田眼皇女

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田眼皇女(ためのひめみこ、生没年不詳)は、飛鳥時代皇族敏達天皇皇女で、母は推古天皇舒明天皇の妃。

同母の兄弟姉妹に菟道貝蛸皇女聖徳太子妃)・竹田皇子小墾田皇女押坂彦人大兄皇子妃)・鸕鶿守皇女・尾張皇子(橘大郎女父)・桜井弓張皇女(押坂彦人大兄皇子及び来目皇子の妃か)らがいる。

甥の舒明天皇の妃となり、子女は不詳とされている。父・敏達天皇が敏達天皇14年8月15日(585年9月14日)に崩御したことと、同母妹に桜井弓張皇女がいることから判断すると、遅くとも敏達天皇14年の生まれとなり、推古天皇元年(593年)生まれと言われる夫の舒明天皇より8歳以上年上となる。尚且つ桜井弓張皇女は田眼皇女の同母妹であるにも拘らず、舒明天皇の父・押坂彦人大兄皇子の妃となったと言われる。日本書紀の舒明紀には舒明天皇の后妃紹介記事に載せられていないことや、敏達・推古両天皇の皇女である彼女よりも天皇との血統が遠い(敏達天皇の曾孫)宝女王(のちの皇極天皇)が舒明天皇の皇后とされている点から、舒明天皇即位前に亡くなったと推測される。