由規

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
由規 (佐藤 由規)
YS-Yoshinori-Sato.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 宮城県仙台市青葉区
生年月日 (1989-12-05) 1989年12月5日(29歳)
身長
体重
179 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 投手
プロ入り 2007年 高校生ドラフト1巡目
初出場 2008年8月30日
年俸 1,800万円(2018年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

佐藤 由規(さとう よしのり、1989年12月5日 - )は、宮城県仙台市出身のプロ野球選手投手)。右投左打。登録名由規(よしのり)。実弟は東京ヤクルトスワローズで同僚(育成選手)でもあった貴規(佐藤貴規)

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

小学校4年生の時に野球を始める。仙台市立北仙台中学校1年生だった2002年には、リトルリーグの仙台東リーグの一員として全国制覇。その後、仙台東は日本代表としてアジア大会を勝ち進み、世界大会に進出。初戦の対ロシア戦に先発した由規は大会10年ぶりとなるノーヒットノーランを達成し[2]、最終的にチームは決勝でアメリカ代表に1-0で敗れる[3]。由規の中学校には野球部があったが、シニアリーグの仙台西部に所属して野球を続け、学校内では陸上部に所属した。

2007年 仙台育英高校 佐藤由規投手
2007年全国高校野球選手権大会 155km/hを計測

2005年仙台育英学園高等学校へ入学したが、入学当初の球速は130km/hに満たず、三塁手の控えだった[4]。1年の秋に140km/hを記録し、2年夏の選手権から投手として3期連続で甲子園に出場。通算では5試合に登板、4試合で2桁奪三振。2年夏の選手権宮城大会決勝戦では、東北高校に引き分け再試合を含む24イニング374球を投げ優勝した。3年夏の甲子園では、智弁学園との2回戦の4回裏に155km/hを計測[5]。さらに、2007年の日米親善試合で、高校時代の自己最速記録157km/hを計測する。

2007年のNPB高校生ドラフトでは、中田翔大阪桐蔭)や唐川侑己成田)と共に「高校ビッグ3」とも言わ、地元球団の楽天のほか、ヤクルト横浜中日巨人の5球団が1巡目で指名し、ヤクルトが独占交渉権を獲得した。背番号11」にあわせた11月11日に、契約金1億円に出来高分5,000万円、年俸1,500万円(金額は推定)で仮契約、同姓同名で投手出身の佐藤義則が当時日ハムでコーチを務めていたことから、名前の由規のみを登録名に使用することも決まった。

ヤクルト時代[編集]

2008年には、高卒の新人投手ながら一軍の春季キャンプに抜擢されたが、2月末に左足首痛を発症。発症当初に軽症と診断されたことから、オープン戦にも登板したが、公式戦の開幕当初は二軍でリハビリに専念していた。4月13日のイースタン・リーグ公式戦で実戦に復帰し、リーグトップの8勝で最多勝。8月2日には、地元の宮城県に隣接する山形県山形蔵王タカミヤホテルズスタジアムで開かれたフレッシュオールスターゲームで、同リーグ選抜の一員として登板した[6]。8月30日の対横浜戦(横浜スタジアム)で、先発投手として一軍公式戦にデビュー。次に先発登板した9月6日の対巨人戦(神宮)では、6回3失点、2被安打8奪三振で一軍公式戦初勝利、犠牲フライで初打点。この勝利によって対巨人戦におけるチームの連敗を8で止めたが、次の対戦(9月14日)では6回3失点で一軍初敗戦投手となる。シーズン通算では、一軍公式戦6試合に登板、2勝1敗、防御率4.55。

2009年には、公式戦の開幕から一軍の先発ローテーションの一角を担った。19歳3ヶ月で迎えた4月4日に、阪神との開幕カード第2戦(甲子園)で先発し、6回1失点でシーズン初勝利[7]。4月26日の対横浜戦(横浜)では、ストレートで157km/hを計測。もっとも、右手の指に血豆ができやすく、前半戦では投球中に血豆が潰れ戦線を離れることがあり、の監督推薦選手として初めて選ばれたオールスターでも、選出の直後に血豆が潰れてリーグ戦への登板予定を回避した影響で、第2戦に代走として出場するだけにとどまった。シーズン通算では一軍公式戦22試合に登板し5勝10敗、チームの一軍投手陣で唯一2桁敗戦。

2010年にも、前年に続いて、一軍公式戦の開幕カード第2戦(対巨人戦)に先発し8回1失点でシーズン初勝利、以降の先発登板試合で4連敗する。一時は二軍での再調整し、交流戦中に一軍へ復帰、7月29日の対広島戦で一軍公式戦での初完投勝利(9回3失点)、8月5日の対中日戦(いずれも神宮)では初完封勝利。8月26日の対横浜戦(神宮)5回表にスレッジへの5球目で161km/hを計測[8]。シーズン通算では規定投球回に到達し、プロ3年目で自身初の2桁勝利(12勝9敗)。

2011年は開幕から一軍ローテーションに入り、交流戦中に脇腹を痛め戦線を離脱するが、オールスターには、セ・リーグ先発投手部門のファン投票1位で2度目の出場。9月に右肩の張りで再度離脱し、右肩の腱板を傷めていることが後に判明した。一軍公式戦通算で15試合に登板し7勝6敗、プロ入り後最高の3完投勝利、防御率2.86。

2012年には、前年の故障の影響で、開幕を二軍でスタート。公式戦開幕直後の4月に右肩の違和感を訴える[9]と、5月に左すねを剥離骨折する[9]。プロ入り後初めて一軍公式戦で登板がなく、イースタン公式戦は1試合(3イニング)の登板のみ。

2013年には、春季キャンプを二軍でスタート。キャッチボールでも50メートル程度の距離しか投げられないほど、右肩痛の回復が思わしくないことから、公式戦開幕直後の4月上旬に右肩のクリーニング手術を受けた。全治に6ヶ月を要するほどの重症だった[10]ため、手術後は実戦へ復帰せず、右肩のリハビリに専念した。

2014年には、6月14日にイースタン・リーグ チャレンジ・マッチのフューチャーズ戦で792日振りに実戦登板。1回を無失点に抑えるとともに、故障明けながら、最速で155km/hもの球速を記録した[9]。後に、イースタン・リーグ公式戦5試合へ登板。1勝0敗、防御率2.45を記録したが、一軍への復帰には至らなかった。

2015年には、オープン戦の開幕投手として、2月22日の対日本ハム戦(浦添市民球場)に先発。オープン戦としては自身1069日振りの登板ながら、2回を無失点に抑えたほか、ストレートで最速151km/hを記録した[11]。また、レギュラーシーズンでは、イースタン・リーグ公式戦6試合に登板。1勝1敗、防御率3.33という成績を残したが、4年連続で一軍公式戦への登板を果たせなかった。11月12日の契約更改では、育成選手契約へ移行する[12]とともに、育成選手に関するNPBの規定に沿って背番号を「121」へ変更した[13]

2016年には、育成選手として、イースタン・リーグ公式戦9試合に登板。38イニングで36奪三振、防御率3.79という成績を残した。7月5日に支配下登録選手へ復帰するとともに、背番号を「11」に戻す[14]と、同月9日の対中日戦に先発投手として登板。一軍公式戦では2011年9月3日の対巨人戦(いずれも神宮)以来1771日振りの登板であったが、6回途中6失点という内容で敗戦投手になった[15]。しかし、同月24日の対中日戦(ナゴヤドーム)で5回1/3を2失点に抑えると、前述の巨人戦以来1786日振りの勝利を挙げた[16]。結局、復帰後は一軍公式戦5試合に登板。2勝3敗、防御率4.56という成績を残した。

2017年には、公式戦の開幕を二軍で迎えたものの、イースタン・リーグ公式戦では開幕から5月上旬までに4試合の先発登板で3勝0敗、防御率1.04と好調。4月28日の対DeNA戦では、二軍ながら、2013年の右肩手術後初めての完封勝利を挙げた[17]5月5日の対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜)で、先発投手として一軍公式戦でのシーズン初登板。手術後初めて、登板間隔を中6日にまで短縮したが、3回1/3を投げただけで3点を失った末に黒星を喫した。しかし、10日間の二軍調整[18]をはさんで臨んだ5月17日の対巨人戦(東京ドーム)では、7回を被安打2の無失点と好投。最速で152km/hのストレートを投じたばかりか、150km/h台の球速を10度計測した末に、一軍での同カードおよび、東京ドームでの一軍公式戦では6年(2011年9月3日以来2083日)振りの勝利を挙げた[19]。一軍公式戦全体では、10試合の登板で前年を上回る成績(3勝5敗、防御率4.31)を残したものの、中6日先発のペースを維持するまでには至らなかった。

2018年には、春季キャンプを3年振りに一軍でスタート[20]オープン戦での先発登板でも好調を維持したため、公式戦の開幕を7年振りに[21]一軍で迎えた。4月1日には、DeNAとの開幕カード第3戦(神宮)に先発。この試合では4回5被安打4与四球3失点の乱調で黒星を喫した[22]ものの、4月22日に神宮球場で再び催された同カードでは、6回2/3を106球で1安打に抑える好投でシーズン初勝利を挙げた[23]。しかし、6月2日の対楽天戦(楽天生命パーク宮城)での投球中に右肩へ違和感を訴えたため、4回裏まで投げたところで急遽降板。この登板を境に実戦から遠ざかった[24]ため、一軍公式戦全体では、7試合の登板で1勝2敗。前述の対楽天戦以降は二軍でのリハビリに専念していたが、右肩の状態が思わしくないことから、球団では「早期の回復は困難」と判断。シーズン最終盤の10月2日に戦力外通告した。ヤクルトは球団内にポストを用意する意向を示したが、由規がNPB他球団での現役続行を強く希望したため退団した[25]。その後は、11月13日の12球団合同トライアウトタマホームスタジアム筑後)への参加を見送る一方で、他球団からのオファーに備えてリハビリを続けていた[26]

楽天時代[編集]

2018年11月15日、楽天が育成契約で合意したことを発表した。登録名はヤクルト時代と同じく由規で、背番号は123[27]。2007年のNPBドラフト会議1巡目で由規を指名しながら交渉権を獲得できなかった楽天は、この年まで投手としてヤクルトに在籍していた石井一久GM[28]の下で、由規と10年越しの契約に至った。

選手としての特徴[編集]

由規の投球フォーム
(2010年4月3日、明治神宮野球場)

仙台育英高校時代からスリークォーターの速球投手として名高く、夏の選手権全国大会期間中に放送される『熱闘甲子園』(朝日放送テレビテレビ朝日の共同制作による大会ダイジェスト番組)で、在学中に「みちのくのプリンスK」という称号が付けられたこともある。ヤクルトへの入団後も、最速161km/hのストレートを駆使しているため、被本塁打数が少なく奪三振数が多いことが特徴。2011年頃までの平均球速は約149km/h[29]であったが、後に右肩を何度も痛めた影響で、2016年以降は140km/h台の中盤に収まっている。

ストレート以外にもスライダーフォークボールを投げる[30][31]が、スライダーのキレが鋭い一方で、四球や暴投が多い。相川亮二が捕手としてヤクルトに在籍していた時期には、相川から球威を認められる反面、与四球の多い制球の不安定さを危惧されていた。(高校時代から)そこでその年の交流戦を終えた頃に、他球団のエース級投手の映像もチェックしてみるよう勧められた事がある。それまで自分の投球映像を、ただ確認していただけの由規には涌井秀章の頭のブレの少なさから目線を崩さない力感の少ないフォームと、力いっぱい速い球を投げようとして頭や目線が大きく動く自分のフォームとの違いを認識できたのは新鮮な試みであった。また相川にも一緒に観てもらった事で、映像を注意深く観察する大事さを教えられている[32]

投手としては比較的珍しい右投げ左打ちである。これは生来、左利きであるが、兄のおさがりのグローブを使っていたため右投げとなったものである。左でも遠投60mを投げることが出来る。

家族[編集]

兄の史規(ひさのり)は東北高校野球部OB・弟の貴規は仙台育英高校硬式野球部のOBで、高校時代には由規と同じく、甲子園球場の全国大会へ出場。2017年からは、「TFUクラブ」(東北福祉大学硬式野球部のOBを中心に結成された日本野球連盟所属のクラブチーム)で揃ってプレーを続けている[33]

史規は東北高校時代に、控え捕手としてダルビッシュ有の球を受けていた。由規は、ヤクルトで右肩手術を受けた後の2015年シーズン終了後に、当時テキサス・レンジャーズへ在籍していたダルビッシュの自主トレーニングに初めて参加。2016年シーズンからは、ダルビッシュの調整法を取り入れている[17]

貴規は、2012年から由規と同じヤクルトへ所属していたが、育成選手のまま2014年に球団から戦力外通告。2015年から2年間は、BCリーグ福島ホープスのレギュラー外野手となる一方、NPBへの復帰を目指して12球団合同トライアウトへの参加を続けていた。2016年限りで福島を退団し、2017年2月にNPBへの復帰を断念することを宣言したが、史規の紹介で翌3月からTFUクラブに所属している。

実父の均は、有限会社宮城観光タクシーの代表取締役である。同社のタクシーの車体には、ヤクルト入団後の由規の背番号と登録名にちなんで、「11 YOSHINORI」というロゴが描かれている。

2011年3月11日に発生した東日本大震災では、地元および実家が被災したものの、由規の家族は全員無事だった。しかし、仙台育英高校時代にバッテリーを組んでいた1年先輩の斎藤泉が、居住地の宮城県石巻市で行方不明になった。4月27日には、斎藤の遺体が同市内で発見。生前に由規の家族とも交流があったことから、発見の直後には、由規の実父・均が弔問の折に由規のサインやヤクルトのユニフォームを霊前へ供えた。由規自身も、同月27日の対巨人戦(草薙球場)に先発で勝利すると、救援登板の林昌勇から譲り受けたウイニングボールを斎藤の遺族へ直々に届けることを表明した[34]

人物[編集]

ドラフト会議でヤクルトに指名された後の記者会見では、家族に対する感謝を述べた際に、家族が目に入ったことから号泣し、入団が決まった後の激励会でも泣いたことから、「泣き虫王子」「号泣(剛球)王子[35]」と呼ばれる。

ヤクルトへの入団1年目の2008年には、一軍公式戦での通算投球回数を29回2/3にとどめることで、2年目以降に新人王を受賞できる権利を残した[36]。同年10月8日の対横浜戦では、完投勝利ペースだったが、当時の一軍投手コーチ荒木大輔は、完投した場合に通算投球回が30回を超えることを承知していて、由規に「完投と新人王どっちがいい?」と尋ねたところ、由規は「新人王です」と即答し、8回1失点で降板する[37]。もっとも、2009年には新人王選考の記者投票で3位の6票にとどまる[38]

ヤクルト時代の2009年からは、森永製菓との間で、「ウイダーサポート選手」としての契約を締結。漫画『ストライプブルー』に、主人公の兄(ヤクルトの抑え投手)と親しいという設定で、実名で登場。また、2012年5月23日にリリースされたNHK東日本大震災復興応援ソング『花は咲く』(花は咲くプロジェクト)に、ボーカルとして参加している。ももいろクローバーZのファンである。

支配下選手契約から育成選手契約への移行に際しては、支配下登録選手時代の背番号(11)の2乗に当たる数字(121)を、育成選手としての背番号に採用した。ヤクルト球団では、由規が支配下登録選手へ復帰することを視野に、当面の間背番号11を空き番号として扱う方針を立てていた[13]。そのため、2016年の復帰を機に、背番号を11に戻している。2018年の戦力外通告でも、由規が現役引退を決意した場合に備えて引退セレモニーの開催や球団職員としての再契約を打診するなど、由規をチームの功労者として扱う姿勢を示していた[25]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2008 ヤクルト 6 5 0 0 0 2 1 0 0 .667 118 29.2 21 4 8 0 2 28 3 0 16 15 4.55 0.98
2009 22 21 0 0 0 5 10 0 0 .333 520 120.0 109 9 57 0 5 91 5 0 61 47 3.50 1.38
2010 25 25 2 1 0 12 9 0 0 .571 724 167.2 158 11 74 4 8 149 8 0 78 67 3.60 1.38
2011 15 15 3 1 0 7 6 0 0 .538 425 100.2 84 6 41 1 8 83 5 0 34 32 2.86 1.24
2016 5 5 0 0 0 2 3 0 0 .400 120 25.2 26 1 20 0 1 18 2 0 16 13 4.56 1.79
2017 10 10 0 0 0 3 5 0 0 .375 234 54.1 48 4 33 0 0 46 0 0 29 26 4.31 1.49
2018 7 7 0 0 0 1 2 0 0 .333 155 34.1 34 4 20 0 1 37 1 0 17 17 4.46 1.57
NPB:7年 90 88 5 2 0 32 36 0 0 .471 2296 533.1 480 39 253 5 25 452 24 0 251 217 3.66 1.37
  • 2018年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル[編集]

  • イースタン・リーグ最多勝利 (2008年)

記録[編集]

投手記録
打撃記録
その他の記録

背番号[編集]

  • 11 (2008年 - 2015年、2016年7月5日 - 2018年)
  • 121 (2016年 - 2016年7月4日)

登録名[編集]

  • 由規 (よしのり、2008年 - )

登場曲[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ ヤクルト由規、完全復活へ「156キロ目指す」.日刊スポーツ.2018年1月11日閲覧。
  2. ^ 佐藤由ノーヒッター、加藤連弾で仙台東が初戦圧勝(財団法人全日本リトル野球協会)
  3. ^ 仙台東無念! 米国・五大湖に敗れ世界一ならず(財団法人全日本リトル野球協会)
  4. ^ 東京ヤクルトスワローズ公式サイト2008年1月30日の記事による。
  5. ^ この球速は、春夏の全国大会中に甲子園球場のスピードガンで計測された球速で最も速い(2018年の第100回全国高等学校野球選手権記念大会終了時点)。それまでの記録は寺原隼人日南学園)の154km/h。
  6. ^ 2008年度フレッシュオールスター・ゲーム 試合結果NPB日本野球機構公式サイト
  7. ^ ヤクルトに所属する10代の投手が、一軍公式戦の開幕カードで勝利を挙げた事例は、国鉄スワローズ時代の1957年に入団2年目の金田正一が記録して以来52年振りであった。
  8. ^ NPBの公式戦における当時の日本人投手最速記録。テレビ中継では152km/hと表示された。ヤクルト由規が日本選手最速の161キロ”. asahi.com. 2010年8月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月8日閲覧。 ヤクルト・由規、日本人最速の161キロ! (2/2ページ)”. sanspo.com. 2010年8月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月8日閲覧。 2018年シーズン終了時点での日本人投手最速記録は、大谷翔平が日本ハムの投手として登板した2016年10月16日に札幌ドームでのCSファイナル第5戦の9回表に、松田宣浩への投球で記録した165km/h。レギュラーシーズンに限れば、同年9月13日の対オリックス戦3回表に糸井嘉男への投球で計測した164km/hである。
  9. ^ a b c “ヤクルト由規復活155キロ 792日ぶり実戦”. nikkansports.com. (2014年6月15日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20140615-1317920.html 2014年6月15日閲覧。 
  10. ^ “由規が右肩クリーニング手術終了、全治6カ月で今季絶望”. スポニチSponichi Annex. (2013年4月11日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/04/11/kiji/K20130411005589260.html 2013年4月11日閲覧。 
  11. ^ “由規 1069日ぶりオープン戦で2回無失点、最速151キロ「怖さなかった」”. スポニチSponichi Annex. (2015年2月22日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/02/22/kiji/K20150222009855270.html 2015年11月27日閲覧。 
  12. ^ ヤクルト、由規&平井と育成で再契約
  13. ^ a b “ヤクルト・由規、育成で再出発 背番号は「121」”. SANSPO.COM. (2015年11月13日). http://www.sanspo.com/baseball/news/20151113/swa15111305000002-n1.html 2015年11月13日閲覧。 
  14. ^ ヤクルト由規が支配下に 背番121から11に戻る 日刊スポーツ 2016年7月5日閲覧
  15. ^ “由規、万感1771日ぶり1軍マウンド 5年ぶり白星ならず 6回途中6失点で降板”. Sponichi Annex. (2016年7月9日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/07/09/kiji/K20160709012932050.html 2016年7月17日閲覧。 
  16. ^ “ヤクルト由規1786日ぶり白星「感極まってます」”. nikkansports.com. (2016年7月24日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1683810.html 2016年7月24日閲覧。 
  17. ^ a b “ヤクルト由規5日今季初先発有力 ダル流調整で好調”. nikkansports.com. (2017年5月2日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/1816602.html 2018年11月14日閲覧。 
  18. ^ “由規4回途中KOで二軍落ち「力んでしまった」”. Sponichi Annex. (2017年5月5日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/05/06/kiji/20170506s00001173115000c.html 2016年7月17日閲覧。 
  19. ^ “ヤクルト由規1勝「気合入れた」6年ぶり巨人戦勝利”. Sponichi Annex. (2017年5月18日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/05/18/kiji/20170518s00001173128000c.html 2018年11月14日閲覧。 
  20. ^ “【ヤクルト】由規が3年ぶりの一軍スタート…春季キャンプ”. スポーツ報知. (2018年1月23日). https://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20180123-OHT1T50100.html 2018年11月14日閲覧。 
  21. ^ “ヤクルト由規7年ぶり開幕ローテへ 3戦目先発浮上”. nikkansports.com. (2017年5月2日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201803170000085.html 2018年11月14日閲覧。 
  22. ^ “由規 荒れ荒れ…燕開幕3連勝逃した「申し訳ない」”. Sponichi Annex. (2018年4月2日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/04/02/kiji/20180401s00001173370000c.html 2018年11月14日閲覧。 
  23. ^ “ヤクルト由規が華麗な初勝利「素晴らしい」小川監督”. nikkansports.com. (2018年4月22日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201804220000900.html 2018年11月14日閲覧。 
  24. ^ “【ヤクルト】由規がチームに涙の別れ「しがみついても野球をやりたい」”. スポーツ報知. (2018年10月2日). https://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20181002-OHT1T50141.html 2018年11月14日閲覧。 
  25. ^ a b “ヤクルト由規が退団、球団はポスト用意も現役続行へ”. nikkansports.com. (2018年10月2日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201810010001006.html 2018年11月14日閲覧。 
  26. ^ “由規トライアウト受けず待つ 楽天が獲得調査”. nikkansports.com. (2018年11月7日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201811070000101.html 2018年11月14日閲覧。 
  27. ^ “【由規選手】契約合意に関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス. (2018年11月15日). https://www.rakuteneagles.jp/news/detail/00001626.html 2018年11月15日閲覧。 
  28. ^ “楽天が由規と育成契約で合意「実績ある」石井GM”. 日刊スポーツ. (2018年11月15日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201811150000489.html 2018年11月15日閲覧。 
  29. ^ 『2011プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2011年、183頁。ISBN 978-4-930942-98-2。
  30. ^ “古田氏、由規に最多勝指令!新球のコツも伝授”. スポニチ Sponichi Annex. (2011年2月10日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/02/10/kiji/K20110210000216820.html 2014年12月5日閲覧。 
  31. ^ “由規「真っ直ぐで」150キロ連発で6年ぶり巨倒”. 日刊スポーツ. (2017年5月18日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/1825151.html 2017年6月1日閲覧。 
  32. ^ NHK「スポーツ大陸」 - 2009年9月20日分より
  33. ^ 由規弟の貴規と元楽天木村がクラブチームで再出発日刊スポーツ2017年5月19日配信
  34. ^ “由規、亡き先輩にウイニングボール届ける”. スポーツニッポン. (2011年4月29日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/04/29/kiji/K20110429000721460.html 2015年10月27日閲覧。 
  35. ^ 佐藤よりも先に日本ハムに所属していたダース・ローマシュ匡が呼ばれていた。
  36. ^ 「日本以外の国でのプロ野球経験がない投手については、前年までの一軍公式戦での通算投球回数が30回以内であれば、最初の支配下登録から5年を経過するまで受賞の対象に含まれる」という資格規定が存在することによる。
  37. ^ “由規2勝目!完投よりも来季新人王選んだ”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2008年10月9日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2008/10/09/kiji/K20081009Z00001490.html 2013年4月14日閲覧。 
  38. ^ プロ3年目・育成選手出身の松本哲也外野手(巨人)がセの新人王を獲得。2009年度 表彰選手 投票結果(最優秀新人)日本野球機構オフィシャルサイト

関連項目[編集]