甲子園オートレース場

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甲子園オートレース場
基本情報
所在地 兵庫県西宮市南甲子園一丁目(甲子園競輪場内)
開設 1953年(昭和28年)3月17日
閉場 1955年(昭和30年)3月
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甲子園オートレース場(こうしえんオートレースじょう)は、かつて兵庫県西宮市に存在していたオートレース場である。

概要[編集]

極度の売り上げ不振と競馬場との馬場併用に伴う問題等によって、僅か2年余りで廃止となった園田オートレース場が移転するという形で開設されたオートレース場で、甲子園競輪場に併設され、1953年(昭和28年)3月17日に初開催された。

特徴[編集]

最大の特徴は、競輪場のバンクを併用するのではなく、内周部に1周350メートルのオートレース専用走路を設けたことである。ただし、この走路はやはりダート走路であり、その点が後に問題ともなった。

廃止[編集]

1953年3月に初の開催が行われた。当時の甲子園競輪場は売り上げが好調であり、その相乗効果が大いに期待された。しかし、売り上げは前身である園田オートレース場時代をも下回るほど低く終わった。

最大の原因は、1周350メートルの短走路にあった。走路の広さの都合上1級車や2級車が走行できなかったため[1]、非力な3級車や4級車でしかレースを行えず[2]、オートレースの最大の魅力である迫力があまりなかったのが原因であった。

その後、単独開催と競輪との併設開催を織り交ぜて開催を行ったが、ダート走路から跳んだ砂[3]やオイルの影響で競輪場のバンクが荒れるという問題が発生し、競輪場関係者からの不満が噴出した。

その後、兵庫県側がオートレースの運営を諦め、廃止の方針を打ち出すに至り、結局、開設から僅か2年後の1955年(昭和30年)3月に廃止された。開催年数は奇しくも前身である園田オートレース場と同じ年数であった。

その後[編集]

同場の廃止とほぼ同時に、兵庫県小型自動車競走会も消滅した。これにより、関西圏へのオートレース進出計画は全て失敗に終わり、現在に至るもなお「オートレース不毛の地」となっている。

脚注[編集]

  1. ^ 当時の気筒・容積区分では2級車が512ccまで、1級車単気筒は618ccまで。1級車2気筒に関しては制限がなかったため、1000ccを超えるエンジンも使用されていた。
  2. ^ 4級車は259ccまで、3級車は359ccまで。
  3. ^ 実際には砂ではなく石炭がらであった。

参考文献[編集]

日本小型自動車振興会『オートレース三十年史』(1981年)