國粹会

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  • 國粹会
  • 国粋会
  • 國粹會
五代目國粹会
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設立 1958年
設立者 森田政治
設立場所 東京都
本部 〒111-0031
東京都台東区千束4-3-1
首領 藤井英治
活動期間 1958年 - 現在
構成員数
(推定)

┗構成員
┗準構成員
上部団体 Yamabishi.svg 六代目山口組

國粹会(国粋会[1]|こくすいかい[2])は、東京都に本部を置く暴力団[3]。かつては独立した指定暴力団であったものの、2005年に山口組の二次団体となった[2]

歴史[編集]

大日本国粋会[編集]

1919年(大正8年)10月10日、原敬内閣内務大臣床次竹二郎立憲政友会)は、全国的な右翼団体を創設するべく、政友会米田穣代議士をまとめ役として博徒等関西壮士の大親分36人を東京に呼び寄せて会合を開いた[4]。同年11月、西村伊三郎(伏見・砂子川)の提唱により、関東側は河合徳三郎(河合組)、梅津勘兵衛(上州家)、倉持直吉(住吉一家)、青山広吉(生井一家)、篠信太郎(土支田一家)、中安信三郎が中心となり、床竹内相を世話役に、在野右翼の重鎮と見なされていた頭山満を顧問に迎えて結成された。大日本国粋会は、博徒や土建業者系の壮士たちによる全国的な右翼団体であった。超党派的純国家主義思想団体として、皇室中心主義、アジア主義等(『日本社会運動通信附録』国立国会図書館デジタルコレクションコマ番号4/33 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1457693)や伝統の侠客道を根本信条として行動することを原則とした。創立当時、総裁は伯爵大木遠吉、会長は村野常右衛門、理事長は中安信三郎が務め、会員数60万と称した。


1921年(大正10年)[5]、河合は大日本国粋会を脱会し、立憲民政党の後ろ盾のもとに、大和民労会を結成した。大和民労会の結成式は、浅草伝法院で行われ、約5000人が集まった。大和民労会の中心メンバーは、土建業系博徒の関根賢高橋組高橋金次郎組長、城迫正一であった。それぞれが、浅草、吉原向島下谷を地盤としていた。

1922年(大正11年)の暮れ頃、大日本国粋会田甫一家の青沼辰三郎が浅草区千束町で年忘れの賭場を開帳。大和民労会の高橋組の木村は、青沼辰三郎の賭場に乗り込み、青沼を罵倒した。青沼辰三郎たちは、木村を賭場の外に連れ出し、暴行を加えた。これを切っ掛けに大和民労会と大日本国粋会の抗争事件が勃発した。1925年(大正14年)、大和民労会と大日本国粋会は、抗争事件を起こし、両者合わせて160人が検挙された。

1927年(昭和2年)の10月に東京市麹町区(現、千代田区)下二番町へと総本部を移設。1929年(昭和4年)に鈴木喜三郎が総裁となり、野村会長の没後は高橋光威が会長に推されたが、中安理事長が会長となった。関東大震災時には総本部を京都に移し、関東本部と対立する内紛となった。

日本国粋会初代[編集]

1958年(昭和33年)の7月に生井一家森田政治総長、落合一家高橋岩太郎総長らが結成。同日、高輪プリンスホテルで、生井一家、幸平一家、田甫一家、小金井一家、佃政一家、落合一家、信州斉藤一家金町一家、伊勢紙谷一家、義人党や佐郷屋嘉昭、松本良勝、辻宣夫、防衛政務次官辻寛一ら400余名が出席し、「日本国粋会創立記念式典」が行われた。

日本国粋会二代目[編集]

1960年代に前川一家・荻島峯五郎(全愛会議の重鎮)らを中心に連合体として『日本国粋会』を再結成。

日本国粋会三代目[編集]

日本国粋会四代目[編集]

1991年(平成3年)における金町一家七代目総長・工藤和義の四代目会長への就任に伴い、日本国粋会から『國粹会』に改称。

山口組への加入と会長の死[編集]

2005年に工藤会長が山口組組長・司忍との盃事を敢行。これにて組織は山口組の二次団体となった。『日本のヤクザ地図を塗り替える』とまで言われた出来事であった。[6] 以降、山口組にて最高顧問の役に就いていた工藤会長であったが、2007年の2月に自宅で遺体となって発見された。自殺と見られた。[7]

國粹会五代目[編集]

2007年(平成19年)4月19日、長野県諏訪市信州斉藤一家本部事務所で、信州斎藤一家・藤井英治総長の五代目国粋会の継承式が行われた。

國粹会系譜[編集]

  • 初代〔日本国粋会会長〕森田政治生井一家八代目総長)
  • 二代目〔日本国粋会会長〕:山田政雄(斉藤一家六代目総長)
  • 三代目〔日本国粋会会長〕:木村清吉(吉田川一家三代目総長)
  • 四代目(1991年~2007年)〔國粹会会長〕工藤和義(六代目山口組最高顧問、金町一家七代目総長)
  • 五代目(2007年~)〔五代目國粹会会長〕藤井英治(六代目山口組若頭補佐、信州斉藤一家六代目総長)

五代目國粹会[編集]

  • 会長 - 藤井英治(六代目山口組若頭補佐)[8]
  • 若頭 - 橋本龍雄(七代目古河生井一家総長)
  • 舎弟頭 - 渡辺佐重(七代目吉田川一家総長)
  • 本部長 - 小嶋年記(八代目信州斉藤一家総長)
  • 最高顧問 - 杉本潔
  • 会長秘書室長 - 山本義治(破傘一家総長)
  • 副本部長 - 斉藤光明(十五代目寺谷一家総長)

系列組織[編集]

古河生井一家[編集]

古河生井一家は、五代目國粹会の下部団体で、指定暴力団・六代目山口組の3次団体。

信州斉藤一家[編集]

七代目信州斉藤一家は、五代目國粹会の下部団体で、指定暴力団・六代目山口組の3次団体。長野県諏訪市に本拠を置く日本博徒暴力団[9]

信州斉藤一家の略史[編集]

六代目信州斎藤一家[編集]

平成2年(1990年)11月、藤井英治が信州斎藤一家六代目総長になった。取持人は、日本国粋会本部長・工藤和義(後の四代目國粹会会長)だった[9]

信州斉藤一家の歴代総長[編集]

  • 六代目 - 藤井英治(國粹会副会長。後に五代目國粹会会長、六代目山口組若中)[10]

寺谷一家[編集]

寺谷一家は、五代目國粹会の下部団体で、指定暴力団・六代目山口組の3次団体。

生井一家[編集]

生井一家は、五代目國粹会の下部団体で、指定暴力団・六代目山口組の3次団体。東京都港区新橋に本拠を置く日本の博徒系暴力団。

前川一家[編集]

前川一家は、五代目國粹会の下部団体で、指定暴力団・六代目山口組の3次団体。

吉田川一家[編集]

吉田川一家は、五代目國粹会の下部団体で、指定暴力団・六代目山口組の3次団体。

田甫一家[編集]

七代目田甫一家(たんぼいっか)は、五代目國粹会の下部団体で、指定暴力団・六代目山口組の3次団体。東京都台東区浅草に本拠を置く日本博徒暴力団

田甫一家の略史[編集]

大正11年(1922年)12月30日、大日本国粋会の田甫一家(後の指定暴力団六代目山口組國粹会田甫一家)の青沼辰三郎(後の田甫一家五代目)は、浅草区千束町で、年忘れの賭場を開帳した。大和民労会の高橋組の木村は、青沼辰三郎の賭場に乗り込み、青沼を罵倒した。青沼辰三郎たちは、木村を賭場の外に連れ出し、暴行を加えた。これを切っ掛けに大和民労会と大日本国粋会の抗争事件が勃発した。

田甫一家の歴代総長[編集]

  • 五代目:青沼辰三郎

関連項目[編集]

参考文献[編集]

出典[編集]

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  1. ^ 『<暴力団>国粋会会長が自宅で自殺 先週発砲事件で和解』 2007年2月15日 エキサイトニュース毎日新聞
  2. ^ a b 『平成21年警察白書 組織犯罪対策の推進:指定暴力団の指定の状況』 (p.109) 2009年7月 警察庁
  3. ^ 東京都台東区千束4-3-1 ― 『平成13年版警察白書:第4章 暴力団総合対策の推進>指定暴力団の指定の状況(p.138)』 2001年 警察庁
  4. ^ 嘉納健治の「柔拳興行」と日本ボクシング史におけるその位置づけ池本淳一、体育学研究59巻 (2014) 2号、一般社団法人日本体育学会
  5. ^ 山平重樹『義侠ヤクザ伝 藤田卯一郎』幻冬舎<幻冬舎アウトロー文庫>、2003年、ISBN 4-344-40476-9 のP.50
  6. ^ 六代目山口組完全データBOOK 2008年版:『衝撃の拳銃自殺から1年 工藤和義最高顧問一周忌』 (p.42-44) 2009年2月1日 メディアックス ISBN 978-4-86201-358-3
  7. ^ 『国粋会会長、拳銃自殺か』 2007年2月15日 日本経済新聞
  8. ^ 『六代目山口組 完全データBOOK』メディアックス、2008年、ISBN 978-4-86201-328-6 のP.10
  9. ^ a b 『六代目山口組 完全データBOOK』メディアックス、2008年、ISBN 978-4-86201-328-6 のP.84
  10. ^ 『六代目山口組 完全データBOOK』メディアックス、2008年、ISBN 978-4-86201-328-6 のP.83~P.84