀
  • ラストラブ(2007年、松竹) - 阿川明

舞台[編集]

  • 眠狂四郎無頼控(1973年)
  • 藍より青く(1973年)
  • 眠狂四郎(1973年)
  • 土性っ骨(1973年)
  • 口上(1975年)
  • 賀茂川囃子(1975年)
  • 雄呂血 -無頼漢(ならずもの)-(1978年)
  • 鳴門秘帖(1979年)
  • 眠狂四郎〜クルスの母の子守唄(1981年)
  • 大阪善人(1981年)
  • 濡れ髪権八(1982年)
  • 大菩薩峠(1983年)
  • 舞踊錦秋譜(1983年)
  • 乾いて候(1987年 - 1993年)
  • 刀化粧(1994年)
  • 新・刀化粧(1995年)
  • 新・刀化粧〜恋・炎の如くありしか(1995年)
  • 恋山彦(1997年、1998年)
  • 新・恋山彦(2001年)
  • 新・乾いて候 そなたもおなじ野の花か(2003年・2005年)

広告[編集]

その他[編集]

受賞歴[編集]

写真集[編集]

  • 田村正和 その小さき手に 子連れ狼(1993)横須賀功光 集英社※インタビューあり。

音楽[編集]

シングル[編集]

発売日 規格 規格品番 タイトル 作詞 作曲 編曲
ビクターレコード
1966年 EP SV-411 A 空いっぱいの涙[注 1] 佐伯孝夫 原田良一
B 俺はしみじみ歌うのさ

タイアップ[編集]

曲名 タイアップ 収録作品
空いっぱいの涙 松竹映画「空いっぱいの涙」主題歌 シングル「空いっぱいの涙」
俺はしみじみ歌うのさ

アルバム[編集]

オムニバス・アルバム[編集]

  • 銀幕紅白歌合戦<白組> 歌うシネマ・ダンディーズ(2005年9月21日、テイチクエンタテインメント、TECH-25073)-「空いっぱいの涙」収録。

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 田村正和名義としてリリースされた、唯一のシングルである。

出典[編集]

  1. ^ Masakazu Tamura - Biography - IMDb”. Internet Movie Database. 2018年4月10日閲覧。
  2. ^ a b 俳優の田村正和さん死去、77歳 ドラマ「眠狂四郎」「古畑任三郎」など”. スポーツニッポン. 2021年5月18日閲覧。
  3. ^ a b “田村正和さん、太秦に生まれ太秦で「最後」「七光」から唯一無二のダンディーへ”. 京都新聞 (京都新聞社). (2021年5月19日). オリジナルの2021年5月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210518231658/https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/567182 2018年5月26日閲覧。 
  4. ^ a b c d “<評伝> 田村正和さん ニヒルでコミカル、絶妙に”. 中日新聞 (中日新聞社). (2021年5月19日). オリジナルの2021年5月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210518212315/https://www.chunichi.co.jp/article/256256 2021年5月31日閲覧。 
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n 日本映画人名事典 1996年度 下 pp.150-151
  6. ^ a b “生地・京都の太秦の地元住民「マサちゃん」と愛されていた田村正和さん悼む”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2021年5月19日). オリジナルの2021年5月19日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210519090548/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202105190000708.html 2021年5月26日閲覧。 
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