畠山重宗

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畠山 重宗(はたけやま しげむね)は平安時代末期から鎌倉時代初期に栄えた畠山家畠山重能の子。

新潟県新潟市中央区にある蒲原神社社記写[1]によると、畠山六郎重宗は貞応年中(西暦1222年~1223年)に、蒲原神社(当時は青海神社五社宮)に参籠したとある。

畠山重忠北条時政の謀略によって討たれたのが、元久2年(西暦1205年)であり、当時重宗は奥州に行っていた。とあることから、その後20年経って、越後の地に定住した事になる

神社口伝によれば、畠山六郎重宗が農業の成果を占う御託籤を始め、その的中率の高さから近傍農民の信仰を集め、「六郎の御託籤」として評判となり、蒲原平野の新田開発に連動する形で、各地に末社兼務社が創設される

又、現在でも7月1日には御託宣が執り行われ、これに合わせて開催される、蒲原神社のお祭りは、3日間で24万人が訪れる新潟県三大高市と称される。

出典[編集]

  1. ^ 蒲原神社 (近代写). 蒲原神社社記写. 蒲原神社.